Y-少年少女の軌跡

□海底恋話
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「うわぁ、本当に泡が船を包んでるよぉー!!」

バーバラは身を乗り出して海底へと向かう景色を楽しんでいた。

「はしゃぐ気持ちはわかるけどバーバラ、落ちないでくれよ。」

レックは気が気じゃなくて彼女のすぐ隣に立って、もしもの時はすぐにこの腕が届くように構えている。

「心配性だなぁ、レックは。」
バーバラはふふ、と笑ってまた一段と身を乗り出している。

はぐれてしまった人魚ディーネを、仲間の集う岩場にまで連れたお礼として、彼女の姉ディーナから授かったマーメイドハープ。

さっそく使ってみると、なるほど人魚たちの不思議な力のおかげで船は空気の泡をまとい、海底へと誘ってくれる次第だった。

「みて!みて!お魚さんが泳いでる目線と同じになれてるよ!」

「うわぁ…うまそう。」

レックが「きれいだね」と応えるより少し早い間合いで、後ろにいたハッサンが涎を垂らす。

「んもー!そういうこと言っちゃダメ!」

「ハハ、わりぃ。」
途端にハッサンに振り返ったバーバラは、むぅっと表情を曇らせていた。

うまそう、ということには否定しない彼女が、レックはかわいらしいなと胸の内で呟いていた。

「ほらバーバラ。今のうちに泳ぐお魚さんをたくさん見ておきましょう。」


ミレーユの言葉に少しだけ不思議そうに首を傾げるバーバラとハッサン。

チャモロが代弁するように理由を説明した。

「そのうち海の底すれすれまでいけば、きっとそこは深海なので今見える魚達はいないと思います。いたとしても、その…あまり見栄えのよくないと言ってはなんですが、目で見て楽しめる光景は減ってしまうのではと…。」

「まぁ、浅い海底の所だったらきれいかもしれないけれどね。」

チャモロの説明に補足するように続けてミレーユが説明をする。



「へぇ〜。今いる魚が底にはあまりいねぇなんて…そういうもんなのか?」

「水圧の問題なんですよ。」
ハッサンの問いかけにチャモロが丁寧に言葉を返す。
ミレーユも交えて少し難しい話が始まろうとする時、バーバラはレックの隣まで来ていち早く抜け出しておいた。

「バーバラは聞かなくていいのか?」

隣まで来た彼女に声をかけると、バーバラはにこりと笑う。

海中の淡くゆらめく光りに照らされた少女に、レックは胸をどきりといわせた。

「せっかく最初の光景だから、レックの隣がいい。」

無邪気に、この上なく嬉しい事を言ってくれる愛しい人。

バーバラが外を眺めながら、それでもレックのすぐ隣を動こうとしなかった。

「本当、きれいだな。」
今は下降中だからか、海上より厄介だと教えられていた魔物の気配はまだない。

束の間の休息を、せっかくだから堪能しようとレックは息を押し出す。

「不思議…。」

バーバラの消え入りそうな声が、レックにだけ届く。

「ん?」

顔だけ彼女に向けると、バーバラは遠くの景色を眺めながら口を開いた。

「まだ自分のことなんにもわからないのに、こんな未知の場所にこれるだなんて。」

「…ああ。」

バーバラは自分がどうして幻の大地−本来の世界に半透明としていたのか、月鏡の塔でただ一人さまよっていたのか。

「いいんじゃないか、自分がわからなくたって。」

彼女は普段、このことを気にしないと言ってふるまっているが、レックはそうは思っていなかった。

機会があれば、しっかりその心の不安をそっと撫でてあげたい。
その機会が今きたのだ。ごく自然な形で。

「わからないってのは、どうしてあの塔にいたのかってことぐらいなんだぜ?バーバラがすごく強い魔法使いでおてんばなこと、オレだけじゃなくて仲間のみんなよく知っているし。」
「おてんばって…むぅ。」

レックの励ましを聞いている間は笑顔だったが、最後まで聞くとちょっとだけ口をとがらせる。
恋人なのだからもっとほめてくれたっていいのでは、と少しだけ拗ねてみる彼女であった。

そこで彼女の頬を撫でるレック。
その指はとがった唇に辿り、そっと壊れ物を扱う力でなぞる。

「あと、バーバラのかわいい所も、オレたくさん知ってるんだ。」

いざ褒められてしまうと、途端に恥ずかしくなってしまう。
バーバラは俯きそうになるが、自分の頬に添えられている手がそれを許してくれない。

「どこから来たかなんて、そんなこと考えなくていいぐらいの今を、オレが守るよ。」

ずっと伝えたかった言葉を、ただまっすぐに。

なぜだろうレックは、この時に言わねばと本能的に悟っていた。


この後彼らは、海底神殿のグラコスと戦うことになる。

そしてグラコスを打ち倒すことにより魔王の封印が夢の世界にて一つ解かれるのだ。


その封印された場所の名は、魔法都市カルベローナ。


やがてバーバラの由縁はこの地にてわかるのだが、彼女にまつわる大いなる運命を、彼女がしゃんと受け止められたのは、きっと今までの旅路があったからだろう。

レックが守ると誓った「今」。


「キスはだめだよ?」

頬に添えた手をそのままにしているレックに、バーバラは小首を傾げて悪戯気に微笑む。

ドキっと図星をつかれたレック。頬がみるみる赤く染まっていくことがその証だった。

「ごめんね。みんなのいない時までおあずけ!」

照れ屋なバーバラは、どんなにムードに酔いしれていようと、仲間の前ではレックとのスキンシップを抑えようとしている。

そのことを思い出したレックは、居心地が悪そうに先ほどまで添えていた片手で後頭部をくしゃくしゃとかいている。

そんなかわいくいじらしい恋人を見たバーバラは、ちらっと視線をやって仲間達を窺う。

仲間の三人は来る戦闘への備えに集中しているようだ。

「どうかこれからも守ってね……王子様っ!」


「へ?」

レックが呆気にとられた声をあげている隙をついて、バーバラは彼の頬にリップ音の響く口づけを贈った。

「……!!」

初めてかもしれない彼女からのキスに、それが頬といえどレックは歓喜に胸が騒いだ。

その勢いのままガシっと、バーバラの肩をつかむレック。


「レック…?」

バーバラはぎくり、と胸の内で擬音をたてる。
彼は刺激をしたせいか、眼光が今まで見たことがない程にギラギラと光っている。

「あの…だめだよ?」

念のために告げる。しかしレックはお構いなしにバーバラの体を少し自分に寄せる。
「誓いのキス。」

「えぇ?!」

仲間達が全くこちらに気付かないのをいいことに、顔ごと迫ってくるレック。

「誓いって?えっ?」

状況に追いつけないバーバラは、彼を突き飛ばすこともかなわない。

「バーバラを守る誓い。さっき言ったばっかりだろ。」

「誓いのキスってのは結婚式でするものだよ、おばか!」

わたわたとなんとか防ごうとするバーバラ。
しかし彼女の行動をぴたりと止めてしまう言葉を、なんてことない顔でレックは、はっきりと言った。


「同じようなものだよ。」

バーバラはそれ以上なにも言えない、動けない。

あともう少しで二人の影が重なる…そう思った時。

「出やがったな!!」

ハッサンの大声が響く。

その声にびくりと二人とも体の動きを止める。
その後の、魔物の雄叫びが轟いたことにより、ようやく二人はいよいよ海底の魔物が現れたことに気付く。

レックは仕方ない、と首を横に振って名残惜しそうにバーバラから離れた。

離れたが速く、背の剣に手をかけて三人の元へ走り出す。

「怪我しないでね!!」

バーバラの掛け声に、レックは一瞬だけ振り返った。

力強く頷く彼の瞳に宿った光が、とても頼もしかった。


もうすぐ。


もうすぐ彼女は、自分のいた場所を知る。

でもそれは、自分が生まれた理由の一つにすぎない。

自分を成したこの旅路が、今は何よりも大切。



そのことをかみしめた、海底への航路だった。

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