紫雲の錬金術師

□第3話 記憶A
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退院当日。

私はロイさんの工作により、軍の管理する寮に移ることが決定した。

身寄りのない私を、ロイさんが面倒を見てくれることになったのだ。

さすがに独身男性の家に上り込むわけにはいかないということで、あれこれエドワードとアルフォンス含め会議をしたのちに、こうなったのだけれど。

私としては申し訳ないの一言に尽きる。

「本当に、良いのかな……?」

こんな得体も知れない人間なんか。

「まあ、路頭に迷うよりは良いんじゃねぇの?」

「寮なら管理も行き届いているだろうし、ボクらもすぐに会いに行けるし、良いと思うよ」



そんなお言葉をいただき、私は今日から軍寮に住むことになりました。

ひとまず、当面の問題は解決出来た。

「オレたちもあと1週間はここで人探しをする予定だし、慣れるまでは頼れよ」

「ありがとう。困ったら、手を借りるね」

「困ってなくても、いつでも頼っていいよ」

「うん」

兄弟の優しい言葉に胸を暖かくしながら、私はふとアルフォンスを見てしまう。

「?」

クエスチョンを頭上に浮かべるように、アルフォンスは頭を傾げて私を見つめる。

けれども、私は「ううん」とかぶりを振って笑った。

猫の話にまた花を咲かせて、私たちは退院時間までのんびりと過ごしたのだった。





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パーソナルスペースというものが、どんな人間にも存在する。

病院で目覚めてから退院までの四日間の間、兄弟は毎日見舞いに来てくれていて、私はいつもベッドに座って二人を見上げていたのだけれど、その時に気付いたことがあった。

(アルフォンスの身体が見えない……)

ベッドの上という低い位置から見上げたアルフォンスは、鎧の隙間から見えるはずの肉体が少しも見えなかったのだ。

窓から入った光がその鎧の中を照らし、向こうが見えた時に息を飲んだ。

空洞が中を満たしていて、あるべき身体ではなく、鎧の内側が見えたのだから。

それを聞いていいものか悩んだものの、私は知らないふりをすることに決めた。

誰にだって問われたくないことがある。

時が来れば、あるいはそれなりの仲になれば、いつか向こうから話してくれるのではないかと。

もしかしたら私が覚えていないというだけで、こういう人間が他にも居るのかも知れないし。

『また明日、寮の方に行くよ』

そう言って、迎えに来てくれたロイさんと共に病院を出た私に手を振って、兄弟は人探しをしに街へと消えて行った。

それに手を振り返して、私はロイさんの後に着いて軍部へと向かう。

寮への入居手続きは、ロイさんがでっち上げて書類を提出し、私はシオン・グラールというファミリーネームを付けられた。

シオンという名前で戸籍を探っても存在が見付からなかったことから、戸籍を偽ることになったのだ。

「ここ、本当に私が使っても良いんですか?」

明け渡された部屋は、なんとも立派な部屋だった。

キッチンとリビングが一緒になっているタイプの、いわゆる1DKというやつだったが、寮という割には広さがはんぱない。

「元は私が使うはずだった部屋だ。好きに使ってくれて良い」

「なんか、ありがとうございます……」

「セキュリティーも万全だが、念のため、外へ出る際には私に一言伝えてくれ」

「はい、そうします」

「……あとは、」

ロイさんはそこでふと言葉を区切ると、私をまっすぐ見つめて真剣な表情でこう告げた。

「何かあれば……いや、無くても私を頼ると良い。君はいま不安でたまらないだろうから、力になれることがあれば手を貸そう」

「……いま、もうお借りしてます。こんなに親切にされて、足りないなんて思えません」

胸が暖かくなる。

私はなんて良い人たちに出会えたのかと。

「今は何をしたら良いのかわからないですけど、これから少しずつでも返していけるようにします」

「君は真面目だな」

「私の国では、恩返しは当然なんですよ」

「国?」

「あれ……国……?」

言ってから、私は違和感に気付いた。

「あの、この国って……アメストリスって言いましたよね」

私を見るロイさんの目が、やや険しくなっていく。

喉が震えて、言葉が詰まる。

静かに頷いたロイさんに、私は今しがた頭に浮かんだワードをおそるおそるこぼす。

「日本……という国を、ご存知、ないですか……?」

W日本W。

和国。

そうだ。

ずっと感じていた違和感。

これだった。

何処を見ても、日本語が書かれていないこと。

それから、エドワードや医師や、アメストリスに住まう人達の容姿。

日本人が何処にも存在していない。

ロイさんの黒髪と漆黒の瞳は私の容姿に限りなく似ているけれど、彫りの深さから日本人には全然見えない。

「日本、か……。悪いが、聞き覚えがない」

「そう、ですか……」

返された返答に、俯いてしまう。

「私……日本という国に住んでいたはずなんです。何処にあるのか、それは思い出せないんですが、ここじゃない国で」

「調べてみよう。他に思い出したことは?」

「いえ……すみません、今はこれだけです」

「そうか。何か思い出したら、またすぐに教えてくれ」

「はい」

それからロイさんは、私がこの部屋に住むに当たって必要最低のものを届けて帰って行った。

この人が私の様子を見にくるたび、実は仕事を抜け出して来ていたのだということを、部下と思わしき人が彼を怒りながら迎えに来たことで知った。

慌ただしく帰って行ったロイさんを窓から見送り、当面の目標を立てることにする。

まずはこの国について知り、日本について自らも探してみよう、と。

けれども私は、私のことさえわかって居なかった。

部屋で大人しくして居られる質ではなかった自分に、次の日気づかされるのだから。




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─────────・・・・・・



翌日、朝起きて鏡を見て頭を傾げた。

ここに来て初めて、私は自分の顔を見たわけなのだが。

「……私、こんな顔だったっけ」

鎖骨より少し下まで伸びた黒髪のセミロングに、茶色がかった黒い瞳。

肌の色は不健康な白さで、体力が落ちているからか、腕が異常に細く思えた。

そして確かに、エドワードやアルフォンスが言うように、少し幼くも見える。

身長は、エドワードよりもちょっとだけ高かったのにな。

それから鏡に興味を失くして、私はキッチンを漁り始めた。

冷蔵庫が備えられているけれど、当然だが中には何も入っていない。

食事を摂るには外へ出るしかないと理解したが、思い出してみれば、私はお金を持っていないのだ。

そこで、治療費等の問題も思い出す。

そういえば、誰が私の治療費を負担してくれたのだろう?

朝食時間、食事を運んできたロイさんをとっ捕まえて、私は負担者が誰なのかを問い詰めた。

「参ったな……あのまま忘れてくれていれば良かったんだが」

こめかみをぽりぽりと掻きながら、ロイさんは苦笑するように肩をすくめてみせた。

要するに、治療費の負担もロイさんが担ったと言うことだ。

「……決めました」

これで決心が付いた。

と、私はまっすぐロイさんを見つめる。

何事かとほんの少し目を丸めて私を見る彼に、つとめてこう言った。

「お仕事ください!」

「は」

「記憶が無いということ以外、私はもう万全です。無償で恩を受けていられるほど図々しくはなりたくないので、何かロイさんの為になる仕事をください!」

「……ははは!!なるほど、そうくるか!」

面食らったような顔をしていたロイさんは、そう言って唐突に笑い出した。

「君はか弱いだけのレディではないらしい。なるほど、では仕事を与えよう。錬金術でいう、等価交換というものだな」

「等価交換……」

「君、料理は得意かね?」

「え?いえ、覚えてはいませんが、やればそれなりには出来るんじゃないかと」

「ではひとつ頼みごとがある。私に毎日、昼食を届けてはくれないか?」

「それって、手作りでってことですか?」

「ああ。仕事ばかりしていると、手料理とは縁がなくてね。君のような愛らしい女性からの手料理があれば、仕事も捗るというものだ」

それに……と、ロイさんは目を細めて笑った。

「現実問題、昼食を食べに出かける時間もないから、ここのところは昼飯を抜いているんだ」

「そういうことなら……私で良ければ」

料理に自信があるかと問われればわからないと応えるが、ロイさんが望むなら、彼のためになるなら、引き受けない手はない。

「それでは、これを君に渡しておこう。本当は昨日渡す予定だったが、中尉の登場で忘れてしまっていた」

「んな!?」

そう言って手渡されたのは、分厚い札束だった。

あまりの多さに目をひんむいて拒否ろうとすると、否応無しにキッチンの上へと置かれてしまった。

食費と前給料だそうで……。

ロイさんは返却の一切を拒否して話題を逸らしてしまう。

「ああ、そういえば。君はまだ私の部下には会ったことが無かったな。明日にでも会ってみるといい」

「……はい」

「では、私はこの辺で仕事にもどるよ」

「はい。お仕事、頑張ってください」

「……」

玄関まで見送りに着いて行くと、ロイさんはふと私を見つめ、黙り込んだ。

首を傾げて何事かと問えば、ロイさんは口元を右手で覆い目元を緩める。

「いや、こうやって送り出されるのも良いものだな、とね」

「はぁ……」

「また明日、君が弁当を持って会いにくるのを待っているよ。東方司令部内の地図はそのデスクの中にあるはずだ。あとで見てみるといい」

「わかりました」

「では」

そう言って、ロイさんは今度こそ建物の外へと出て行き、下に停めていた車に乗り込むと司令部のある方へと去って行った。

私の手元には、ロイさんが吟味したであろうサンドイッチと紅茶が残されている。

何から何まで、本当にありがたい。

なんとしても、彼の恩に応えようと、私はすぐさま朝食に手を付けたのだった。



 
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