Y-少年少女の軌跡
□体温の愛しさ
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「ねえねえレックってば。」
「………」
「レックー?」
「………」
「レックったらぁー!」
「………」
「どうしたの?」
頼むから、ちょっとだけ黙っていてくれないかな。
レックは心の底からの叫び声を、音にはできなかった。
今の状況はというと、結構まずかったりする。
ハッサンは酒場に繰り出し、ミレーユは道具の調達に行ってしまい、チャモロはどこぞの散歩に出かけたっきり戻ってこない。
ただでさえ意識が強まる二人きりでのお留守番。
それに追い打ちをかけるようにレックには理性との戦いの試練が課せられる。
元来甘えん坊なバーバラは、無邪気にレックにじゃれてきていた。
レックが椅子に腰かけてお茶を飲んでいる時はまだよかった。
問題はそのあとである。彼が少しだけ寝転がるつもりでベッドに腰かける時は、まさかバーバラまでついてくるとは思わなかったのだ。
寝転がるレックにつられたようにバーバラも隣で腰掛け寝転がり、上体を彼にもたれかけている。
落ち着け、とりあえず平静を保て。
そうして彼女に声をかければいいんだ。息を吐くのと同じ要領で、無意識に自然なそぶりで「ちょっとどいて。」と。
レックは何度も入念に、頭の中でシュミレーションを繰り返し意を決した。
「バーバラ、ちょっとどいて。」
「あ、重かった?ごめんね。」
バーバラはてへっと舌をちょびっとだしてから上体をあげる。
ほうっとレックが安心してからすぐさま上体をあげて体勢を整えて胸をなでおろした。
「うーん、やっぱし太っちゃったのかなぁ…。」
起き上がってみると、バーバラは鏡台の前で自分とにらめっこをしていた。
かわいらしい仕草にレックはすっかり先ほどまでの焦りを忘れて、微笑んで彼女を見ていた。
鏡越しにレックの視線に気付いたバーバラは、とっさに振り返る。
「ど、どこが太っちゃったかな…?」
「いや、さっきのは別に重かったとかじゃ…」
「おせじはいいのー!」
いや、「おせじ」じゃなくてこの場合「遠慮しないで」じゃないか?と思いつつあえて突っ込まず、レックは首を横に振った。
「本当に違うさ。そういう意味じゃないんだ。」
「じゃあどういう意味?」
思わず閉口してしまう。あのままの状態でいたら欲情しちゃいます、なんてこんな無邪気な少女に言えるはずがない。
黙っているとまたバーバラが不安そうな表情に変ってしまう。
それを感じ取ったレックは黙ったままベッドから立ち上がり、彼女の目の前まで寄った。
「レック…?ひゃあっ!」
彼は片腕をバーバラの膝の裏にまわし少しだけしゃがませるようにすると、そのまま容易く彼女を自分の肩の上まで持ち上げたのである。
「ほうら、バーバラは軽いさ。」
「えへへ、ありがとう。」
バーバラはバランスを保つためレックの頭に腕を回しながら笑った。言葉をつくろうのではなく、こうして態度で示そうとしてくれる彼の優しさがすごく嬉しい。
「…思ったんだけど、レックならハッサンでも持ち上げられそうだね。」
「…ハッサンはきついと思う。」
「そうかなぁ。」
ていうか男をこうして持ち上げて何が楽しいんだか、とレックは苦笑いだった。
「それじゃ降ろすよ。」
バーバラが満足したであろうと感じたレックは、彼女に声をかける。
「あ、ねえついでにお願い!」
「ん?」
「降ろす前にね…その…」
お願い、というところまでは勢いよかった彼女の様子が、段々としろどもどろになっている。
最初は不思議がっていたレックも、途端に彼女が何をお願いしたいかを察してにんまりと笑う。
「こういうこと?」
「あっ…」
片腕で肩の上まで抱えていたバーバラに前振れもなく、レックは彼女の上半身を倒れこませ、もちろん床につかないうちにもう片方の腕でしっかりと抱きとめる。
いわゆる、お姫様抱っこであった。
「うん。言わなくてもわかっちゃうなんてすごいねレック。」
「そりゃまぁ、さっきのは味気ない抱きあげ方だったよなぁ。」
「そんなことないよ、あれはあれで力持ちですごいもん。」
二人して爽やかに笑みをこぼす。
こうして抱きあげているとレックは思う。
なんというか…やっぱり女の子なんだよなぁ、と。
腕から感じる、自分とは大いに違った柔らかな体。
強力な魔法を扱う彼女も、こうして至近距離で見つめると当然年頃の乙女だ。
少しだけ赤く染まった頬で笑っている彼女は、何よりも大切で愛おしい。
しばらくしてバーバラから言い出してレックは彼女を解放した。
「レックの腕って本当、逞しいね。すっごくしっかりしてる。」
抱きあげられていたバーバラも、彼の体の逞しさに驚いていた。
「オレは逆にバーバラの細さにびっくりするよ。なんだかちょっとしたことで折れちゃうんじゃないかってひやひやするぐらい。」
お互いに腕をまじまじと見やっていると、不意に声が割って入ってきた。
「何してんだぁお前ら?」
「あっ。」
「ハッサンお帰り!」
レックとバーバラは慌てて振り返る。
酒場で聞き込みが終わったらしいハッサンが、不思議そうな眼で二人を見ていた。
「レックの腕って逞しいなぁって見てたの。」
「おっと、がっしりした腕ならオレのだって褒めてくれよ!へへ、なんてな。」
一度力こぶをつくってバーバラを驚かせた後、気さくに笑うハッサンだった。
「もう宿の外でミレーユとチャモロも待ってんだ。飯食いに行こうぜ。」
「うん!」
バーバラが勢いよく返事をして、そのあとにレックが続く。
宿屋を出た後の道のりで、レックとバーバラは自然と後ろの方で二人並んでいた。
暗がりだったのも手伝って、レックは勇気を出してそっと彼女の手を握る。
バーバラは一度ぴくん、と震えた後、柔らかな力で彼の手を握り返した。
指を絡めあう恋人繋ぎで二人はそっと気付かれないように歩き出す。
バーバラは彼の無骨な手に胸をときめかせる。
レックは彼女の柔らかな手に、改めて守っていこうという強い思いでいっぱいになった。
二人の温かな日のある一幕のこと。
愛おしさは気付かぬ速度でそれでも確かに、強まっていくのであった。