短編
□それは契約ではなく
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「へー。またいっぱい殺してるね」
「拓也!また極秘書類を覗き込むんじゃねえ!」
「ま、まあまあ。拓也も今はもう立派な門外顧問なんだし……」
つい先日正式に沢田家光から門外顧問の座を受け渡された拓也は、すぐ獄寺の傍を離れてへらへらと笑った。
拓也が先程まで眺めていた紙にはボス幹部、その他一部の重要人しか知ることのない情報が書かれており、本来拓也が目にすることは無い物。
獄寺は拓也の態度に苛立ちを感じたが、10代目の手前、拳を震わせて耐えた。
そのせいで獄寺が持っている書類がくしゃくしゃになったが、それくらいは被害に入らない。
二人が顔を合わせれば、物が壊れ――巻き込まれた人の――流血は避けられないからである。
10代目ボスは珍しく穏やかな二人のやりとりを見て苦笑しながら、獄寺から書類……もとい報告書を受け取った。
そのまま目を通し、処理済みと彫られている大きい判子を押した。
それを見届けると獄寺は、ソファに座り優雅に紅茶を飲む拓也の傍に詰めよった。
「お前は10代目の背中を守るのが役目だ。10代目と同じ方向を見る必要なんてないんだよ!」
それは拓也の10代目の情報を集める癖を咎める言葉だった。
当人はどこ吹く風で紅茶をずずっと、「ああこれは美味いわ」と感想を言いながら飲みほす。
獄寺のぶちりと堪忍袋が切れそうになったところで拓也は獄寺に向き直り、口を開いた。
「ボスとは背中合わせで一緒に戦ってるわけじゃない。私はボスの背中を見て、ボスを背後から狙うやつを殺す。
だからボスと同じ方向を、後ろから見ていないといけない。一緒に戦うのはボスの右腕である獄寺の役目だ」
「……そ、そうだな。敵に囲まれ追い詰められたとき、10代目が背中を預けてくださる……理想的だ……」
「ご、獄寺君、変なスイッチ入ってない?」
拓也はくく、と笑った。
その笑いには嘲笑が含まれていたのだが、浮かれている獄寺は気付かない。
「それじゃ、オレはこれで失礼します!」
獄寺は拓也の言葉からあがったテンションのまま意気揚々と10代目の執務室から出た。
扉が閉まり、余韻も無くなった頃、拓也は中身が空っぽとなったカップを持ち上げた。
「おかわり」
もし獄寺がここにいたら、烈火のごとく怒りだしただろう。拓也はそれを見越し、さっさと獄寺を追い返したのである。
10代目ボスはすでに諦めていて、おとなしくカップを受け取り、紅茶を淹れ始めた。
その様子を頬杖をつきながらみつめていた拓也はぽつりと呟く。
「後ろからボスを見てるってことは、ボスを狙える立場にもなるって気付いてないんだ。獄寺は」
「珍しく獄寺君を立てたと思ったら……本当、神経図太いよね」
「褒め言葉として受け取っとく。マフィアとしての素質を兼ね備えてるって意味で」
「じゃあオレもそれをほめ言葉として受け取っておく。神経過敏なオレはマフィアに向いてないって意味で」
10代目ボスは紅茶とシロップを拓也のソーサーに置いた。
拓也はシロップをいれず、カップを両手で持ち口に着ける。しかし紅茶を飲もうとはせず、喋り出す。
「最近殺すことが多いね」
「……向こうの動きが多いからね。もっとほかのマフィアと連携とらなきゃいけないかな」
一口飲みながらそれを聞き流し、ゆっくりとカップを置いた。
そして次の瞬間、窓が完全に締め切られた部屋に、鋭い風がふいた。
10代目ボスがそう思ったのと同時に、目の前にナイフを首に突き付ける拓也がいた。
つばを飲み込んだだけでも切れそうな力具合と鋭利な刃。
その刃にどこか似た彼の目。
今すぐ殺されてもおかしくないはずなのに、10代目ボスは静かに拓也を見つめていた。
ナイフがなければ、他人が見たらスパイ映画に出てきそうな服装を着ている二人は仕事仲間に見える。
人を忍んで会っているなら、この緊迫した雰囲気も納得できそうだ。
だが、明らかに二人の間の温度差が大きい。まるで幼いわが子が我儘を言い、それを微笑ましく見ている親のような。
暫くの間、奇妙な睨み合いが続いたが先に視線を外したのは拓也だった。
わざとらしく溜息をつきながらもナイフの矛先をずらすことはなく、ぼんやりと天井に着けられたシャンデリアを見つめる。
「……ボスが、今理想とするものから離れて行ったら……人を殺すことに躊躇を持てなくなったら──」
「わかってる。……その時はオレを殺してくれ」
拓也は静かに席を立ち、ボスの右手をとって口づける。
「ご命令とあらば、一生をかけて」
それは契約ではなく
(ねえ、拓也。お願い。もし、オレが――オレが、屍の上を歩くことに罪悪感がなくなったら、銃を持つことに嫌悪を抱かなくなったら)
(……仕方がないなぁ、ダメツナは。嫌な役を押し付けるのか?)
(ごめんな。本当に、ごめんなさい)
(許してやるよ。ほら、小指出せ)
((ゆーびきーりげんまん、うーそついたらはーりせんぼんのーます。ゆーびきった))
――それは遠い昔に交わした、ダメとアホ同士の約束だった。