海軍・海賊


□いろ世界
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鉛色の雲は分厚く漂い空を飲み込んでいる。
名無しさんはデスクに座る男へ、ヘンテコなハンドパワーで念を送ってみた。几帳面で神経質、そして我慢弱いと言える男はロブ・ルッチ。彼は今すぐにでも羽ペンを放り投げ、仕事にケチをつけ始めるだろう。デスクワークは得意だが、如何せん我慢弱い、几帳面に記しているが故に長時間の拘束はルッチを苛立たせるのだ。
名無しさんはルッチに早くペンを投げて欲しかった。こんなに灰色な日はベッドに潜り、頭を悩ませ鼓動を煽る様なミステリー小説が読みたくなる。子供の時みたく胸を高鳴らせる不思議な感覚が名無しさんは大好きだった。しかし飽きる様子もなくルッチは未だに背を向け、トレードマークの帽子はハットリの居場所となりルッチをキョロリと観察していた。何だか監督気取りな鳥だ。
「ルッチ、何か飲む?」
「……いや大丈夫だ」
声をかけたがルッチはジュク、とインクを染みらせた。ペン先を慎重に扱う指先は既に限界だろうに。爪が白くなるまで力が入り小刻みに震えている。仕方なく今は諦める事にした。機嫌を損ねたら延々と説教されるのが知れる為名無しさんはソファに身体を沈めた。



ルッチが集中して時計の針は一周と少しが経った。名無しさんはチョコチップクッキーを半分に割った。欠けた断面を合わせて、離して、合わせてを繰り返す。仕事の邪魔をしたくないが、退屈が限界に達してしまいそうになる。
嗚呼、どうすれば彼は振り向くだろう?

「月がピンクに染まる時を知ってる?」
名無しさんの突然の問い掛けにルッチは背凭れをギシリと鳴らし、椅子を回転させた。反応を示した事に名無しさんは笑みを浮かべる。
「名無しさんは知ってるのか?」
小首を傾げたルッチに、うんうんと頷いた。
「ほお」
なら早く教えろとばかりにルッチは足を組んで名無しさんを見た。
「こっち、今なら見れるわよ」
ソファに手招きをすればルッチは素直に歩み寄ってきた。書類に漸く飽きたのだろう。グンと伸びる姿は色っぽい。

でもね、そんなの、嘘。全部嘘。早くペンを投げて私だけを構ってよルッチ。
名無しさんは紅茶にチョコチップクッキーを丸々沈ませた。光の加減で琥珀色がピンクに、クッキーが月に…
「まあ、見えなくもない…な」
愛らしい名無しさん、お前にかかれば月すら我が物に出来るのか。とルッチは溺れた月に触れ、持ち上げた。空はすっかり濃紺に包まれ、星すらを隠す雲に覆われ続けている中…消えた月は神のみぞ知る。月を手に入れた男は隣人の女のみが知る、チープで甘ったるいカラー。

ルッチは月を噛み砕いた。

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