虚空の歌姫

□#03.センシティブ・ミュージック
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「えっと、アルトくん……で良いのかな」


歩きながらそう尋ねてきたランカと名乗った女に、アルトは眉をひそめた。


「何で俺の名前……」


と言いかけたところで、ふと思い出す。


さっきあの女が名前を呼んでいたからか。


「ああ……ん?」


待てよ。


俺、アイツの前で名乗った覚えはないよな?


それに、アイツの名前も知らないような……。


そこまで考えて、今さらになってさっきまであった違和感に気付いた。


「アイツ!!」


「ふぇ!?」


あの女、いったい何者なんだ!?


まるで知り合いかのように話をしていたあの女は誰だ?


見覚えなんか少しもない。


けれど、アイツは俺を早乙女アルトとフルネームで呼んだ。


「な、どうしたの?急に……」


恐々と尋ねるランカに、思わず怖い顔を返した気がする。


「あ、いや。さっきの女……」


俺はアイツを知らないんだ。


そう言いたかったのに、ランカはそれを遮って興奮した様子で目を輝かせた。


「すっっっごい美人な人だったよね!?憧れちゃうなぁ……身長も高くて、髪ふわふわで、銀色で綺麗で……あ、そういえばあの人、名前なんて言うの?アルトくん」


うっとりとした表情を浮かべ、ランカはどこか夢見心地で尋ねた。


けれどそれには答えられない。


「……わからない」


ボソッと返した言葉に、ランカは髪をピクピクと動かし目を瞬かせた。


「へ?」


「わからないんだ。俺は、あの女に会ったのはさっきが初めてで、名前なんか知らない」


突然現れた銀髪の女。


よくよく思い出せば、出会ったあの瞬間、何かに焦っているような様子を見せていた。


男の裸を見てしまって照れたから……と言われれば頷けるかもしれないが、それとは少し感じが違う気がする。


ランカは予想していなかった返事を返され、きょとんと不思議そうな顔をした。


「え、そうなの?でも、じゃあ何でアルトくんの名前……」


端から見れば親しい者同士のように見えたのに、片方は名前さえ知らないという。


どういう事かと探るように視線を向けるも、アルトは肩をすくめて頭を振るだけだった。


「………さあな」


小さくそう返して、去って行ったあの女をそっと思い出す。


冷めている眼差しに、薄い熟れた唇。


何を考えているのかわからないような表情に、気だるそうな喋り方。


そのどれもが妙に胸をざわつかせ、彼女の名前も知らないのにあれが初対面じゃないような、そんな不思議な錯覚を覚えさせた。


ライブ会場に近づくにつれシェリルのライブのオープニングメロディーが音量を増し、集合時間に遅れそうになっているのに気付くと思考の中から銀髪の女は消え去った。


「まずい!!走るぞランカ!」


「あ、待ってアルトくん!!」


慌てて駆け出したアルトの後を追い、ランカもまた走り出す。


脳に響く重低音に焦りを覚えながら、二人はライブ会場へと一目散に駆けて行くのだった。


































特に大した問題もなく、ライブは進んでいるように思えた。


遠くから僅かに聞こえる喧騒に混じり、沢山の観客たちの声が聞こえる。


再びやって来た森の中、適当な木の幹に座り、空を仰いだ。


小鳥達が木々の間を行き交い、時折さえずるように鳴き声をあげる。


何処にでもあるようなそんな光景に目を細め、リヴィアは小さく喉を震わせた。


――…さあ、行け
我が愛しの仔

大地を踏みしめ謡え

いざ、行け
我が愛しの仔

果てなき空を目指して……―――


哀愁を帯びた静かな歌声。


それでも確かに、大地に響き木々を揺さぶった。


目の前に降りてきた雀に手を伸ばし、おいでとばかりに視線で誘えば、彼らは意図も簡単にリヴィアに擦り寄ってきた。


肩に、膝に、弓を形作った指に。


小さな彼らはリヴィアにその身を寄せていた。


――…遥か遠い日を
忘れぬよう駆けて行け

お前の帰る故郷は今も此処

その身体
刃に消えようとも

お前の魂は消えることなく……―――


今のリヴィアの姿が他人にどう映るのかはわからない。


儚げで、弱々しく、妖しい。


そんな彼女を見たことのある人間は、未だ存在することもなく。


謡の途中で、ふいに口をつぐんだ彼女の瞳には遠い日の記憶が静かに交錯していた。


誰も知らない過去を拭うように、静かなため息が森を吹き抜けた。







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