JOGIO

□憎む
1ページ/2ページ

奇譚曲~憎む
東方仗助の場合....




絶え間なく余の傍らを動き回る悪魔が
透明な空気のように余にまとわりつく
飲みこむやそれは余の肺をこがし
罪深い永遠の欲望で満たす




―思い出せない。

だのに、酷く懐かしく愛おしかった。鼻腔にこびりつく馨りに酔っ払いそうな俺は、競り上がる嗚咽を息を止めやり、過ごす外なかった。皮膚から細胞へ潜り込み、血管を喰い破りながら全身を巡ってゆく。脳髄を針が矢鱈滅多に突き刺しては、あぶれる脳汁。滴り伝い落ちてゆく先には乳白色の寝台がある、一時の安らぎにたゆたう己の神殿だ。それが今にも破裂しえる危険な毒と化している。我が物顔で寝そべるのは誰なんだ。俺は浄化する術をすっかり見失っていた。あの鼻にこびりつく馨りにすっかり酔ってしまっていたから。
とても苦しい
...なにが?
吐き出してしまいたい
...どうやつて?

「アンタ....誰なんスかねえ、」
誰も何も答えない。
よく解っている、よく。少しでも気を反らし楽になりたかっただけだ。自問自答の先を求める者が問うのを改めるか?それは違う、答えは既に導かれているから。エゴにすぎない趣味を人は持っているんだ。同時に皆誰しも欲している、アレもコレもソレもと無尽蔵の汚れた聖水の泉を。覗きながら、ふと我に返って云ふ「.....慾」とは何か?と。見えるものか触れるものか聴こえるものか感じるものか....俺は問う。




***

「いい加減にしろよ、仗助」

浴室に響く承太郎の声が届いているのか、いないのか。仗助は膝を折り曲げ、彼には窮屈な浴槽にぼうっと収まっている。頭上から止めどなく降り続く人工的な雨粒は仗助の制服を濃く、深く侵していた。逆らわずに垂れ落つる前髪はツンと覗く鼻筋に添っている。
承太郎はシャワーを止めた。幾ら住居を借りている部屋だとしても此処で何かやらかす気なら後味が悪い。それは誰だって、俺も。

「承太郎.........さん」
「まったく、目え醒めたか」
「ダメ、っスよ...ダメだって、」
がたがたと震える身体は冷水を浴び続けたものとは違う。確かに仗助のぷくりと豊かな唇は薄紫に成り果ててはいるが。
キモチワルイ。厭だ、
キモチガイイ。馨り、
そう紡いでは掌を鼻に押しあて、ヒゥと喉をひくつかせている。ハタハタと生理的に流す涙を止められないのと同じだ。仗助は憎悪に嵌まり込んで抜け出せないでいる。
「誰...なんスか」
「お前の中の誰かだろう、記憶か...虚像かは知らないが、無理に思い出すことはない。」
承太郎は立ち上がり帽子の鍔をグイ、と下げた。今の仗助に俺の言葉は聞こえていない様だ、存在そのものすら認識出来ていないだろう。溜め息が漏れる。

「なんで、なんで、誰だよ...アンタ」
殺してしまいたい程に駆り立てられる激情。だのに、酷く懐かしく愛おしいなんて馬鹿げてる。アンタは誰で、お前は俺を知っているのか?悉く全てを引っ掻き回して一体どうしたいんだ。答えろよ。
薄ら靄のかかる思考に飛び込む、見知らぬ女。嗚呼、だから俺はお前を知らないんだよ、アンタなんて。顔がよく見えない....けど知らないんだ、ホント。
ぼやけた景色で微笑む女。纏わりつく甘美な薫りを俺に振り撒いている。やめてくれ、酷く不快で吐きそうだ。酸味を増した唾液が警告を繰り返す。玉の汗が額から睫毛に絡まず、吸い込まれた。ひん曲げられた胃がうねり、仗助の面に空いた、ふたあつの穴に、ぐうりん、と目玉が現れた。
「逢いたかった」
「なに、なんスか」
「忘れないで」
「ッ、なに言って」
「貴方のノスタルジー、」
青白い腕が仗助の唇に伸びて、撫ぜつける。やっぱりアンタの事なんて俺は知らない。知らない、懐かしい、愛おしい.........馨り。
「アッ...」
「カワイソウに、苦しいのね」
「来るな、俺に近づくな」
「楽になりたいよね?知ってるわ」

私を見て、呼んで、触れて、感じて。
女が「.....慾」とは何か?と云った気がする。見えるものか触れるものか聴こえるものか感じるものか....
「ねえ、ジョウスケ」
アレもコレもソレも、女は次々と仗助に投げつけた。「.....慾」とは何か?と。


―俺は引き摺り込まれるのか

それは破滅?

........厭だ、




余がこよなく美を愛するのを知って
女の中でも飛び切り美しい姿をとり
偽善的でもっともらしい言い訳をいいながら
余の唇にいまわしい媚薬をこすりつけるのだ


END

次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ