X-幼馴染の夫婦

□愛を感じて
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“幸せになるんでしょう?”

幸せに…か。今までその言葉は、僕には縁遠いものだと思っていたよ。

“ほら、早く帰らないといけないわね!”

うん、そうだねここは冷えるから…。帰らないと、いけないよね。

“どうしたの?リュカ”


本当に、どうかしているみたいだ。僕は。



滝の洞窟では、どんな小さな音もよく響き渡っていく。


「リュカ?」


意気揚々と前を歩いていたビアンカは、後ろから聞こえた溜息に振り返った。


「あ、なんでもないよ。」


「もう、本当にどうしちゃったのよ。…怪我とか、隠してない?」
リュカが快活そうに返すが、それでもビアンカは得心いかないとばかりに、観察するようにリュカをまじまじと見つめた。

「そんなことないよ、どこも大丈夫さ。ここは強い魔物がいなかったから。」


「ここは…なのね。」

片方の手をあげてはにかむリュカだったが、ビアンカは彼の言葉にまた不安そうに表情を曇らせた。

「ビアンカ?」

リュカが言葉をかけると、ビアンカは彼に歩み寄った。

驚いているリュカにかまわず、ビアンカはそっとリュカの腕に触れた。

「…ここの火傷、新しい傷よね。」

「…あ…」

ビアンカが指摘したのは、リュカの二の腕にできた火傷―死の火山で魔物との戦いで受けた傷だった。
ほとんどマントに隠れているような場所にあり、またしつこく痕が残ってはいるが傷跡自体は薄いもののため、リュカ自身もその火傷のことは忘却の彼方にあった。

「大したことないさ、もうちょっと経ったら、もう見えなくなると思うよ。」

「…そう、こんなに痛そうな傷も…リュカには大したことないのね。」


「…」

どう言葉を返したものか、言葉につまって困惑していたリュカの耳に、またビアンカのか細い声が届いた。

「あたし悲しいよ…。そんな大変な時のリュカを、助けてあげるどころか、何も知らない…」


「ビアンカ…」

「や、やだ、あたしったら、らしくないったら!痛んだとこないならいいのよ、先を急ぎましょ」

また先導をきろうとするビアンカの背中を見て、リュカは一瞬だけ俯く。

それからすぐに、もしもの時すぐ彼女を守れるようにと歩み寄って行く。


サラボナの大富豪、ルドマンの家宝が天空の盾であることを知ったのが事の始まりだった。

ルドマンの愛娘フローラの花婿に家宝を譲る、と宣言されたリュカは花婿候補に名乗りでたのだった。
亡き父、パパスの託した想いを叶える為、天空の盾を手に入れることは不可欠である。

花婿として認められる為には炎のリング、そして水のリングを手に入れることが条件だと提示され、死の火山に多くの花婿候補が挑む中、リュカがその炎のリングを手に入れたのだ。

そして水のリングを手に入れる為、ルドマンから船を借りて旅を始める。

水門を開ける為に立ちよった山奥の村に、彼女はいた。



滝の洞窟にはとりわけ強い魔物もおらず、無事に深部で水のリングを手に入れられた。
二人は今、この立ちすくんでしまうほど綺麗な洞窟を、出口に戻るため歩いている。

一歩一歩、踏みしめる度にやたらとこれまでのいきさつと光景がリュカの頭をよぎっていく。

今までの彼の旅路というのは、前を歩いて行くことに精いっぱいで、振り返る暇も余裕もなかったはずだった。

それなのにどうしてか、今は先に進むのを躊躇うように追想へと思考が飛んでしまう。


「…ビアンカ、静かだね?」

リュカはいつもの調子じゃない自分に戸惑いながら、斜め前の彼女へ声をかける。

来る時は絶えず話しかけてくれたビアンカが、帰り道を辿る今はとても静かだ。

「えっ、あ…ごめんなさい。気を悪くした?」

ビアンカは驚いたように振り返る。彼女はリュカから話しかけられたことに驚いているようにも見受けられた。

「いや、君こそ疲れちゃったんじゃないか、って心配になったんだ。来る時はほら、たくさん話してくれたのもあって…」

「心配してくれてありがとう。でも大丈夫よ、どこもなんともないわ。ちょっとだけぼんやりしていたみたい。」

「そう…」


リュカはまだ何か尋ねたそうに余韻を残したが、続く言葉は見つからず、そのまま静寂が二人を包む。


「あ、ここ気をつけなくちゃ。」

足場が不安定なうえに滑りやすい所へさしかかった時、ビアンカは自分自身に話しかけるように声をあげる。

そろそろと足をだそうとしているビアンカを見て、リュカはすぐさま彼女の隣を大股で追い越して行く。

「わぁ…本当に逞しくなったのねぇ…」

しみじみと感心そうに言われると、まだまだ子供扱いをされているのだろうか、とリュカは苦笑した。

「ほら、ビアンカ。」

気を取り直してリュカが無骨な自分の手をビアンカに差し出す。

「え?」

きょとん、と目を丸くする彼女に、リュカははにかんで笑った。

「危ないだろ、足元。僕につかまって。」


「で、でも…」

途端、視線をよそに移して困惑してしまうビアンカ。


「どうして遠慮するのさ。」

リュカはまた、ぐいと音をたてるように手を差し出してビアンカに近づける。


「遠慮…じゃなくて」

「ほら、じっとしていると魔物につけられるかもしれないから。」

何かを言おうとしたビアンカに気付かず、リュカは彼女をただ心配して声をかける。

言い終えると同時に、ビアンカの手が自分の手に重ねられるのを待たないで彼女の腕をとった。

そのままリュカはビアンカを見やりながら歩き出し、必然的に彼女は引っ張られるように歩き出す。


「…ばか。」


「ん?」

危ない足場が続く場所を通り過ぎた後、そっと優しい手つきで離れていくリュカの手。

そんな様子を見て、ビアンカは自分にしか聞こえない程の小さな声で、そっと戒めるように言うのだった。

もちろんリュカにはビアンカが何を言ったのか聞こえず、聞き返すように声をあげる。

「ううん、ありがとう、おかげで転ばずに来れたわ。」

「よかったよ、行きの時は気付けなくてごめんね。」

「大丈夫よ、プックルが後ろにいてくれたから、怖くなかったわ。」

「グワーオ」

「はは、プックルお手柄だ。」


今まで静かに二人の後ろをついてきたプックルが、ビアンカが名前を出したことにより嬉しそうに鳴き声をあげる。


「リュカの手…」

「僕の手が、どうかした?」

今度は二人横に並んで歩き出した。

船が停泊している出口ももう近い。

「温かいのね。」

しばらく言葉を選ぶ為に間をあけていたビアンカは、柔らかく笑ってそう告げた。

「…」

この時、リュカは胸の深部まで届く衝撃を覚えた。

ほんの一瞬、されど鋭く。

その衝撃の意味を探ろうとしている間に、一行は乗ってきた船が停泊する場所へ戻ってきた。


船に乗り込もうとするビアンカの背中を見て、リュカは不思議な感覚におそわれる。

二歳年上の彼女は、幼い時の自分を先導するように歩いてくれた。
その背中に追いつこうと小さな足を走らせて、その背中が自分の歩く道の指針だった。


だけど今は、彼女の背中はそうではない。
そうではない何か……


胸の中にいくつかできたもやもや達に、リュカは段々と苛立ち焦り出した。


船が海上を進む。

場所は言うまでもなく、ルドマンの屋敷だ。

「…安心したわ。」

甲板で風に吹かれていたビアンカが、見回りに来たリュカに呟くように語りかけた。

「ビアンカ?」

名前を呼ぶことで相槌をうつ。
彼女は振り返らぬまま、優しい声で言葉を紡ぐ。

「これで、リュカの大切な目的は果たせるでしょう。そして何より、あなたに大切な人ができる。」

「……」

「フローラさんて、素敵な人なんでしょう?」

「…ビアンカ…」

「うふふ、こう聞いたら照れちゃうわよね。いいのよわかるわ、リュカと結婚する人だもん、優しくて淑やかで、とってもかわいい人でしょう。」


「…ビアンカ、こっち向いて。」

しばし間をあけて、色々とまとまらない思考を巡らせた後にリュカがあえてそう声をかける。

途端、星空を見上げたままの彼女の肩が震える。

「ねえリュカ、星がきれいよ。」
「…泣いてるの?」

意地悪な男だ、僕は。

そう自分に対して呟きながら、おそるおそる問いかける。

けれど背を向ける彼女は、指を満天の空へ指す。


「あ、ほら、流れ星!今、流れ星が…」


「ビアンカっ…!」

リュカは耐えきれず彼女の横へ歩み寄ろうとする。

「来ないで!!」

踏み出した足を引き戻してしまうような勢いで、ビアンカが叫ぶように言い放った。


二人にまた、何度目かわからない意味深の沈黙がやってくる。

「……バカなんだから…。」

「ご、ごめん。やっぱり僕、何か…」

空を見上げるのをやめ、俯いて行くビアンカ。決して振り向いて顔を見せてくれず、近寄ることも許してくれそうにない。
そんな彼女を見つめていると、段々と胸にたちこむもやもやの正体を掴めそうな気がしてきた。

「ううん、バカなのはあたし。いいの、リュカのせいじゃないの。」

そうきっぱり言い切ると、ビアンカは俯いたまま振り返って足早に歩き出す。

リュカを避ける為に遠回りをして船室に戻ろうとしたビアンカだった。

けれど、船室へのドアノブに手をかけた時、体が動けなくなる。


背中にあたる温もりをまず感じて、それから自分の体に巻きつく後ろから伸びてきた逞しい腕に気付く。

「……」

耳元に、思考を支配する人の息遣いが届く。

そうしてビアンカはようやく、背後からリュカに抱きつかれた状況が飲み込めた。


「そんなに嫌なら、君の顔は見ないようにする…。」

そこで一つ、リュカが肺の中の空気を全て押し出してしまいそうな、長く重い息を吐きだす。
それは全て、ビアンカの耳へ言葉と共に流れ込んできた。


「僕の不安が消えるまで、こうさせてほしい…ビアンカ。」


「リュ…カ……」


抵抗だってできたはずなのに、それでもただ縋りつくように抱きつかれてしまって、ビアンカはただただ受け止めることしかできないでいた。



ダメなのに…。

彼には幸せになってほしいのに…。


私にそれができるのだろうか。

そんなの、考えるだけ切ないわ。

だって、彼の夢の手掛かりを持つ素敵な女性が、もう花嫁候補として彼の前に現れている。


今はそう、きっと。

彼だって年頃の青年なのだから。状況が状況なだけにこうして、二人きりの時が多かったのも手伝って、一時の気の迷いを起こしてしまったんだ。

私がもっとちゃんとしていれば、彼がそんな迷いを起こさずにすんだのに。

バカ…。
私の、バカ。


「好き」だという想いを決して自覚しないように、ビアンカは自分に対して「バカ」と呟いて平静を保とうとした。



「ねえお願いだから…」

「ビアンカ…?」

しばらくの間、二人とも動かずリュカは彼女を抱いたまま、ビアンカは彼に抱かれたままでいた。

けれど彼女はドアノブを持つ手を震わせながら言った。

「決して間違えたりしないで。あなたの未来が何より大切でしょう。」


言ってから、巻きつかれた腕が弱くなっているのを感じた。

その機を逃さずビアンカは腕を振り払うように身をよじって、扉を開けて船室へ駆け足で入った。


一瞬の事で、リュカは再び腕を伸ばすことはできなかった。


「僕の未来……」

先ほどまで彼女に触れられていた手を見て呟く。
そのまま、いつもの調子じゃない自分に、どうにも行動が鈍く思考がしっかりとしない自分に苛立ち拳を握る。

乱暴に扉をたたきはしなかったが、拳を握りしめたまま、彼女と自分を遮る扉にその手を押し付け、そのまま額もこすりつけるようにして、リュカも打ちひしがれるように震えていた。

ビアンカを慕う気持ちが、明らかに幼い頃のそれと変化を遂げたことにまだ追いつけていないリュカが扉にもたれかかって悩んでいる。

その扉の向こうでは、リュカへの想いの自覚から逃げることに必死なビアンカが船室のベッドに向かわず、その場で扉に背をもたれて力なく座り込んでいた。


回された腕は、数多の戦いをくぐりぬけ、強靭に鍛え上げられた戦士―生前のパパスを思い出させるような腕であり、そして大切な何かを求めて震える青年の腕だった。



明日の夕暮れより前には、きっとサラボナへ着く。

彼が水のリングをルドマンに渡す所を見届けてから帰ろう。

ビアンカは、水門をくぐりぬけたらそこから泳いで岸へ行き、そのまま父が待つ村へ帰ることもできると考えた。
その方がなるだけ早く、二人共これ以上考えたり逃げたりしなくてすむはずなのだから。

けれどそれでは優しいリュカが自分を追いかけてくる事になってしまうかもしれない。

自分が手伝った事の終わりを見たいという気持ちもあって、ビアンカは改めてサラボナに着くまでの辛抱だと胸に言い聞かせた。
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