カラフルデイズ
□ACT.02 BLACK×BLACK
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「ていうかさ」
「はい?」
手が繋がっているから、必然的に私の足も止まる。
思ったよりも至近距離にいたカノさんを見上げれば、珍しいものを見るような目で私を見ている赤い目と視線がかち合った。
「僕の方が年下なのに、“さん”付けなの?」
「え?」
「カノさんって。さっきからお姉さん、ずっと僕のことをそう呼んでるよね。敬語だし。それ、すごい違和感」
「いや、でも……」
ぐっと距離を詰められて、目と鼻の先に赤い目が迫ってきた。
じっと探るように見つめられ、どこか息苦しく思えて後ずさる。
「ど、どう接したらいいのか、まだわからなくて……年下だとわかっても、知り合ったのはつい最近で、話したことだってそんなにないし、年下の知り合いなんて職場以外で知らないし……」
あの、その、ええと。
しどろもどろになりながら、私は近すぎるカノさんから何とか離れられないかと身をよじらせた。
カノさんはそんな私を物珍しそうに眺めて、ついで肩を揺らして大声で笑った。
「ぷ、ぷぷぷ!!お姉さん、絶対友達少ないでしょ!しかも彼氏なんてものも一度も出来たことないんじゃない!?反応やばすぎ!笑える、お腹痛いって!!」
「な!?ちょ、そんなに笑わなくても……!」
「ははは!いや、ぷくくくっ。ごめんごめん。さん付けで呼ばれるの慣れてないから気持ち悪くってさ、やめてほしいだけだったんだけど……まさかの展開で……くくく」
「治るどころか悪化してる気が……」
「いやー!面白かった!」
「私は面白くない!」
「いいよ、そんな風に砕けて話して。そっちの方が話しやすいし」
「へ?」
唐突に言われて、今度はこちらがきょとんとなる。
カノさんはそんな私を笑って見てから、またさっきと同じ距離に戻って歩き始めた。
「そっちの方がお姉さんの素の部分なんでしょ?さん付けも要らない。年下だし呼び捨てにしてよ」
呼び捨て。
そうしろと言われても、同級生にさえさん付けをしていた私が簡単にやれるとは思えない。
「……か、カノ……………………くん」
案の定、どうしても慣れなくて、最後の抵抗でくん付けにしてしまった。
女の子ならまだしも、彼は男の子で、どこまでフランクに関わればいいのかわからないのだ。
「はは!敬称は外さないんだ!そっちの方がまだマシだからそれでいいや」
「なんか、ペースを全部持っていかれた気分……」
げっそりと疲れが襲ってきて、私は隣で笑うカノさん……改め、カノくんを横目で睨みつけた。
それに対しても、カノくんはまた楽しそうに笑うだけ。
私の方が年上なのに、なんだか相手にもされていない気にさせられる。
「これに懲りたら、お姉さんに何の力があるのかわかるまで、ちゃんとウチに通ってよ」
「……力、ねぇ」
そうは言われたって、私自身に何か特別なことが出来るとは到底思えない。
ごく平凡に、ごく普通に、ごく並々な生活をしてきたはずなのだ。
カノくんは私の手を引いてゆっくりと歩いてくれるが、一向に赤の消えない彼の眼差しは、やけに寒々として見えた。
本当は今すぐにでもトンズラしてしまいたい気持ちはあるのだ。
彼らと関わると、平凡な生活を送れる気がしないから。
平和に、穏和に生きていきたいのに。
それが叶わない気がして堪らないのだ。
「(手……離してくれそうにないなぁ……)」
ほんのり暑い日差しの中。
暑さを感じているだろうにカノくんは黒いフードを脱ごうともせず、時折私へと視線をやってはニヤリと笑った。
太陽が真上にあると、アスファルトに落ちる私たちの影がやけに黒く濃く見える。
もうすぐ夏が来るな……なんてぼんやり考えながら、私は導かれるままにあの日訪れた彼らの住まうアジトとやらへ連れていかれるのであった。
アジトに到着すると、玄関を開ける前からほんのりと甘い香りがした。
これは……シナモンとキャラメルの香り??
それとオーブンの熱気。
扉のとなりに付いている換気口から漂ってきたその香りに、そんなことを考える。
カノくんが慣れた手つきで扉を開けると、部屋の中からはさっきよりもさらに濃く甘い香りがぶわりと雪崩れ込んできて、私の鼻腔をこれでもかというほど刺激した。
カノくんに至っては、顔をしかめている。
「(この子、笑う以外にも表情作れるんだ)」
なんて何気に失礼なことを考えて、また促されるままにふたりで玄関をくぐった。
その頃には、カノくんもようやく私の手を離してくれて、ようやく解放された右手の平がなんだか妙に鈍く感じて、握ったり開いたりを繰り返す。
それをカノくんがなんとなしに眺めると、さっさと靴を脱いで中へと上がり込んだ。
「キドー、お姉さん連れてきたよー」
「ああ、すまないな。……ナツメ?」
パタパタとキッチンの方からやって来たキドさんが、カノくんに小さく笑んだ後に私を見て声を掛けた。
少し、戸惑うような声だった。
「あ、どうも、お邪魔します」
ハッとして彼女へ視線を返そうと笑いかければ、端正な眉間に刻まれた小さなシワに気づく。
何か言いたげな視線。
どうかしたのかと首を傾げれば、彼女は「なんでもない」と返して、私を更に中へと促した。
出されたスリッパに足を通して、私も素直にお邪魔になる。
「マリーにお茶を淹れさせる。座って少し待っていてくれ」
「ありがとうございます」
「お姉さん。こっち」
「あ、うん」
カノくんが手招きをして、この前座らされたソファーへと足を運ぶ。
そのやりとりを横目に見たキドさんは、なにやらせわしなくキッチンの方へと足早に向かい、オーブンに向かって作業を開始した。
「(ああ、お菓子を作っているのか……)」
ぼんやりそう理解して、なんだか暖かみのあるその光景に、自然と息を詰めてしまう。
そわそわして、落ち着かない。
不躾な気がして辺りを見渡すことも出来なくて、私はただただ目の前にあるテーブルに視線を落とした。
テーブルの向こうには、向かい合うようにして座っているカノくんが観察をするように私を見ている。
居心地は、かなり微妙だった。
キッチンの方から、マリーちゃんの「ひっ……」という怯えた声が聞こえてきて、それが私に向けて上げられた声だということも理解して、申し訳ない気持ちになる。
「マリーは極度の人見知りなんだよ。気にしないで」
「……そうは言われても」
ちらりと視線を向ければ、ぱちりと合わさったマリーちゃんの目。
瞬間、驚いたように見開かれて、次には泣きそうな顔に変化して行って、私の方が慌てて目を逸らした。
向かい側からは、また面白がるようなくつくつとした笑い声が聞こえる。
「カノくん、面白がってるでしょ……」
「こんな面白いことないもん!」
「なんだかなぁ……」
はぁ。と、ここに来て抑えていたはずのため息が小さく漏れてしまった。
ここまで人に怯えられることは生まれて初めてだし、怖がらせてしまっているという事実が悲しかったり。
けれども、マリーちゃんは必死に私をもてなそうとしてくれているのか、泣きそうになりながらもキドさんが言っていた通り、懸命にお茶を入れてくれている。
ぼんやりと、キッチンで行われているキドさんとマリーちゃんとのやりとりを眺めていると、ふいにカノくんがじっと私を見つめて首を傾げてきた。
「お姉さんてさ、兄弟とか居るの?」
この子はいつも突然話をふっ掛けてくるな。
構わないけれど、身構えていない分、思考は遅れてしまう。
「兄弟……は、居ないよ。私は一人っ子なの。だから少し、君たちが羨ましいとも思う」
同じ家に、同じ年代の子たちが一緒に和気藹々と暮らしているのは。
四六時中誰かが側にいて、人の存在を感じられる空間。
暖かくて、微笑ましくて……。
そこまで考えて、思考にセーブがかかる。
脳が停止を訴え、目の前にいるカノくんへと意識が引き戻された。
カノくんは「ふーん?」なんて、聞いておいてどうでも良さそうにそう返すと、また人を食うような笑みを貼り付けてソファーに背中をもたれさせた。
そこに一瞬だけ、何か別のものがフラッシュバックする。
どうしてだか、カノくんの両サイドにふたり大人が座っていて、穏やかに微笑み合っている……そんな幻のようなものを見た気がした。
それは本当に一瞬で、瞬きをした次の瞬間には消えていたようなものだけれど、それがどうしてだか妙に記憶に残って、私は思わず思考を止めてしまった。
「ナツメ?」
呼ばれて、ハッとする。
いつの間にやらとなりに立っていたキドさん。
手にはクッキーの入ったバスケットが抱えられていて、彼女がせっせと作っていたお菓子がクッキーだったのだと知る。
「あ、ごめんなさい。少しぼうっとしてました。なんですか?」
そう返せば、キドさんはどうしてだか、また微かに眉をひそめて、「なんでもない」とこぼした。
これで、二度目だ。
何か言いたそうなのに、言わない。
気にはなるものの、重ねて尋ねるほど私も空気が読めないわけじゃない。
「これ、食べてくれ」
そう言って、キドさんはクッキーをテーブルに置き、私の前へ小皿を差し出してくれた。
「お、今日はクッキーもあるのー?やっりー!」
なんて、カノくんがおどけるように手を上げて、さっそくクッキーに手を伸ばそうとする。