W-姫と神官

□輪舞-募る想い
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「それでは姫様、お手を。」
「ええクリフト。お願い。」
青年はそっと手を差し出し、少女はためらわずその手に自分の手を重ねる。
スポットライトは月明かり。伴奏の音楽は夜にさえずる鈴虫。観客は…いない。

二人はぎこちなくそしておそるおそる確かめ合うように、ステップを踏んだ。

手から伝わる温もり、わずかな息遣いも肌で感じる距離。
青年―クリフトはこの上なく戸惑いそして嬉しく思っていた。
密かに想いを寄せる少女―大国の可憐な姫、アリーナとこうして人目を忍んで会っている。

だがもちろん二人の間柄は主君と臣下でしかない。
今こうして二人が戸惑いながら楽しげに踊るのには、訳があった。

それは遡る事一カ月ほど前。

クリフトは書棚からある本を持ち出すため廊下を歩いていた。
世界を救うための導かれし仲間達そして勇者との旅を終えた今、平和な毎日をかみしめるように過ごす日々。

その日常は喜びで満たされるはずなのに、彼にはとても大切なものがぽっかりと欠けてしまっていた。

人知れず慕っていた主君―アリーナとの旅が終わった今、姫の傍に常にいられるわけもなく、クリフトは表現しきれぬ寂しさと空虚に悩まされていた。
なんと自分は煩悩の人間なのだろう。そして愚かなのだろう…と。

さてそんな思いを変わらず抱えていたクリフトであるが、彼が気晴らし兼集中力を高めるための本を持ち出すために城の廊下を歩いていた話に戻る。

アリーナがブライから勉学を教わる時の部屋の扉の前にさしかかった時、いつもならただ切ない瞳で見つめているものだが、今日はそうはいかなかった。

なぜなら、鈴の音のようでそれでも威勢のある声が響いたからだった。
「な、なんですって?!!いやよ、私行かないわ!!!」

「姫様…!」

不意に聞こえた意中の人の声にクリフトの胸は騒いだ。
その後、その胸の騒ぎはざわめきに変わる。

アリーナが行かないと嫌がる事…それは王家の務めの何かであろう。

そして年頃の姫となれば、容易に想像できるものがある。

…他国の王家もしくは名のある貴族との縁談の話…だろうと。

ずっと会った時からわかっていたことなのに、現実に直面するとてんで事の重大さを覚悟していなかったのだなと、クリフトはうなだれた。

そんなことを考えている間に、部屋の扉が開く。

「あ、クリフト!」

姿を現したのは、ずっとずっと考えていたアリーナだった。

「姫様?!」

クリフトは不意に息をのみこんだ。

彼女は姫だ。上品なドレスに身を包むのは当然の光景なのだが、こうして間近で改めて見て、クリフトは思わず後ろへたじろいでしまった。


たしかブライであろう老人の怒っているような声も遠くで聞こえていたのを思い出す。
口論しているうちにいてもたってもいられなくなったアリーナが部屋を飛び出したのであろう。

なんとも彼女らしい行動だ。

「姫様!まだ話は終わってませんぞ!」
部屋の奥からじりじりと迫ってくるような足音とブライの怒気を含んだ声が聞こえてくる。
「クリフトお願い!何かブライから逃げられる呪文をだして!」

「に、逃げ…?」
「だぁーいじょうぶよ、城から逃げるなんてしないわ!今はブライともう話したくないの!」

懇願するアリーナと近づくブライの足音に冷静さを失ったクリフトは、ブライの半身が扉の影から見えた時点で呪文を唱えてしまった。

もちろんその呪文はザキ…なんてことはもちろんなく、マヌーサである。

呪文に達者なブライ相手にも効果はてきめんだったようで、視界がぼやけた彼はそのまま派手にドアに頭をぶつけてうずくまっていた。

「行きましょ!」

「ひ、姫様!」

アリーナはウインクをした後、クリフトの服の袖口をちょんとつかんで走り出す。

クリフトは足がもつれないように気をつけながら彼女を追いかけた。

背後から「おのれクリフト」のような言葉が聞こえたが今は気にしないでおこう。
クリフトはそう気持ちを落ち着かせようとして、ただ目の前を走るアリーナを見つめていた。

「ふう、やっぱり走るって気持ちいいわ。」

人気のないテラスまで逃げた後、アリーナは気持ちよさげに腕を伸ばした。

後ろをついて行ったクリフトは、彼女が走ったことによりひらひらと舞ったレースを思い出しドキドキと動揺していた。

クリフトは胸の騒ぎが落ち着いた時、アリーナに訳を尋ねようと思った。けれど躊躇ってしまう。
自分の予想通り、アリーナに縁談の話が舞い込んできたという事なら…耳をふさいででも聞きたくない。
例え彼女本人が嫌がる話であっても、だ。

「まったく、お父様のいい加減さにも困ったものだわ。あたしもだけど。」

しかし自分から尋ねないでおいたのに、あろうことかアリーナ本人から訳を聞く流れになってしまった。

しかしクリフトが「そんな話聞きたくありません!」なんてもちろん口が裂けても言えるはずがない。

アリーナは困った顔をしながら口を開いた。

「今度舞踏会に出なくてはいけないみたいなの。」

「ぶとう…」
彼女の言葉に、クリフトは少しだけ安堵のため息がでる。
舞踏会は王家と貴族の嗜みの交遊会。その場で縁談を持ち込むケースもままあるだろうが、とりあえずは聞いていて耐えられる範疇の事だった。
「姫様もその会に出られる時になったのですね、嬉しく思います。」

今までは彼女の年齢、そして彼女自身の意思もありその会にはアリーナは席を外していた。
クリフトが社交辞令のようにすらすらとその言葉を告げると、アリーナは困惑していた表情をむすっとしたものに変えてしまった。
「私、舞踏会だと思わないで行くって言ってしまったの。だからとても騙された気分で悔しいわ。」

「え、それでは国王様が…」
まさか舞踏会であることを隠してまでアリーナに出席させようと?

そう考えた後、アリーナは少しだけ恥ずかしそうに顔をそらした。

「お父様が私に話を持ってきたとき、私は“武闘会”だと勘違いしてしまったのよ。行くって言った後、お父様の異常な喜び様を見ておかしいなと思ったんだけど…」

それを聞いた途端、クリフトは思わず吹き出してしまった。

「笑っちゃうよね。お互いそのあと確認もしないでいたから、お父様がどんどん話を進めたらしいの。今じゃあたしが出ないとお父様が困る事態にまでなってるってブライがさっき説教にきて。それで口論になっちゃったんだ。」

なるほど話が繋がった。

「姫様、出席されるのは大変かと思いますが、今出ておけば今後の会で席を外しやすくなると思いますよ。」

決まってしまったことは致し方ない。クリフトは気休めにしかならないかもしれないが、彼女のことを考えた上で精いっぱいの励ましをした。

「そうね…今回だけと思えば、我慢できないこともないんだけど…。だけど…」

アリーナはそう言ってから、少し恥ずかしそうにもじもじとしてしまう。

それを見ていたクリフトに、ある考えがよぎった。

そして、それを確かめるべくおずおずと口を開く。

「失礼ながら姫様、舞踏の嗜みは…」

「ないわ。小さい頃習うのが嫌で先生を困らせたくらいだもの。」

「…左様でしたか。」

容易に目に浮かぶ光景である。クリフトはもちろん、彼女のそんなところも魅かれる対象なのだが。

「それでね、もちろん行きたくない気持ちもあるんだけど…それ以上に、舞踏会なのに踊れないなんて…かえってお父様の顔に泥を塗ってしまうんじゃないかしら。だから行きたくない。どうしても。」

結局は、父を思っての反抗だったのだ。
クリフトはそう気付いて温かい気持ちになった。
もちろん舞踏会自体に抵抗はあるだろうが、それでも解決策はある。

クリフトはこの時、自分でも驚くぐらい勇気ある発言をした。

「それならば姫様、このクリフトでよければ舞踏の練習をお相手させていただきます。」

クリフトはもちろん本業が神官なので、舞踏会なんて出れるはずもないのだが、城で生活をしていると、自然と習う機会は十二分にあったのだ。
物覚えもよく真面目な彼のことだから、アリーナにわかりやすく教えることもできたのである。





そうして一カ月が経った今、城が寝静まった夜に二人は毎晩舞踏会に向けて練習をしていた。

元来体を動かすことを得意とするアリーナは、クリフトの教えの良さも相まって驚く速さで上達していくのである。

すっかり今では教えることもなくなり、ただただ二人手をとり踊りを楽しんでいた。

練習を切り上げる時、アリーナはクリフトにふわりと笑いかけた。

「これで安心して本番に臨めるわ。ありがとう、クリフト。」
「お役に立てて何よりです。こちらこそ拙い教えに付き合っていただいて…。」

舞踏会はもう明後日と迫っていた。

つい最近になって知ったのだが、今回その会が開かれるのは驚くことにサントハイム城内であった。
どうりで、アリーナが舞踏会に初めて出席することが大事となっていたわけである。
「でもずっと相手をしてくれたのがクリフトだから、他の人と上手にできるか心配だわ。」

「いいえ、むしろ私なぞの相手をこなしてくださる姫様でしたら、どんな方とでもきっと…」


楽しく踊れますよ。

その一言が、言えなかった。

クリフトはそこでまた、つらい現実が迫ってきていることに改めて気付いた。

もちろん神官である自分は、舞踏会の会場にすら入れないであろう。

自分の目が届かぬ所で、想い人は誰かほかの男と優雅に舞踏を楽しむわけだ。
それもその男は、自分と違って“由緒ある身分”の者。


つまり、アリーナの相手として不足なしの…。

「クリフト?」

長い間黙りこくってしまったらしい。
アリーナはどうしていいかわからずおろおろとしてしまっていた。

「す、すみません、ちょっとうとうととしてしまいまして…。」

「あ、そっか。もうこんな時間だもんね。それじゃあ、今までありがとうクリフト。おやすみなさい。」

そう言って軽やかにステップを踏んだあと、アリーナは部屋の扉へと歩き出した。

「あ…」

「ん?なあに?」
クリフトの呆けた言葉に、少し心配そうにアリーナが振り返った。
「もう、よろしいのですか…。」

言ってから、しまった、と口を手でふさいだ。

なんてことを言ってしまったんだ。

なんてことを望んでしまったんだ…。


「明日も練習してくれるの?」

しかしクリフトの焦りと裏腹に、アリーナは朗らかに笑いかけてくれた。


「姫様、その…」

言われてみれば明日は、舞踏会に参加する方々が到着される。

当然前夜祭とばかりに宴が開かれ、アリーナにはクリフトの相手をしている時間はないだろう。

「隙を見てあたしが抜け出せたら、もう一度踊りましょ!」

そう言ってアリーナはかわいらしく笑い、誰かに見られないうちにと軽やかな足取りで部屋をあとにした。

クリフトはしばらく立ち尽くしていた。

愚かな願いは、太陽のような笑みで膨らんでいく…。
クリフトの想いは、もう焦がれるほどのものだった。


次の夜、アリーナは今までの練習に使った部屋に訪れてこなかった。

理由は言われなくてもわかる。

主役ともいえる彼女は注目の的で、様々な御方とのお相手をなされていて、とても抜け出すなんてできるわけがない。

当然、ここに来るわけがないのに。

それなのに、クリフトは鎖で繋がれたかのようにその部屋から出ることはできなかった。

ただ、来るはずのない人のことを思って夜が明けた。




いつのまにかその部屋で眠ってしまっていたらしい。

体を何度もゆすられ声をかけられる。
ゆっくりと瞼を開くと、正装をしたブライと何人かの女中がいた。

「あっ…ブライ様…?」
クリフトは一瞬にして眠気が晴れ、慌てて壁にもたれかかっていた半身を起し立ち上がる。

「ようやく起きたか。それにしてもなんでこんな所で眠っておったんじゃ。おかげで探すのに骨が折れたわい。」

「す、すみません考え事をしてたら、つい自分でも気付かぬうちに…。」

そう言ってからはたと首を傾げる。

「私を探していたとは…どういうことです?」

「うーむ。そうなんじゃ。急いで仕度をしてもらわねばな。お主、まずは風呂に入ることからせねば。」

「仕度…?なぜ私がそのような。」
そう言ってから、改めて正装したブライの格好を不思議に思う。

「ふむ。わしも昨日国王様に呼び出されて慌てていたわけなんじゃが。今宵の舞踏会には国王様と姫様だけでなく…ワシとクリフトも出席する必要があるんじゃと。」

「えっ?!」
これには驚いた。アリーナの教育係であるブライならともかく、なぜ一介の神官の自分にまで…と動揺を隠せない。

「お主、一介の神官の自分がなんで…という顔をしておるのう。」

「え、ええ。ですからなぜ私が…。」

それを聞くと、後ろに控えていた女中たちがくすりと笑みをこぼした。
その中でブライは溜息をつく。

「お主は勇者殿と共に戦い世界を救った一人であることをもう忘れてしまったのか?」

「あっ…。」

そうか、一介の神官でありながらも、世界中に知られた功績はあったのだ。

「どうやら姫様の護衛を果たしつつ、導かれし仲間であったワシらも王族貴族の関心の対象になるらしいの。」

そこまでいってからブライは、衣装は用意してあるからすぐに仕度をしろ、と告げる。

クリフトは女中に案内された部屋で仕度をすませた。

仕度を終え時間がいくらか経ち、二人は案内のもと会場へ向けて歩いていた。

「しかし…神官の私は断るべきだと思うのですが…。」

「観念せい、国王様からの命令じゃ。」


そう言われては何も言い返せない。
やれやれと溜息をつきながらも、それでもクリフトの胸中には舞踏会でのアリーナを見つめていられる、という喜びがあった。

そう思った直後に、またすぐ誰か他の男性と踊る彼女を見るハメになってしまうのだろうと考え、彼を纏う空気は重くなるのだが…。
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