海軍・海賊


□冷笑レディ
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酔い潰れた三日月が反時計回りに世界を変えた。濃紺に弾けた気泡はシャボンより弾力を含み飛び散る。飾り付けられた支柱の下に広がる乳白色の深い深い底。段差にのけ反り腰まで浸る俺は、脱力とシェリー酒に身体と脳髄を犯されている。顎を伝う汗をひと粒ふた粒、と数えていれば何の意味もない思考だろう、フッ、と息が漏れる。

「厭な女だわ、脂肪の塊よ?視るだけで胸焼けしそうでキモチワルイ。ほら酷い臭い、染み付いたらグズグズに刻んでやるから。それをアンタの気取った浴槽にばら蒔いて、脂が浮くバスタイムを愉しめばいいわドフラミンゴ。ねぇ、聞いてるの?私ひとり屍とお喋りなんて嫌よ、夢に出てきちゃうじゃないの」

後頭部越しにケタケタ笑い声を上げ、解体している名無しさんの矢鱈滅多なお喋りが心地よかった。悶々と立ち上る蒸気に混ざり漂う臭気をより一層かき混ぜるように、降り下ろした斧。タイルに座り夢中で女を断ち斬る潔さ、それに似つかない彼女の無垢な全てに惚れ惚れとする。気怠い頭を持ち上げ、視線を寄越すと、すっかり姿形が残らない只の肉片と化していた。確かに胸焼けしそうな脂肪だ、滴る脂に喉の奥深くがカラカラに渇く。上等なシェリー酒を渇きに流し入れ、残りを頭から被った。

「腹壊すから喰うなよ、フフフ!」
「可愛がってた人なのに」
「だからって喰う必要ねェだろ」
「そんなに愛でていたいの?」

すがる名無しさんの瞳は何故か爛々と輝いて映った。湿度で湿った髪を張り付け、籠る湯気に頬を真っ赤に染めるお前に酷く煽り立てられている。なんて知るよしもない名無しさんは嗚咽を堪えていた。

「気分でも悪くなったか?」

湯船から出している半身がベタついて不快なまま、ザバンと抜け出し、あらゆる薫りに酔っぱらいながら名無しさんの横に身体を寝そべらせた。

「血が…血が…付くわ」
「お前は血塗れだろ」
「私は構わない、」

泣きべそかいていたくせに、うっとり目を細めてタイルに塗りたくる生っ白い腕。血溜まりから掬ったヌルつく其れを太股に垂らし撫ぜた。クチクチと粘つく音を出す、耐えきれずに、歯を剥き噛みついた。柔な膚を傷付けないよう甘く甘く。
突拍子もない事をしでかす己、完全に意識と身体が別物に成り果ててしまうのにも慣れている。脳味噌に信号を送り込む途中で、道を外れた神経が行き場をさ迷い肉体を先に動かすから、たまったもんじゃない。周りが感じているより俺の方がほとほと呆れ返っている。

「名無しさん、なぁ名無しさん、」
「嫌!早く口を拭って、汚れちゃう」
「絶妙なソースだ、フッフッフッフ!」
「汚れちゃう…汚れちゃう…」

慌てて浴室を走り回る彼女が横を行ったり来たり、こんな取り乱した姿は初めてだった。込み上げる震え、汚れた手で胸を触り広げる。見開いた双眸で尻餅するのを捉え、我慢出来なかった笑いが響く。

酔っ払った星が溶けだし不可思議な雫をシェリー酒に混ぜ入れたのを名無しさんは、知らない。

俺だけの秘密。
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