W-姫と神官

□愛の讃歌
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「ね、クリフトは歌わないの?」


夕日に燃える栗毛をはじかせながら、いとしの少女が振り返った。


「は、はい?」

…なんてポエムの気持ちに浸るわけにもいかず、クリフトは素っ頓狂に声をあげた。

「先ほどまで、ソロさんと姉さんとアリーナさんが歌ってたんですよ。」

馬車から聞こえるのは、ミネアの落ち着いた声。夕暮れによく似合う彼女に少し目配せしてから、改めて眼前の景色を見やる。


馬車をひく四人のうち三人の面影が、夕暮れの赤い空に神々しく照らされていた。

その中でも真ん中に立つ少女の眼差しは、青年の頬を夕焼け以上に赤らしい色に染めていく。

「…は、はぁ。」

照れ隠しのつもりか、彼は我に返ったように相槌を打った。

「みんなで楽しく思い思いの歌を口ずさんでたのに、クリフトったらぼーっとしているんだもの」

「…姫様。」

アリーナの唇から紡がれた言葉に、今度は舞い上がってしまう。


「みなさん、何を歌ってらしたんですか?」

クリフトは尋ねてみたものの、その後の会話はあまり耳に入って気はしない。
…彼は、順に応えていく仲間に向けてくるくると姿勢の向きを回らせていく少女を愛おしげに見つめていた。


「でね、あたしはそのダンスホール一番の十八番に、ミネアが乗せた歌詞の歌よ!」

「へぇ、いいじゃんそういうの」

ソロは楽しげに相槌を返してから、もっと楽しげにクリフトに目配せをしていた。

それには彼が首を傾げると、リーダーの彼から提案のような問いかけが出される。

「なぁアリーナ、おまえが口ずさんでたあれ、なんだっけか?」


クリフトはそこで戦闘と旅路で疲れた意識が覚醒した。

”な、なんてことだろう!姫様の歌声を聞き逃していただなんて!”



クリフトは一人、胸中でぐるぐるとそんなことをとめどなく考えていたが、それはアリーナも同じようで…。

「なんだっけ」


脱力するほどのあっけらかんとした調子で、彼女は答えた。

「…ま、アリーナらしいっちゃらしいけどさ」



ソロは目をほそぉくして少女に視線をやっていた。微笑ましい、というよりは、呆れ気味といった方が適切というような…。そんな、具合だった。


「結構有名な歌よね」

「えぇ。」


モンバーバラの姉妹が続けて応える。

「なんでしたかなぁ」
「そうですねぇ、こう、喉元まで出てるんですけど」

ライアンとトルネコも思い出したかのように声をあげる。
それも、間合いよく順々に。

「すっきりしないな」

ソロが真面目な顔つきで言うと、アリーナににじり寄る。

少女はただ疑問符を浮かべ、クリフトはわずかに焦燥感を覚えた。


そんな青年と少女の反応を確かめるようにじっと視線を送ってから、またしてもクリフトに目配せをするソロ。

クリフトは二度目の眼差しに訝しがる。

「…姫様、もし差し支えなければ、もう一度歌っていただけますか?」


「えぇ、いいわよ!」

彼は流れに乗って自然と口を開いたが、やたら背後の馬車から「ぃやった!」「よしっ」といった類のわずかな息遣いが聞こえてくる。

そういえばブライは先ほどから居眠りをしているらしい。彼の声はクリフトの耳に入ってこなかった。


「えっとね、」

少し気恥ずかしそうにもじもじとあたりを見回してから、マーニャに肩を叩かれたことで決心がついたように頷き、少女は唄い出した。


「……」


最初の旋律を聞いてすぐ、クリフトは鼻の頭から耳の端まで熱があがってしまった。


「…!」

思い返してあたりを見回す。



ブライとアリーナを除いた皆が、事の次第を待つ面持ちで二人を見比べていた。

クリフトと視線がぶつかれば、ソロとマーニャはウインクをし、馬車の面子はそれとなく視線をそらしていた。

彼は途中からアリーナを直視することができなくなってしまった。

アリーナはそんな彼の様子を不思議に思い、だんだんと萎んでいく音で弱まっていった。
やがて旋律が途絶えると、ソロがアリーナの隣に立ち、また例の眼差しでクリフトを見やる。

「さて、お答えのほどはいかに?」



「ソロさん…あなたという人は…」

答えを知っていて、こんな悪ふざけをけしかけて…。

「おーいクリフト?」

「ちょっと早く歌の題名教えてよー!なんかこうモヤモヤするじゃない!」

「……マーニャさん」

そうだそうだ、とやんやと後ろからも声が聞こえる。

クリフトは日常と化したこういった「悪ふざけ」にいい加減辟易してきているころだった。


…なんて、思っていたのに。

どうしてか、疲れた体が癒されていくように、姫君に向けての思考が晴れていく。

”これで応援してくれているつもりなんでしょうか”


クリフトは困ったように微笑みながら、口を開いた。

「すみません姫様。私も、…忘れてしまいました。」


周りから「えーっ!!!」と非難の声が一斉にあがる。

それに大して慌てて耳をふさぐサントハイムの御一行の二人。


中には「意気地なし!」といった具合のマーニャの不満の声まで聞こえてくる。



そんな中、二人はこそばゆそうに視線を交わしていた。


けれど、アリーナは「あっ!」
と声をあげた。



「思い出した!そうだわ、歌の名前を忘れちゃうなんてうっかりしていたわ」
「え」

「えっとね、今教えてあげるクリフト!」



「あ、あのその」


今度は非難の声がぴたりと止まり、口笛の嵐。


「だ、大丈夫です!」

周りが騒がしいのにも構わず、アリーナが口を開こうとしたけれど…心の準備ができていないクリフトは腕をわたわたと広げた。


「私も!たった今、思い出しました…!」

「そうなの?」



そして口笛の嵐は止まり、白けた空気になる。

”…急に静かになると、不気味ですね…”

先ほどまで周りからの音を煩わしく思っていたものの、それがいざ止まるとなると寒気が青年の体を通りぬけていくのだった。

「ですから姫様、だ、大丈夫です。さぁ、先を急ぎましょう」


「うん、そうだね。」

気を取り直したクリフトを見て、アリーナも微笑む。

ソロとマーニャが「仕方ないか」とでも言いたげに視線を通わせている。

アリーナはそんな二人の無言のやり取りに首をかしげてから、クリフトに尋ねた気に視線を寄越した。


一同が馬車を軸にまた歩き出すと、夕闇が沈む太陽を追うように迫っていく大空に変わっていった。

「…ね、クリフト」

耳打ちをするアリーナ。


姫様!

と、いつもなら跳びあがるところだが、今はだれの視線も届いていない。


視線だけ背伸びを必死にするアリーナに向けた。彼はそっと背中を丸めて彼女の口元に自分の耳を近づけていく。


「さっきの歌の名前なんだけれど」

「は、はい」



「……で、あってた?」

「左様ですよ、姫様」



「……よかった。」

ほう、と胸をなでおろした彼女。


どこかの国の、古えより伝わる民謡歌。


アリーナは姫君の素養としてそれを確かめたのだろうか。

それとも…。



「おーい!あんまり離れるなよー!」

遠くから呼びかける旅仲間の声がなんだか沈んだ夕陽の暖かさを持っていた。

「いこっ、クリフト!」

「はい、姫様。」

弾けるようにして駆け出していくアリーナが少し先を走ってから、クリフトも駆け出す。






愛らしいあなたの少し後ろを、私はいつでも歩いていきますよ。
きっと、いつまでも。











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