紫雲の錬金術師

□第2話 記憶
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そこは、果ての見えない真っ白な世界だった。

そして目の前には、一つの扉があった。

その扉の前には、私とおんなじ顔をした女の子が座って居る。

目が合えば、彼女はにんまりと笑って。

ただ静かに、こちらへとその手を差し伸ばした。

真っ白な空間に、ふたりだけ。

天井も壁もないこの空間に、扉とW私Wだけ。

彼女の手を取ろうとして、重い身体を起き上がらせた。

なぜだか全身に感じる痛み。

四つん這いになって、それでも彼女の元へと近付いた。

扉の前、W私Wが嬉しそうに頷く。

そしてその手に自らの手を重ねようとした時だった。

閉まっていたはずの扉がいつの間にか開いていて、中からどす黒い何かが私に飛びついてきた。

この身体に絡まっていく黒いそれは、何か小さな子供の手のようにも見えた。

飲み込まれるようにそれら腕に引っ張られて、私は扉の向こう、真っ暗な場所へと放り出されていく。

もがき、振り返った先では、W私Wが小さく手を振っていた。

そして一言。

私の耳に声を届けて。

『      』

扉は暗闇とともに、静かに閉じられて閉まった。













パチリ。

目を覚ました。

目の前には見知らない天井が広がっている。

木造の天井は、節目がどこか人間の目のように見えて落ち着かない。

暗闇で見ると、それが本当に目に見えて怖いのだけれど、今はそんなことを思い出す余裕もなかった。

「…………」

(ここ、どこだ?)

重い思考の中で、それだけを思う。

身体中が重だるくて、どこか居心地が悪い。

腕を動かそうにも、感覚を失ったみたいにピクリとも動かせなかった。

辺りを見渡してみようと視線だけを動かしてみても、ここがどこかの部屋の中だということ以外、知り得るものはなく。

また次第に意識は遠のいて行った。

ゆっくりと瞼を閉じれば、トプリとどこかへ沈む。

何か、大事なものを忘れている気がした。

それが何なのかも思い出せないまま、急速に眠りの中へと落下した。






────・・・・・・
─────────・・・・・・



「彼女、まだ目を覚まさないんですか?」

「極度の栄養失調、および身体の疲弊。熱は昨日引いたばかりで起き上がれる状態でもない。更には深い昏睡に入っていて、意識もほとんど無い……いつ目を覚ますのかは、私にもわからんよ」

「……コイツ、本当に怪我はしていなかったのか?」

「最初に言った通り、ひとつもないよ」

「あんなに血まみれだったのにですか?」

「返り血かもしれん。なんにせよ、本人が目を覚まさないことにはどうとも言えん」

「「……」」

「それではまた明日。私は診療所へ戻るよ。彼女が目を覚ましたら、また連絡をくれ」

「ああ」

「医師(せんせい)、ありがとうございます」

パタン。

ドアの閉まる音が聞こえて、意識がふわりと浮上した。

聞こえていた何人かの会話は、どうしてだかするりと頭から抜けていき、なにを考えることも出来なかった。

ただ、ぼんやりと。

まだそこに残っている誰かたちの会話を聞いていた。

聞こえる声がふたつあるということに気づいたのは、それから少し経ってのことだった。

どのくらいそうして聞いていたのかはわからないが、ふいに声がハッキリと耳に飛び込んでくるようになった。

「だけど兄さん、誰もこの子を知らないって言うじゃないか」

「ん〜〜〜〜・・・どうすっかなぁ。目ぇ覚ましてくれりゃあ一番なんだけどなぁ」

「今日でもう五日だよ……」

「捜索願いも出てない。身元も不明……大佐も未だ手がかりを掴めてねぇらしいし……」

コンコン。

「あ、はい」

ガチャ。

「あれ、大佐?」

「変わりはないか?」

「どうにもこうにも、ご覧の通りで」

「ふむ。相変わらずか」

「早く目を覚ましてくれないと、体力的に問題になるって、医師は言ってるんですけど」

「どうあっても目を覚まさないか……」

「こうなったら叩き起こしてみるか?」

「ちょっと兄さん、相手は病人だよ」

「冗談だ、冗談」

「兄さんが言うと冗談に聞こえない」

「んな"っ」

「また少し、様子を見るしかなさそうだな」

これ、私のことを話してるの?

重たい意識の中で、それだけを理解する。

彼らは自分が目を覚まさないと言って、困っているのだろうか。

頭の中がぐるぐるする。

それでも、このままじゃダメだ。

「どーすっかねぇ」

「大佐、何か情報は掴んでないんですか?」

「こちらもお手上げだ。彼女を知っていると言う人間がひとりも見つからない」

「そっちも相変わらず、か」

パチリ。

重いまぶたを押し開いて、そこに居る三人もの人物達に視線を向ける。

真っ先に目に飛び込んで来たのは、ベッドのすぐ側に立っている真っ赤なコートを羽織った金髪の少年だった。

それから、大きな鎧を着た人と、黒髪の制服らしき服を着た男の人。

「大佐、もっとしっかり探してくれよ。サボってんじゃねーの?」

「バカ言え。この上なく探しまくっているだろう」

「あ」

言い合う少年と黒髪の男性の間で、ひとり冷静に傍観を決め込んでいた鎧の人が小さく声をあげた。

「「ん??」」

鎧の人の声に誘われるように、言い合っていたふたりがこちらへと視線を向ける。

パチリと、三つの視線と目があった。

「……あ、の」

やっと出したその声は、長らく使っていなかったからなのか、随分と掠れてしまっていて音になったか怪しかった。

けれども、三人は仰天したような顔で目を見開くと、揃って叫んだのだ。

「起きたぁああああ!!」

「目を覚ました!!」

「やっとか!!」

「医師、医師を呼んで来ないと!!!」

「ああ、ちょっと待ってろ、今医師を呼んでくるからな!」

「鋼の、急いで連れてくるんだ」

「わーってるよ!行くぞアル!」

「うん!」

ドタバタと、三人は忙しなく走り回り、気付いたら少年と鎧の人は部屋を飛び出し医師とやらを呼びに行ってしまった。

大佐と呼ばれていた男の人はひとり部屋に残り、私の横たわるベッドの脇に腰を下ろす。

「話は出来るか?」

「……は、い…」

「まだ声が出し切れていないな。無理もないか……君は五日間、寝たきりだった」

「……いつ、か?」

「そうだ。ああ、水を飲むといい、起き上がれるかね?」

「……はい」

ベッド脇のデスクに置かれている水差しを見つけ、男性は私に座るように告げた。

なんとなしに頷いて、ゆっくりと身体を起こそうと足腰に力を込める。

が、全身の筋肉が小さく震えるだけで、思うように動くことは出来なかった。

「あ……」

頭を少し枕から離しただけで、神経が悲鳴をあげる。

思わず顔をしかめて、私はベッドに舞い戻ることになった。

「……すみ、ま……せん」

自分ひとりでは起き上がれなかった。

そこまで体力が落ちていることに、自分自身で驚愕する。

すると、男性は「失礼」と一言こぼして、私の背中に腕をそっと差し込んだ。

「起きがけのレディに触れるのはいかがなものかと思うが、許してくれ」

「……いえ」

ゆっくりと、その人は私の上半身を優しく起こしてくれた。

いくつかのクッションを私の背に集めて、背もたれまで作ってくれる。

そこにもたれるようにして座れば、ようやくひと心地ついて息を吐き出せた。

「ありが、とう……ございます」

喋るたびに喉が焼けたように痛む。

それでも、手を貸してくれた彼にお礼を告げたくてそうこぼせば、黒髪のその人はやんわりと笑い返してくれた。

おまけに、水差しから水をコップに注ぎ入れて、私に飲ませようとまでしてくれている。

「飲める分でいい、少し水を飲むといい」

「……はい」

私にコップを持つ力がないと知っているのか、男性は私の肩を支えるようにして、コップを口元まで持って来てくれた。

それに甘えるようにして口を付ければ、ゆっくりとコップを傾けてくれる。

コクリ。と、ひとくちだけ水を喉に流し込めば、あの焼けるような痛みがほんの少し和らいだ気がした。

「また欲しくなったら言ってくれ」

「ありがとうございます」

まだ掠れてはいるものの、今度は途切れることなくお礼を言葉に出来た。

男性はまた目を細めて笑うと、水差しとコップをデスクの上へと戻した。

「大佐!医師を連れて来たぜ!」

「あ、座ってる!」

「ふむ、診察してみるかね」

ゾロゾロと部屋へ戻って来た彼らを見上げ、医師と呼ばれる男性の声に首をかしげる。

ああ、そうだ。眠っている時に聞こえていた声だ。

彼が私のことを診てくれていたのか。

白髪の医師が黒髪の男性と席を交換し、カチャカチャと鞄の中から道具を取り出す。

「血圧と脈拍の計測、それから検温だ。お嬢さん、腕を貸してもらうよ」

「……はい」

医師は慣れた手つきで私の手を取り、あれよあれよと言う間に血圧と脈拍の計測と検温を済ませてしまった。

「血圧がやや低め、脈拍と体温ともに異常なし。しっかりとした栄養さえ取れば、すぐに元気になるだろう」

「よかったぁ」

「何か、辛いところはないかね?」

「……あの、大丈夫、です」

身体中がギシギシと痛むが、それはおそらく寝たきりだったせいだろう。

筋力が低下しているから、身体を動かすのが辛いものではあるが、口に出すほどのものじゃない。

「今日は喋る体力はないだろう。お前さんらは一旦、下がっててくれ」

「明日また来るよ」

「医師、よろしくお願いします」

「ドクター、彼女をしっかり診てやってくれ」

金髪の少年が鎧の人を引き連れ部屋を出て行き、それにならうようにして黒髪の男性も頭を軽く下げて部屋を後にした。

残された私は医師と向かい合わせで、あれこれ質問を受けることになる。

簡単な体調の質問から、私の身元について。

だけどそこで、私は自分の身に起こっていた恐ろしい事態に愕然とした。

診察していく中で、ブロイスと名乗った医師は額を手のひらで覆って深いため息を吐いてしまう。

「そうか……君は……」

痛々しいと言わんばかりに、ブロイス医師は言葉を詰まらせる。

一方私は、彼に返す言葉を見付けることが出来ず、ただひたすらに絶望に叩き落とされていた。

診断結果はこうだ。

栄養失調および、体力低下と軽い脱水症状。

並び、深刻な……



「君は、記憶喪失だ」




ブロイス医師はカルテにそう書き込み、私を残して何処かへと去ってしまった。



 
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