夢現.壱

□八之夢
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あれから……。
今までにない、様々な体験をしたあの夜から、俺は視線を感じることが多くなっていた。

もちろん、今までも俺の出自や性別、その他諸々の関係から視線を感じることは多々あったのだが、今はそれまで以上に視線を感じる。

視線の主は、同室の雪村千鶴。
ふとした瞬間に、こちらを見ていることが多く、気付かれないようにこっそりと盗み見ると何か言いたげな、それに俺に対する敵対感とでもいえばいいのだろうか。そういうものを含んだ目つきでじっと見ている。

今までの憧れや羨望、そういった正の感情の類は成りを潜め、俺がこれまでに嫌というほど浴びてきた負の感情がその身の内に巣食っているのを感じた。

言いようもない不快感を感じるそれ。
しかし俺が見ていることに気付くと途端にその視線はそらされる。

言いたいことがあるのならはっきり言えばいいのに、二人きりで誰も聞いていない時ですら一向に口を開く気配はない。

雪村の突然の変化に為すべきこともわからず、さりとて不快感に襲われる視線を浴び続けていたいという自虐的な思考は持ち合わせていない俺は、どうしようもなく途方に暮れていた。

用のない時は部屋に引きこもっている俺たちだが、二人でいると部屋の空気は時間を重ねるごとに重くなっていくばかり。

視線を感じるのが嫌だからという何だかよくわからない理由でずっと見ているわけにもいかないうえ、生憎とこの部屋は何か遮るものと言えば申し訳程度に置かれた衝立くらいしかなく、それも意味をなさないほどに俺の感覚は鋭かった。

今この時ほど自分の鋭敏な感覚を恨めしく思ったことはない。

いい加減うっとおしくなって、我慢ができなくなり口を開きかけた時だった。


山崎「雲雀君、いるか?」


観察方兼諸士調役、要するに俺の同僚の山崎が部屋の外から声をかけてきたのは。
未だ観察方になって日が浅い俺だが、こうして声をかけられるのは初めてではない。


『ああ。何か用か?』


用がなければこの部屋に来ることはないであろうその男に、それでも聞いたのは、俺がこの会話に集中したいからに他ならなかった。

山崎がここに来たということは、おそらく観察方の仕事があるということだろう。
今はもう夜と呼んでもいいくらいに日は沈み、俺も活動できる時間になっていることも踏まえ、その推測は外れていないはずだ。


山崎「副長がお呼びだ。」

『分かった。』


俺はすぐさま、と言っても差し支えないほどの素早さで立ち上がり襖を開けた。

スパンッ

と音を立てて襖は開き、その様子に少し驚いている山崎を残して部屋を立ち去った。


『土方、入るぞ。』


観察方という役職をもらったいまでも初めて会った時からの呼び方は変わらず、それで呼ぶたびにどうやら土方を崇拝しているらしい山崎や斎藤に嫌な顔をされる。

別に他人にどう思われようが知ったこっちゃないのだが、当事者たちがそれでいいと思っている以上いい加減慣れてほしい。
というか、一応立場上上司だからと一度副長と呼んで敬語を使ったら物凄く変な顔をされた。曰く、「てめえがそんなだと気味が悪い。」だそうだ。失礼な奴だな。
だからそれからは呼び方も口調も元に戻した。


土方「ああ……、入れ。」


いつもより重苦しい入室の許しが聞こえ、先ほどとは打って変わって静かに襖を開けて中に入る。
本当ならば上司と言ってもいいかもしれない山崎が土方に声をかけ、先に入るべきなのだろうが、生憎俺はそんなことを気にする性質ではないし、山崎自身もそういったことは気にしないようで、俺の後に続いて山崎が入ってきた。

流石にどかりと音を立てて座るほど礼儀を弁えていない訳ではないが、正座をすることが日常ではない時代から来た俺は、部屋の中に胡坐をかいて座った。
そのことに山崎が眉間にしわを寄せるが、気付かないふりを決め込む。

何らかの書類を書いているらしい土方が、きりがよくなったのか筆をおいて文机に背を向けて座りなおす。

俺の胡坐に別段気にする風もなく、こちらも胡坐で口を開いた。

だが、声を発する前に開いた口を閉じてしまう。
それは何か、思い悩むような、躊躇するような仕草で、こちらから促すでもなく再び口を開くのを待っていたのだが、一向に話は始まらず、時がたっていく。
それと比例するように眉間のしわは増すばかり。

まったく、ここの人たちは眉間にしわを寄せれば相手に何かが伝わると思っているのだろうか。
そんな馬鹿なことを本気で考えてしまうほどの時間がたち、漸く土方は話し始めた。

任務の内容を要約すると、曰く、脱走した隊士の捕縛又は暗殺。

この隊士は長州方の間者だったらしく、山崎はその情報をつかみ、土方に報告したうえで決定的な証拠をつかんだのだが、粛清する前に感づいたらしいその隊士は逃げ出してしまった。

捕縛を第一の目的とするが、難しい場合はその場で暗殺をする。

ということらしい。

観察方という役職において絶対的な適性を持つ山崎にしては珍しいことだとは思うが、人間誰しも失敗はするもの。
そこはたいして疑問を持たず納得した。

しかし、どうしても理解できないことが一つ。

何故それだけのことを言うのにあれほどの時間を要したのだろうか。
これだけならば、たった数秒で事足りるのに。

考えてもわからないことは、聞くに限る。
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