W-姫と神官
□風が撫でた秘密
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それは実りの季節の心地のいい風が吹く時。
事件は起きた。
「ひ、姫様、今なんとおっしゃいましたっ?!」
物静かな教会の空気を切り裂くように響く一人の神官の声。
言うまでもなく、主君への恋心に悩める青年・クリフトによるものだった。
彼が場にそぐわぬ素っ頓狂な声をあげるきっかけとなったのは、目の前でかわいらしく立つ乙女―アリーナ姫の発言である。
幸いなことに、今は真夜中。こんな夜遅くに巡礼者も神父もいないので彼の大声は誰かの迷惑にならずにすんだ。
「クリフト、どうして?」
アリーナはきょとん、と首を傾げる。そんな小動物のような愛らしい仕草を見て頬を染めながら、クリフトは首を横に振る。
「え、エンドールで行われる祝祭に一般人に扮装して参加するだなんて、ダメです!」
「そ、そんな頭ごなしに言わないでよぅ…」
クリフトからの圧力にも似た鋭い視線に目をそらしながら、アリーナは頬を膨らませていた。
今度行われるエンドールの祝祭は、例年と違う趣向がある事で人々の話題にのぼり、また例年以上の関心が寄せられていた。
モニカ姫の結婚が関係あるのかないのかは定かでないが、今年の夜の部の祝祭の入場は男女の二人一組であることが条件なのである。
ちなみに昼の時間帯に行われる催しは例年通り、入場規制はなく自由だそうだ。
さて、男女の二人組とはいうが、つまりは恋人か夫婦であることが条件であることが窺える。
アリーナはその祝祭に、サントハイムからの来賓ではなく、一般人として参加したいというのだ。
アリーナの身の安全、そして彼女が行ってしまえばひどく心配するであろう国王やブライを思うと、彼女には来賓として参加してほしいとクリフトは思った。
そう訴えても、アリーナは首をぶんぶんと振って苦虫をかみつぶしたような表情になる。
「サントハイムの姫として祝祭に行ったって、何も面白くないわ!」
「そうでしょうか、混雑した人々の間にいることはなく、玉座の傍に用意された快適な席でエンドールの王家の方々とお食事を…」
「…それが私にとってどれだけ退屈なことか。クリフトならわかってくれるでしょう?」
「…それは…」
主張を曲げようとしないアリーナに、クリフトも表情を渋くした。
「第一、 どの方と行くというのですか…。」
「え?」
「エンドールの祝祭は例年と趣向がかなり変わっていることは、姫様でしたら既にお聞きでしょう?その…男女一組で行かなくては、一般の方々は参加できないと…」
アリーナの身だのそれを心配してしまう国王やブライの気持ちだのと言葉を並べたが、クリフトにとって最も気になりまた気に病んでいることがこれだったのだ。
アリーナと付き添いで行く男性の存在…恋に悩める神官の心を黒く塗りつぶすには充分すぎる原因である。
…そんな憂鬱な気持ちを一瞬にして蹴破るように、きょとんとした声音のアリーナの言葉がクリフトの耳に届いた。
「そんなの、クリフトにきまってるじゃない。」
「え」
「だから私、今日は城の見張りの目を盗んでクリフトに相談に来たのよっ!」
「ひ、姫様」
黒い心の神官はいずこへ…。
今アリーナの目の前には、頬を真っ赤に染めた青年がいるだけだった。
「…も、もしかしてその祝祭の日は、クリフト御用事があったの?!」
おろおろと動揺してしまっているクリフトを見て、アリーナは突然悲鳴をあげるような声をだした。
「えっと、その…」
先ほどまで断固として彼女を行かせないと心に誓った決意と、アリーナに当然のように付き添いへ指名された喜びが心に共存し、彼の心はぐらぐらと揺れてまともに言葉を発せなかった。
「ど、どうしよう…そしたら私参加できないわ…」
ついにはひどく落ち込む様子で、アリーナはうつむいてしまった。
「よ、用事はありません!!」
そんな彼女をいじらしく思い、クリフトは考えるより先に言葉を発した。
「本当?よかった。」
クリフトの言葉を聞いたアリーナは、抱きしめてしまいたいほどの満面の笑みを浮かべる。
照れくさそうに頬をかきながら、クリフトもアリーナに微笑み返した。
「それじゃぁ、何も問題はないわね!うまいことお父様やブライをごまかして行きましょう!!」
「ひ、姫様…」
落ち込むアリーナを見たくはないが、それでもやはり彼女が何か騒動に巻き込まれてしまいやしないか、と心配である。
クリフトは、行くことを思いとどまってほしい、と声音で伝えてみる。そんな彼からの呼び掛けを聞いてアリーナはまた不安げに表情を曇らせた。
「え?やっぱり何かあるの?」
「いえ…そうではなくて…」
どう説得したものか、と頭をかきながらクリフトは考え出した。
「それともあたしが恋人の役じゃ嫌?」
「そんなことっ!!願ってもないっ!!私は!!私は、むしろ姫様でなくて…は…」
クリフトはとんでもない速さで勢いよく言葉を紡いだが、途中から自分の発言に赤面していってしまう。
首を傾げているままのアリーナをちらちらと見やりながら、ごにょごにょと濁すように彼は段々と小声になっていった。
「わ、わかりました。役者不足ながら、私が御一緒します…」
「ありがとう!!嬉しいわぁ、今から楽しみでワクワクしちゃうっ」
「しかしどうして夜の一般参加をご希望なのですか?昼間の祝祭は例年通りとのことですし、そちらだけ楽しむという方法も…」
クリフトは若干胸をとくとくと騒がせながら思いきって聞いてみた。
彼はアリーナからの、恋人と連れ添って行くなんともロマンチックな祝祭を見てみたい、という乙女らしい返答をほのかに期待していたのだ。
「どうしてって、まずあのすっごい立派なコロシアムのあるエンドールでやるお祭りだから、何か戦える!と思って。それに夜なら、より強い人と戦えるんじゃないかしらっ」
…ほのかに期待していただけだから、何も残念がることはない。
と、クリフトは懸命に自分の胸の内で繰り返し自身を励ましていた。
そして、幾日か経ったある日のこと。
「やあいらっしゃい、普通の家であまり特別なおもてなしはできないけど、ゆっくりしていってくださいよ。」
優しく出迎えてくれるトルネコの笑顔を見て、クリフトとアリーナは安心したように溜息をついた。
二人が今こうして、エンドールへ行くことに怪しまれずに済んだのは、この城下町にトルネコ一家が住んでいたからだった。
かつての旅の仲間に会いに行きたい、という名目のため全く疑われることもお咎めもない。
そしてかつて世界を救った一行の一員であることは周知の事実のため、この二人に護衛はいらないだろう、と判断され兵士が着いてくる事もなく、身軽にこの町へ来られたというわけだった。
「それでブライさんはどうしたんです?」
もちろんのこと、トルネコには事情を全て話した上で協力してもらっている。
トルネコは気がかりだったもう一人の仲間の所在を尋ねた。
「天の助けかしら、出発する時はたまたま腰を痛めて寝込んでたのよ。」
ブライの身を案じているアリーナには、あまりうかれて言える内容ではないが、それでもその表情はうきうきと明るいものである。
「さてお二人も無事来られたことだし…私はそろそろまた噂の武器でも探しに行こうかな。」
「トルネコさんは祝祭に参加なさらないのですか?」
「そうよ、ネネさんと一緒に行けるじゃない?」
椅子から立ち上がる彼に、サントハイムの二人は慌てて声をかけた。
「夜の祝祭は元々行くつもりないですよ、ポポロを一人家に残せないでしょう。」
「あ、そっか…」
アリーナは離れたソファでネネと座りながら、興味津津にこちらを見やっている少年に視線を送った。
「旅の出立は早い方が良いですし、祝祭は昼のうちにネネとポポロで楽しんでもらえればと思いまして。」
「トルネコさんが不在の時にお邪魔してしまうとは…申し訳ありません。」
クリフトがそこで頭を下げると、机の上にお茶菓子が盛られた籠がおかれる。
彼が顔をあげると、机の傍らにはいつの間にかネネが立って微笑んでいた
「そんな気にしないでください、この人が不在なのはいつものことですから。」
「…ネネのその言葉は、私が気になる発言だ…。いつも苦労かけてすまない。」
トルネコが冷や汗を浮かべながら苦笑すると、ネネは優しい笑顔を崩さぬままトルネコに向いた。
「いいえ、そういうつもりじゃないのよ。でもどうか気をつけて帰ってきてください。」
「ああ、もちろん。」
「なんだかあの二人を見ていると心がぽかぽかしてくるね。」
アリーナが隣に座るクリフトに身を寄せながら囁いた。
「…そうですね。」
彼が隣の人を見つめるその瞳は、優しさと切なさが入り混じっていた。
アリーナは姫君である立場である上に、母親をすぐに亡くしている。
当たり前の家族が、彼女にとってどれほど遠いものか。クリフトはいつもそこまで考えて、ちくちくと心にくるむず痒い痛みに耐えていた。
宿屋は祝祭の影響で部屋をとれる状況ではなかった。
そのため、二人はこの日から祝祭が終わるまで、トルネコの家でお世話になるのである。
祝祭までの数日はあっという間に過ぎ去り、いよいよ明日がその祝祭の開催日、という時。
お店を閉じた時の後片付けを、アリーナが手伝っている様子を見て、ポポロが瞳を輝かせた。
「わぁ、お姉ちゃんすっごい力持ち!どうしてそんな重い物を持てるの?」
ポポロの視線の先には、トルネコが旅途中で手に入れた非常に大きな銅の置物をひょいと抱えあげるアリーナがいた。
「えへへ、鍛えてるからね!」
「へー!じゃぁボクも鍛えたらそれぐらい力持ちになれる?」
ますます瞳を輝かせるポポロに、アリーナは自然と笑顔になっていく。
「そうねー、私の域にたどり着くまでには相当の修行が必要だけど。それでも頑張り続けたらきっと…ね!」
そこまで言ってから、アリーナは「クリフトー!箒持ってきてー!」と大声で姿の見えない彼を呼びつけた。