W-姫と神官
□繋ぐために、隣にいて
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過ぎた昔に戻りたいという願いほど、虚しく心でこだまするものはない。
だけど、意図せずとも知らぬ間に考えている時がある。
「ひめさま、できましたよ。」
野花のいくつかを使ってできた花の輪の冠。自分はいそいそと作り上げると、隣で寝転がって青空を見ているまだ幼い一国の姫に声をかけた。
「わぁ、かわいい。」
目の前の幼い姫は上体を起こしてとびきりの笑顔を見せてくれる。思えばこんな時から、彼女の虜だったのだ僕は。
「どうぞ。」
自分は立ちあがり、栗色の髪の毛が輝く彼女の頭にそっと花の冠を乗せてあげた。
「これで少しは、じいも見直すかしら?」
「見直すも何も、ひめさまははじめからとてもかわいいですよ。」
やはり子供というのは怖さを知らない。
今となっては恐れ多い言葉を、その時は自分も笑顔で愛しい人の前で告げた。
「えへ、なんでかしら。お父さまやお城の人達におなじこと言われるよりずっとね、クリフトに言われると…」
「ひめさま?」
「胸がどきどきしてるみたい。」
「えっ、その、そのような…」
既にこの頃から引け腰になりやすいことは変わっていないらしい。
「クリフトにも、葉っぱで冠作ってあげたいけど…あたしは下手だからなぁ…。」
「大丈夫ですひめさま。私に冠は必要ありません。」
「そうなの?どうして?」
「…それは。」
貴女様とは、身分が違いますから。
行き着く言葉は、全てこの一言だった。
一介の神官から、天空の勇者と旅を共にした導かれし仲間の一人と称えられる今となっても、彼―クリフトはアリーナとの身分の差を縮められたとは思えなかった。
「まったく、笑えてくる…。」
薄暗い部屋にこだました独り言。今彼は、自分が声をあげたことにも気付いていないほど物思いにふけっていた。
おかれた状況の彼女との差はこれっぽっちも変えられたと思えない。
だけどそれなのに、彼女への想いは旅を始める前よりずっと。
ずっとずっとずっと、強く大きいものへと育っていってしまった。
ふと本棚から一冊の本を手に取る。
分厚い神学の本に一枚だけ忍び込ませた、アリーナを隠し撮りした写真がでてきた。
ほがらかに笑い陽の光を浴びるその姿をとらえた写真を見ていると、不思議と旅する前のことを思いだしていく。
どうしようもなく好きだったことは、今にはじまった話じゃない。
前とどこか変わってしまったこの気持ち。
好きという気持ちにまとわりつく“欲望”が、魔物のように自分の胸に巣くいだしていることに彼は気付いていた。
けれどアリーナから距離をおく覚悟もなければ、周りを恐れず彼女へ迫る勇気も見つけられなかった。
コンコン。
一つ、控えめに扉をたたく音が響いた。
クリフトは少し驚いてから「はい、今でますね。」と、扉の向こうの見えない来客へ声をかける。
「このような時間に誰だろう…」
城の空気も眠りに沈もうとしていた頃の夜更け。
クリフトは蝋燭の一本に火を灯し、先ほどより部屋を明るくした。
ドアノブに手をかけ、そっと扉を開く。
まさか扉を開けた先に彼女がいるなんて。
視界に、ネグリジェ姿のアリーナを見た時、クリフトは思考が停止した。
「ごめんクリフト、寝てた?」
ぼそぼそと小声で話すアリーナ。彼女に誰の付き添いもないこと、何かから隠れるように身を縮めている様子。
それらを見てわかる通り、クリフトはアリーナが国王に無断でここへ来たことが窺えた。
「迷惑じゃなければ、部屋にお邪魔していいかしら。」
「…姫様。」
戸惑い咎めるように声をかける。
しかし、アリーナが深刻そうな表情をしていることに気付く。
寒さのためか肩を少しだけ震わして、小さくなっている彼女をこのまま見過ごすなんて、クリフトにはできなかった。
「ええ、狭いですが…。」
やめておけという警鐘が脳裏で鳴り響く中、彼はアリーナを部屋に通した。
「ありがと。」
アリーナは通されるが早く、素早くクリフトの部屋に身を入れた。
そして一直線にクリフトのベッドになだれこみ、一人横になっていた。
クリフトは胸中の黒い部分がむくりと大きくなるのを感じ、慌てて声をかける。
「ひ、姫様!眠られるのでしたら、お部屋の方へ…」
「寝ないわ。」
かえってくるのは、意地を張っている時の姫の声。
「しかし…!!」
「クリフト、どうして怒ってるの?」
「怒ってません。」
「ウソ。いつもよりずっと怖いよ…?」
「それ…は…」
言わなくてもわかってほしい。
年頃の娘が男の寝室で横になるだなんて、無防備にもほどがある。
クリフトは神官という職業柄、自分を律することは達者であった。
しかし、アリーナの前に限って、その理性の働きは全く期待ができないのだ。
要するに、既に彼はなけなしの理性と戦っている最中だったのである。
「昔はよく、一緒のベッドで寝たよね。」
突然の言葉に、クリフトはどきりと胸を高鳴らせた。
アリーナが昔を懐かしむ話をするだなんて、なんと珍しい。
「クリフトの手ってぎゅっと握ると温かくて…どんなに怖い夢を見た後でも…気持ちよく眠れたんだっけ…。」
「…」
なにか、あったのだろうか。
クリフトは彼女の遠くを見る瞳が、ひどく悲しい色を帯びていることに気付いた。
「姫様が昔を懐かしまれるとは、珍しいですね。」
頭ごなしに部屋に戻るように言っても埒があかないだろうと考えた彼は、彼女の何かしらの不安の思いをなだめることにした。
そもそもは、自分の優柔不断で部屋に通したのだから。
それをまたすぐ部屋を出るように言うだなんて、自分勝手もいいとこだ。
「うん、前を見てまっすぐ進んでいきたいから。あまり昔のことばかり考えない。」
アリーナはクリフトのベッドにうつ伏せで横になったまま。
「姫様らしいですね。さて…お茶でも淹れましょうか。」
そう言って流しの前に立ち、クリフトはお茶の用意を始める。
「らしくないでしょ、今の私。」
背後から聞こえる声。その声にいつもの活力がない。
「その…辛そうに見えます…と言っては失礼でしょうか。」
「ううん。」
短い言葉で返されてしまって、会話が途切れる。
けれどやかんを用意するとまた声が届いた。
「会いたいからなの。」
「姫様?」
「昔のクリフトに会いたくて思い出してたんだよ。」
「ひめさ…」
振り返ると、アリーナはベッドの上で座った姿勢でこちらに笑いかけていた。
少女の切ない笑みは、何かを隠している。
「クリフトの温かい手で、もう一度あの時みたいに眠りたい。」
「!」
彼の頬が染め上がり鼓動が一段と速くなった。
けれど彼女は純粋な願いを言っているだけなんだと自分に言い聞かせる。
言い聞かせているうちに、身動きがとれなくなってしまう。
「お願いクリフト。わかってるよ、変なこと言ってるって。クリフトを困らせているだけだって…。」
「ひ、姫様、」
どうしていいかわからず、彼女に駆け寄ることもできない。
沈黙が続いていくと、やかんから蒸気がふきでる音が部屋にこだまする。
黙っていても仕方がない。
クリフトは、彼女を怖がらせてしまうだろうと躊躇いながら、率直に言った。
「私はもう…子供ではないんですよ。」
愛する人への求め方を知識だけでも知ってしまっている。
あの頃のように戻るだなんて、もう虚しいだけの願い。
びくりと震えるアリーナを見て、クリフトは形容しきれない思いが胸に溢れかえった。
「姫様を傷モノにだなんてしたくないんです。どうか、ご勘弁を。」
振り絞る声で告げると、ベッドから彼女の降りる足音がする。
聞き分けてくださった…と、安堵か落胆かもわからぬ溜息をついたあと、火をとめるため流しに振り向いた。その時彼は一度呼吸を忘れることになる。
「クリフトに求められたなら傷じゃない…!傷じゃ、ないよっ…」
アリーナはクリフトの背に身を傾けしがみついていた。
クリフトは、流しに手をおいてそこをギリリ、と音がするまで握りしめる。
さもなくば、振り向いて壊れるほどに彼女を抱きしめてしまう。
「もしかしたら…ううん、きっとあたしもうすぐ結婚をさせられる。」
「…!!」
それを聞いて、クリフトの体が強張った。
「ねえどうして大人になるの…。どうして子供じゃいられないの。気持ちが一緒に追いついてくれたことなんて…ないのに。」
「わたし…は…」
好きだ。
好きだ、どうしようもなく。
その思いが感覚として騒がしくなるから、クリフトはまともに言葉を紡げなかった。
今ここで取り繕った言葉なんて、彼女には届かないだろう。
なにせ、幼いころ自分は少女に告げていた。
花の冠をあげるよりもずっと前のこと。
おそらく身分のこともよく知らないほど幼く、出逢って間もない頃のこと。
「す、き?」
「うん。ひめさまがすきです。」
「すきって、けっこんするってこと?」
「ボクたちがおとなになれたらきっと。」
この思いはもうずっと知られていた。
届いていたかどうかはわからないけれど、彼女は知っていて、その上で一緒にいてくれたのだ。
隣にいた自分は、やがて現実への覚悟に動きを鈍くして少しずつ彼女の後ろを歩くようになる。
そして今、目の前を先導きってくれた彼女が自分の隣にくるまで足どりがおぼつかなくなっている。
ダメだと思いながらも、そんな彼女を支えたい。
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