黎明の獅子 -akatsuki no yona-

□黎明の獅子 第七幕
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ちらりと、物静かなスイを見てみたが、やっぱり反応はかなり薄い。

練習するためにも、今夜の宿場を適当に見付けて、そこで休むことにした。

俺は晩飯の準備をして、お姫様はハクから貰った弓で四苦八苦している。

スイは何やら使えそうな薬草だとか、水を探してくると言って出かけてしまい、残ったハクは何をするでもなく火の当番に着いた。

お姫様が弓と向かい合っておおよそ一時間が経過した頃、情けない顔をしたダメダメな弓師がハクに近付き尋ねる。

「ハク、当たらない。どうすればいいの?」

「ん?ちょっと見てろ」

「わかった」

さっきからへろへろな矢を射ってはいたけれど、ついに自分だけで習得するのは諦めたらしい。

お姫様から弓を受け取ったハクは、軽く空を仰ぐと手慣れた様子で矢を射った。

すぐに何かが落ちてきた音がして、振り返って見てみると鳥が一羽倒れていた。

「こんな感じ」と、いとも簡単そうに告げるハクに俺は感嘆と呆れ半分のため息を落とす。

説明まるでナシじゃん。

「……それ、どうやったの?」と、お姫様が当然のように聞くが。

「狙う」と、淡白な返事のみが返ってくる。

その後も同じような問答で、たまらず口を挟もうとしたところで横から呆れ返った声が聞こえた。

「剣も触ったことがない人間が弓を持たされても、どうやってその的を狙えば良いのかなんてわかるわけないだろ」

いつの間に帰って来ていたのか、いくつかの薬草を手に持ったスイが心底うろんな表情を浮かべてハクを見ていた。

「あ、スイ。おかえり」

「ただいま。コレ、使えそうなら使って」

そう言って鍋の近くにスイが置いたものは、野生ネギとキノコ、少量の山菜だった。

「うわ、すごいね。ひとりでコレ見付けたの?」

「こういうのは割と得意なんだよ」

にっこりと笑って、そのままハクとお姫様の元へ歩いていくスイ。

素直に彼女の引き出しの多さに感嘆をこぼしてしまう。

「さて、お姫さん。弓の使い方、知りたいんだっけ?そこのアホじゃ身にならないだろうから、自分が教えてあげるよ」

さっきまでは反対していたのに、自ら師を名乗り出たスイに驚く。

それはハクやお姫様も同じだったようで、目を丸めてスイを見ていた。

「スイ、弓なんて使えたっけ?」

「アホってなんだ。そもそもお前、的当ての時はいつも寝ていただろう」

「使えないなんて言ったことは一度もないけど?」

飄々とした様子で、スイがハクから奪い取った弓をお姫様に差し出す。

構えるように指示を出すと、背後に回りその手や肩を軽く調整していった。

「姿勢を正して、矢の先端を目線と合わせるようにして。そう。それで、左腕は軸となるものだから、必ず動かないよう脇を固定すること」

言いながら、スイはお姫様の右手に自らの手を重ねて、ゆっくりと矢を引いた。

「力が足りてないね。震えずに弦を引く力をつけて、あとは体で覚えるんだ」

言いながら、スイはお姫様の手を操り真上を通過していく鳥をスッと射抜く。

見事に鳥を貫いた矢が、目の前へと落ちてきて俺は思わず言葉を失っていた。

流れるような、無駄のない動き。

ハクやお姫様から散々に言われていたのに、彼女は弓の名手とも言えるほどの腕を持っている。

「……スイ、後で俺と勝負しろ」

負けず嫌いらしいハクがスイにそう言って近づくが、スイは眉間にしわを寄せるとお姫様から離れ、心底嫌そうに首を振った。

「やだよ、面倒くさい。自分はお姫さんに教えるだけで精一杯だって」

「バカ言え、これだけ触れるんなら的当ても楽勝だっただろう」

「昼寝してる方がよっぽど有意義だよ」

ゆるく言い合うふたりに、お姫様は何か考え込むようにスイを見つめている。

俺も、思うことがあって彼女に聞いてみることにした。

「あのさ。的当てとかさぼってて、それでもそこまでの腕があるってことは、天性のものってこと?」

天才は勘だけで弓を引けるのかもしれない。

そう考えて尋ねれば、お姫様も同じことが聞きたかったようで、大きく頷いて答えを待っていた。

もしそうであれば、やっぱり才能が無ければ弓が上手くなることも難しいのかもしれないはすだから。

けれど、スイはキョトンとした表情を浮かべると、ついで苦笑気味に首を振った。

「まさか。本当の弓の名手は、目を閉じていても矢を射抜くことが出来るよ。自分は、死ぬほど鍛錬を積んだってだけ。それこそ、弓が嫌いになるくらいにね」

肩をすくめてフッと笑うスイ。

男として育てられたという彼女は、女の身でありながら将軍にまで上り詰めた。

父親の手によって日々鍛錬に明け暮れていたと吐露したスイは、どこか遠くを見るように思い出話を聞かせてくれる。

「ハクやお姫さんに会うまでは、ありとあらゆることを父上から学んでいたよ。それはもう、鬼のごとくね。自分に出来たんだから、お姫さんにも出来る。やろうと思えば、それが心底からやり遂げたいと思うことなら、出来ないことはないはずだよ」

目を細め、スイが挑むように笑う。

それは、これまで努力を重ねてきたからこその言葉なのだろう。

彼女を知れば知るほど、本当に驚かされてばかりだ。

ハクは武道では天才肌を持っているように見える。

スイも、同じ才能を持っているのかもしれないけれど、女としてそれに伴う努力もして来たのだろう。

あれこれ考えて、考えて。

女の身で足りないものを補うために努力する。

それはすごく、難しいことのように思えた。

「……スイって、やっぱり凄いんだね」

「なに、やっぱりって」

「いや、普段そんな風に見えないから」

「まあ、適度に気を抜いてるからねぇ」

「ふぅん」

俺とスイとの会話を聴きながら、お姫様は弓を見つめ黙っていた。

ハクがそれに気付いてなにやらアドバイスを送ると、もうしばらく練習が続けられることになり、それを尻目に俺は夕食作りを再開させた。

スイはまた何やら取ってくると出かけ、弓の師匠をすることになったハクは木にもたれて休み始める。

そこでふと、俺は思う。

「……そういえば、さっきまであんなに反対してたのに、なんで急に積極的になったんだろ」

ボソッとこぼした俺の言葉を、そんなに近くに居なかったはずのハクが拾ってため息を吐いた。

「あいつ、さっきも今もここに居ないだろ」

ハクの言葉に「そういえば」と思い出す。

溺愛しているはずのお姫様の側を離れて、ひとりふらふら出歩いているスイ。

「そうだね」と頷けば、また小さなため息とともに答えをくれた。

「考え込むとき、あいつはひとりでふらふらどこぞへと歩き回るんだ。んで、自問自答したすえに折り合い見付けて戻ってくる。姫さんのことも、どうすべきか葛藤していたんだろうよ」

「へぇ……」

「おおかた、反対はしてるけど無下にもしたくないってとこか?あとは……あいつなりに姫さんの力になろうと考えてるんだろ」

昔からそういうやつなんだ。

そう苦笑して、ハクはスイが消えていった林の向こうを見つめた。

俺もなんとなくつられてそちらを見るけど、スイが帰ってくる気配は見当たらない。

今も、彼女なりに考えているってことなんだろうか。

「放っておくと、あいつはひとりでどこまでも考えるから、そこらへんは厄介だけどな」

あいつのことならなんでも知ってる。

なんて顔をして、ハクはスイのことを語る。

だけど、ふたりが過ごしてきた年月や時間はそう思えるほどに濃密なものなのかもしれない。

同じ武将。

背と背を合わせて歩んで来た、互いを信頼し合う関係。

また、なんとなしにハクをちらりと一瞥すれば、少しだけ心配するような影がその表情に浮かんでいた。

スイを女と知らなかったハクは、彼なりにも考えることがあるのだろう。

夕食の支度が整った頃。

何処からか調達した綺麗な水と数本の花を手にスイが帰ってきた。

その表情は出会ってからよく見ていた飄々としたもので、からからと笑ういつものスイだった。

夕食のお供に薬草茶を飲もうなんて笑って、スイは手慣れた様子でお茶を淹れる。

お姫様はスイが淹れたお茶を嬉しそうに飲んで、スイはその様を何処までも優しい顔をして眺めていた。




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・・・ハク視点・・・




ヨナ姫を何処までも守ろうとするスイ。

見事に鳥を射ち抜いたあいつの姿は、やけに凛として見えた。

反対していたはずなのに、散策から帰って来ればああやってヨナ姫に自ら教えたりなんかして。

守りたいと思う反面、ヨナ姫の希望を叶えたいとも考えたのだろう。

本当に難儀なヤツだ。

かと思えば「あとはハク師匠(せんせい)に任せた」なんて言って丸投げで、結局は俺がヨナ姫の弓の練習に付き合うことになって。

いつもの飄々とした態度に戻ったスイに、ため息を落とさずにはいられない。

今も昔も、こいつが何を考えてどう結論を出すのかわからない。

特殊な環境で育ったからなのか、スイは本心を表に出すことが少ないように思えた。

自由気ままな性格も持ち合わせているから、本音をこぼすことも多々あるが。

胸中の奥の心底。

そこにまだ、何か隠している気がしてならないのだ。

ユンが女とバラさなければ、死ぬまで性別を偽り続けるつもりだったと言ったことからも推測出来る。

スイは、予定外のことがない限り、その隠し持っているだろう秘密や想いを俺たちには話さないのだろう、と。













朝方、ヨナ姫の様子をなんとなしに見ていると、スイが気遣うようにその小さな手を濡れた布で包んでいた。

おそらく薬草をすり潰してなんらかの薬を作ったのだろう。

薄緑に染まったその布から、かすかに鼻腔を刺激する香りがした。

俺と同じく城に居たくせに、どこからそんな知識を学んできたのか。

ユンがその知識に目を輝かせて、スイを質問攻めにしていたのは昨日の昼のことだっただろうか。

惜しみなく己が知る知識を教諭するスイは、どこか楽しそうにも見えた。

俺が起きていることに気付いているだろうスイが、ゆっくりとその足をこちらへと運んでくる。

「授業の進行具合はどう?師匠」

「……動かない的なら、ある程度当てられるようにはなってる」

「あれからずっと練習してるもんね」

偉い、偉い。

なんて笑って、スイは木の幹に背を預けると静かに腰を下ろした。

俺の隣に並ぶようにして座ったスイを、なんとなしに眺める。

少しだけ細められた目元。

その視線の先には、ヨナ姫が居る。

思えば、スイは今も昔もずっとヨナ姫ばかり見て居る気がした。

にわかには信じられない話だが、スイが話して聞かせたあの話が真実なら、ふたりは血の繋がりを持っていて。

そしてスイはその繋がりを、心底大事に思っているようで。

普段見せない笑みを浮かべてヨナ姫を見つめるスイの横顔を、俺はなんとも言えない気持ちで見ていた。

長い睫毛。

薄い唇と、柔らかな線を描く眉。

いつかの違和感が、また、胸に込み上げてくる。

違和感、というよりは、既視感?

まじまじと見ていると、ふいにユンの言葉を思い出した。





 
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