黎明の獅子 -akatsuki no yona-

□黎明の獅子 第八,五幕
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春の風。

木の葉を揺らし、そよそよと。

澄み渡るは青のさざ波。

雲ひとつない長閑な朝のこと、初めてその娘と顔を合わせたのは、そんな優しい季節の真下であった。















9歳の誕生日を迎えた翌週の日のこと。

「ラン・スイだ。今日から世話になる」

そう言って父上が地の部族長でもあるその将軍に自分を紹介したのは、兵見習いとして鍛錬を積ませるためであった。

「ほお、このわっぱがラン将軍の子息か」

その場にいた軍兵たちは、自分をしげしげと眺めると少し眉をひそめたように思えた。

「ひょろっこいな。腕のほどは?」

「そこら辺のヤツと手合わせをさせればわかる」

「ほお?では、ウチのやつを貸そう。ヘガン、出番だ」

将軍イ・グンテに呼ばれ、ひとりの少年が目の前へと現れる。

自分とそう歳が変わらないような少年で、こちらに合わせて来たのだということが見て伺えた。

けれども自分は、父上以外との手合わせはこの日が初めてであり、相手がどれほどの手練れなのか。また、自分がどれほど実力を持っているのかがわからない。

目の前に立つ少年ヘガンをじっと見つめ、どうするべきか悩まされる。

ちらりと父上を一瞥すれば、好きなよう動けと指示を出された。

「武器はどうする?ヘガンはうちでは最年少だが、一通りの訓練は積んでいるぞ」

グンテ将軍が自分を見て、父上を見る。

父上は逆にヘガンを見やり、小さく肩をすくめると頷いた。

「素手、あるいは剣の方が腕を見るには早いだろう。どちらかは貴方が決めるといい」

「では、剣で。剣技を見た方が見極めやすいというもんだ」

「スイ」

「……はい。あ、でも」

ちらりと両手を見下ろし、無言のままに父上を見上げる。

思わぬ時に手合わせをすることになったこともそうだが、それ故に準備が足りないことを暗に告げたのだ。

普段行なっている稽古とは違う、と。

「今日は一本でいい」

そう言って、父上は静かに右手を上げて見せる。

なるほど。

と、小さく頷き返して、また目の前の少年へと視線を戻した。

「ヘガン殿、お相手願い申し上げる」

礼を取り、剣を右手に構える。

相手もまた同じように礼を取ると、同じく右手で剣を構えた。

辺りを囲う兵たちが静かに見守る中、グンテ将軍により試合開始の合図がなされた。

そしてその手合わせは、ひどく呆気ない終わりを迎える。

「そこまで!」

「……」

ヘガンが地に膝を付けたことにより、勝敗は決まった。

ものの数分の出来事だ。

相手がどう動くか静観していた自分に、ヘガンは剣を勢いよく振り上げ向かって来た。

両手で束を握り、振り下ろしで力を込める典型的な切り込みだ。

剣で応戦せねば……そうは考えたものの、咄嗟に動いた四肢は剣を握る右手ではなく、右足の方だった。

左足に重心を掛けて身体を捻り、がら空きとなっているヘガンの腹わたに右足で軽く蹴りを食らわせ、更に右手で持っていた剣で彼が振り降ろさんとしていた剣を下から押し弾いた。

宙へ舞ったヘガンの剣と、そのまま地に転んだヘガンの身体。

すぐさま体勢を整えようと膝をついたヘガンの頭上に自らの剣を突きつければ、そこでグンテ将軍から試合終了の声が響いたというわけだ。

「少し、……いや、だいぶ見くびっていたようだ。謝ろう」

「実力を見せるには十分だっただろうか?」

「お見それした。スイは良い鍛え方をしているようだな」

「……いえ」

自分を褒めちぎるグンテ将軍と、今しがた負けてしまったヘガンとを交互に見る。

悔しげに俯いていたヘガンを前に、まさか自分が左利きで、しかも両刀剣士だとは口が裂けても言えそうになかった。

更には、誰にも言ってはならないと父上にひどく釘を刺されている性別の真偽だとか。

ああ、彼はこれからどう這い上がって来るんだろうか。

けれども知っている。

ヘガンが男である限り、いつか自分は彼の足元を這うことになるのだと。











それから日々軍に顔を出すことになり、父上の監視のもと、いくつもの訓練を受けた。

暖かな陽射しが爛々と降り注がれる中、なんとも穏やかではない掛け声や呻き声と共に、自分は様々な戦闘の知識を叩き込まれていったのだ。

血豆がどれほど潰れたか知れない手のひらを眺めて、ため息とも取れぬ小さな息を吐く。

11歳になった今日、弓の稽古は最早不要と告げられた。

毎日六百本。

朝と夜に分けて行われた射抜きが終わり、晴れて厳しい鍛錬は終わりを迎えたのだ。

自分の上達ぶりに父上は満足そうにして、明日からは自己で武を極めよと申された。

つまりは、軍の中で自分に敵う相手が居なくなったということだ。

そして、誕生日だからと一日好きに過ごしていいとされたこの日、自分はイル陛下にお呼ばれされた。

何度か来慣れた道をゆっくりと歩き、目的の場所へとやってくれば、イル陛下が茶を飲みながらゆったりと過ごしているのが見えた。

こちらに気付いたイル陛下は、威厳などなんのその、大きく手を振って自分を出迎えてくれる。

「よく来た、スイ」

「陛下にお呼ばれなれば」

頭を下げ、恭しく両の手を合わせて礼を取る。

すると穏やかな声が頭上に降りかかり、ついで柔く頭を撫でられた。

「……」

「スイは小さいのに、しっかりしているね」

「はぁ……そうですかね」

「うん。とてもいい子だと思うよ」

「お褒めに預かり光栄でございます」

「まあ、そう硬くならないの。今日呼んだのは他でもない、ヨナの話し相手になって貰いたくてね」

「へ?」

ニコニコと読めない顔で微笑みながら、イル陛下は自分を目を細めて見つめると、格子の向こうに居る誰かをこちらへと呼んだ。

WヨナW。

その名前は嫌でも覚えていた。

むしろ、自分はその娘を守るべく身命を賭して鍛錬を重ねているわけで。

「ほら、おいで、ヨナ」

ゆるゆると手招きをする陛下の後ろから、自分よりも幾分も背の小さい女の子が恐る恐ると現れた。

こちらを警戒するように、けれども好奇心をその目に覗かせて、その娘は自分の目の前に出てきたのだ。

言葉を失いながらも、どうしようもない衝動が鼓動に巻き起こる。

W守らなくてはW・・・・・・───

頭の中で、そんな警鐘が鳴り響いた気がした。

「挨拶なさい、ヨナ。彼がラン将軍の一人息子、ラン・スイだよ」

「……スイ?」

「そう。お前にも年頃の友達は必要だろうと思ってね。スウォンが来れない日は暇をしているだろう?」

「……ともだち……ヨナに、ともだち?」

大きなキラキラした瞳がこちらを見据える。

探るような視線に、ひとまず小さく笑いかけて見た。

「どうぞ、お見知り置きを」

「すごくきれいなかみ!」

「……は、髪?」

返ってきた声はなんとも拍子抜けするものだった。

勝手に緊張していた自分もそうだが、その場に似合わぬ空気をまといヨナ姫は先ほどと一転、表情を輝かせてこちらを見上げていた。

「銀にひかってて、ふわふわで、ゆきどけの水みたいね!」

「ふ、ふわふわ……雪解け……?」

思ってもなかった言葉と、今まで言われたことのなかった句に戸惑う。

「ヨナはスイを気に入ったようだね。よかったよかった」

「はぁ……」

なんだ、このあっけない感じ。

友達になってほしいなんて言うものだから、少し癖があるのかと思ったがなんのその。

ヨナ姫は噂にたがわぬ無邪気さで、こちらの緊張など気にすることもなく、まっすぐに関わってきた。

これなら友人など幾らでも作れるではないか。

ちらりとイル陛下を見れば、酷く優しい表情を浮かべて自分と娘を見ていた。

「スイには、ヨナのことを見てほしいんだ。この娘はあまり外に出たことがない。城の外へ行くことは私が禁じてはいるが、城の中なら歩き回ってもいいからね。遊び相手になってくれないかい?」

「そういうことであれば、引き受けますが」

「仕事ではないよ。あくまで、スイにはヨナの友人となってほしいのだから」

「陛下が申されることなら……」

「やれやれ。シュウンの固い頭が君にまで遺伝してるみたいだね。軽く考えて、時折骨を休める程度に相手をしてくれればいいんだよ」

「……わかりました」

「よしよし。それじゃあ、仲良くね。ヨナ、あまりスイに迷惑を掛けてはいけないよ」

「はい、ちちうえ」

自分の隣に並び、笑顔むき出しで頷く少女に困惑する。

ずっと守らなくてはならないと言われ続けた、顔も知らなかったお姫様。

お日様みたいに煌めくその笑顔を見つめ、胸の奥がトクリと音を立てる。

この娘が、自分の、絶対君主……。

この胸に確かに鼓動した使命感が、この娘を守れと強く告げた気がした。







 
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