W-姫と神官

□大切なのに…
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「姫様、宿に戻りますぞ!」

ブライの怒ったような、そして焦ったような声音が響く。

「いやーよ!どうして私だけ戻らなくちゃいけないの!」

それに対して返ってくるのは、不機嫌そうに頬を膨らませたアリーナの声。
言いながら立ちあがり、目の前の世話役老人を真正面から睨んでいる。

一瞬ひるむブライであったが、彼も負けてはいない。

「姫様は今何時と御思いか!それに何よりこの酒場は、姫様に相応しい場ではありません!早々に宿に御戻りを!!」
握っている杖をツカツカと床に打ちつけながら、本来の自分の使命―この危険な旅に乗り出した姫を守る為、厳しく目の前のアリーナに告げる。

ブライが頑なな態度をとるのも無理はない。

今、勇者ソロ率いる旅の一行はモンバーバラの酒場で休息をとっているところだった。

“スタンシアラ王を笑わせれば、ほうびのものがもらえる”
という、なんとも不可思議な課題をこなすため、旅芸人パノンを探しにここモンバーバラまでやってきたのである。

辿り着いたのが夕暮れであり、皆それぞれ休息を必要としていた為、酒場に繰り出すには早すぎる時間からずっとこの店にいたのだ。

月が真上に昇るまでそう遠くない時分、段々と店の客や雰囲気が妖しく本来の酒場の姿に近づいていくのを感じ取ったブライは、なんとかまだ幼さの残るアリーナを宿屋に戻ってもらえるように説得していたというわけである。

「ブライのわからずやっ!」
「わからずやで結構!宿に御戻りを!」

ぴりぴりとした空気を眠たそうな目で見ていたマーニャが、かったるげにグラスを二つ差し出す。

「ねぇ、せっかくの滅多にない休息なのよ?そんなピリピリしてないでさぁ、これでも飲んでゆっくりしてってば。」

マーニャが差しだしたのは、ブライには透き通るような透明の液体、アリーナには彼女の栗色の髪の毛を連想させるような鮮やかなオレンジの液体の入ったグラスだった。

「飲酒を促すとは、マーニャ殿!」
「お酒じゃないってば。」

にひひ、と笑いながらマーニャが手を振る。

「おじいちゃんにはお水、アリーナにはオレンジジュースよ。ほら、まずは落ち着いて話し合おうじゃないの。」

ふむ、とブライが頷いてから差し出されたグラスに手をつけ、ぐいっと勢いよく飲み下す。

アリーナもしぶしぶグラスを手にとって、ブライにならおうとした時、マーニャのにた笑いが深くなっていることに気付いて思わずその手を止めた。

と、同時に、目の前のブライがドサっという擬音と共に倒れてしまった。


「ブライ?!」

慌てて自分の持っていたグラスを机に置いて、横たわるブライに駆け寄る。

顔を見てみれば、頭をふらつかせて目をまわしているではないか。
何かの病気の症状だろうか、とアリーナが顔を青くした時、ふとマーニャのにたりと笑った顔が思い浮かぶ。

そんな時に、ソロのため息まじりの声が彼女の耳に届いた。

「あのなぁ…ブライにやった酒、オレでも一気には飲めない強すぎるやつじゃねぇか。」

「頑固なおじいちゃんにはいいお薬でしょ?」

「オレだったら絶対嫌だけどね。」

そんなソロとマーニャのやり取りを聞いて、なるほどとアリーナは頷いた。

ソロでも飲みがたいかなり強い酒を、水を飲む要領で一気に飲んだのだから、そのショックで気を失ってしまったのだろう。

健康に害がないかどうか判断しかねたので不安だったが、クリフトに見てもらえばなんとかしてくれるだろうと思い直し、アリーナはほぅとため息をついた。

「さーさ、アリーナ!ブライもおねんねしたことだし、一緒に飲もー!」

ブライを、自分が脱いだマントの上に寝かせてから席に座りなおしたアリーナに、マーニャが自分のグラスを見せつける。
アリーナの目前にあるオレンジ色のグラスが、ジュースでないことはもう明らかである。

マーニャのグラスと自分のグラスを見比べてから、不安げにアリーナは口を開いた。

「でも…あたし、早く宿に戻るのが嫌だっただけだもの」
「なに眠たいこと言ってんの!ブライに見張られてない時にこうして酒場にいれるなんて、この先だってあんまりないことよっ、いい経験と思って!」

「でも…」
視線を右斜め上にずらして、顔をしかめる。
アリーナの頭に浮かんだのは、彼女の心配を常にしてくれるクリフトの姿だった。
飲酒だなんて、神官のクリフトはもちろんしたことがない。
クリフトがやった事がないことを、自分がするのはどうにもアリーナは乗り気になれなかった。
それに、飲酒にそこまで関心があるわけではない。
いい大人がなぜか子供っぽくなる飲み物、という認識程度である。


「アリーナが嫌がってるんだから、無理強いはよせよ。」

ソロがたしなめるように言うと、マーニャはちぇーと言いながらアリーナに差し出したグラスに手をのばす。
それをチビチビ飲みながら、「やっぱこのカクテルおいしいわぁ」と言うので、やはりブライ同様、差し出されたのはお酒だったのだ。

「姫様、こちらにいらっしゃいましたか」

思わず安堵のため息をつけるような、優しい声が聞こえてくる。

下品な笑い声や、昼間では聞けないような口説き文句が飛び交うこの酒場に、精悍な青年が穏やかに歩み寄ってくる光景は、いつもの彼より印象的にアリーナの瞳に映った。

「よ、クリフト。」
「ソロさんがいてくれたなら安心ですね。」

「何のこと?」

「いえ、こちらのことです…」

ソロが見えたことに一息ついたクリフトに、マーニャが首を傾げる。
そんな彼女に、クリフトは内心苦い表情をしていた。
それもそのはず、彼が気にかけていたのはアリーナがマーニャと一緒に酒場にいる、という状況だったのである。

よもや飲酒を促されていないか、悪い遊びを教えられていないか。…そこまで考えるのは失礼だな、とも思うが、しかしアリーナの事となるとやたら不安になってしまうのは今に始まったことではない。

クリフトは会釈でマーニャの問いにやんわりとはぐらかしてから、アリーナの隣りに座ろうとしてぎょっとする。
「ブライ様?!」

「あ、そうなのクリフト!ブライの様子を見てくれない?」

「どうなさったんですか?」

「えっと…」

説明に窮しているアリーナを見兼ねて、ソロが口を開いた。

「マーニャが水だって言って差し出したんだけど、それでブライが強―い酒を一気飲みしちゃったんだよ。」

「そうでしたか…」

あえてマーニャが嘘をついた、というくだりは説明しなかったが、クリフトは先のソロの言葉で大まかな状況を察していたようである。
苦笑いを浮かべてから、おずおずとブライの様子を見定める。

ふと、視線の隅に心配そうに見やっているアリーナの姿をとらえる。

ブライの小言にはご立腹で対応し、それに関しての不満を日常的にアリーナから聞いているが、こうして心を砕いて相手を思いやれる優しい人なのだ。

クリフトはそんなアリーナをいじらしく、愛おしく思っている。

「ショックで気を失っていますが…特別な処置が必要というわけではありません。宿に連れてベッドで寝ていただければ、二日酔いの頭痛がするくらいですみますよ。」

「そう、よかった!」

そこで花をほころばせるような笑みを浮かべるアリーナに、思わずクリフトは目をそらしてしまった。

ふと心配そうに見つめてくるアリーナの視線が、今度は自分に向けられているのを感じた。

そっと視線を通わせれば、やはり彼女の不安げな表情がある。

そこでクリフトは、自分自身に対してため息をそっとついてから、彼も微笑み返した。
そこでアリーナはまた嬉しそうに笑顔を咲かせる。

「いけませんねまったく…こんなことで不安にさせてしまって…」

そっと自分にしか聞こえない程の小さな声で呟く。

クリフトとアリーナは、思いを通わせ合っている仲である。
まだそう日が経っていないため、クリフトは照れてしまったり、前の主従関係が色濃く残った形式ばった態度をとってしまうことが多いのである。

そのたびにアリーナは今のように不安にそっと身体を震わせている。
そんな彼女をみて、クリフトも自分自身を戒めているのだ。

こうやって微笑みを返せるようになるのだって、それなりの時間が必要だった。

本当の恋人同士のように、周りを気にせず触れあえる日はいつかくるのだろうか。
くるとしても、それには一体どれほどの時間が必要なのだろうか。

大切と最愛という想いの共存は、青年の心を動揺させ苦しみへと落としていった。

「それでは、私はブライ様をお部屋に運びますが、姫様はいかがなさいますか?」

ソロがいるうちはこの少し危なっかしい酒場にいてもらっても大丈夫だと判断したクリフトは、振り返って彼女の意思を確認する。

アリーナはうーんと考えてから、彼女も問いで彼に返した。

「クリフトも、そのままもう寝ちゃうの?」

「いえ…すぐというわけでは」

クリフトは、アリーナが酒場から返ってきて床につくのを確認してから就寝しようと考えていた。それを聞いたアリーナは、にこりと笑ったまま首を傾げた。

「それじゃ、私ここでソロとマーニャと待ってるから、ブライを運び終わったらまた戻ってきて!」

「えっ?」
「…駄目?」

「い、いえ!ただ、飲酒はできませんが…」

「私だってお酒飲まないわ。一緒にここでのんびりしましょうよ。」

「はぁ…」

どう返そうかと考えあぐねているクリフトに、ソロが助言するように口を開いた。

「オレもそれがいいと思う!宿屋にいたら寝る以外に何もできないし、ここで思うように過ごす方が休まるって。」

ソロの言葉に、アリーナは嬉しそうに振り向いた。
そんな二人を見て、クリフトは頷いて返した。

「わかりました、それではまた後で…」

「うん!」

大きく頷くアリーナを見届けてから、ブライをおぶって歩き出す。


酒場から出た時、宿屋からここへ来る時よりも風が冷たく思えた。

そんな冷気に、ブライも少し眠りが浅くなったのか、宿屋への道の途中寝言を呟いていた。

「…ひめ、さま…」

聞き取りにくい言葉達の中で、その単語はハッキリとクリフトの耳に届いた。

夢の中でもアリーナを気にかけて行動しているのか、はたまた小言を言っているのか。

クリフトはそんな老人魔道士に心を温かくしてから、少しだけ切なそうに目元をふせる。

「…大切に守りますから、どうかお許しを…」

ブライが何よりも大切に育ててきたアリーナを、自分は身分差という現実をおしきって彼女に手を伸ばした。
二人のことは旅の仲間皆が知っていることだが、クリフトはブライに対して負い目を感じていた。
このことをアリーナの前で見せないようにしてきた分、こうして誰の目にも触れぬところで考え事をしていると、闇に消え失せてしまいたくなるほどの罪悪感が彼を襲う。

宿屋への道のりが嫌に長く感じた後、ようやく目的の場所に着く。

鍵をカウンターから受け取って、ブライと自分が泊まる部屋にそっと入った。
ベッドに老人を横たえらせて、毛布をしっかりとかけておく。

様子を確認すれば、よく眠っているので、安心してから部屋をまたすぐに出ていった。

その足のままアリーナが待つ酒場へ向かおうとしてから、クリフトはハタと足を止める。




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