黎明の獅子 -akatsuki no yona-
□黎明の獅子 第二七幕
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小さな頃から、ムンドクがよく顔をみに家へと来てくれていた。
男手一つで子を育てるのは難しいだろうと、ムンドクなりの気遣いだったらしいが、ムンドクは自分のことを男児扱いしないから困りものだった。
「また来たのか」
父、シュウンはムンドクの姿を見ると、いつも眉をひそめて神妙な顔をした。
ふたりは親友のようで、ムンドクが来たその日は決まって夜遅くまで酒を酌み交わすのだ。
酒の肴を作るのは自分の仕事。
仲のいいふたりを見ていると、自分も楽しい気持ちになるからいいけれど、ほんの少し、寂しいような気持ちにもなった。
いつか自分にも、父上やムンドクのような関係が築ける友が出来たらいいと思う反面で、その時には嘘をつき続けなくてはならないのだと理解していたからだ。
だから自分は、誰かと親しくなるのを避ける節があった。
気を許してくれた相手にも一線を引いて、なるべく関わらないように。
一匹狼だなんだと言われようが、正体がバレてしまうような危険は避けた方がいい。
歳をとれば嫌でも骨格に現れる。
肩を組んで笑い合うなど、恐ろしくて自分には想像も出来なかった。
「スイに紹介したい人がいるの」
ある日ヨナ姫が唐突に口にした言葉。
自分は怪訝に思いながらも、いつも通りを装って笑みを浮かべた。
「それは、興味深いですね」
「もう!ふたりきりの時はその話し方やめてって言ってるでしょ」
「失礼。君が人を紹介したがるなんて珍しいから思わず。それで?一体どこの誰なのかな」
頬を膨らませて不服そうに唇を尖らせるヨナ姫に笑って、その小さな頭をひとつ撫でる。
ヨナ姫はほんの少し気を許したようで、すぐにまたあの無邪気な笑みを浮かべた。
「ハクとスウォンよ」
「ハクって……あの、ソン・ハク?それに、スウォンっていうのは勘違いじゃなければユホン様のご子息、スウォン様のことじゃ……」
「あら、ふたりのこと知ってるのね」
「知らない人間がこの城にいると思うのかな」
呆れて思わず肩を落とせば、ヨナ姫は気にせずにぐいぐいと話を盛り上げた。
「なら話は早いわ!こんど四人で遊びましょ!」
「えええ……面倒くさ……いや、自分じゃ釣り合わないよ」
「そんなことないわ!というか本心がダダ漏れよスイ!」
「いや、だって……」
ソン・ハクにスウォンと言えば、この城の中じゃ有名人どころの話じゃない。
ソン・ハクは自分と同じ歳でありながら、かなりの実力を持っていて、風の部族の次期将軍とも言われている男だ。
さらにいうならムンドクの孫。
血の繋がりはないらしいが、ムンドクが手塩にかけて育てたわけで、とてもじゃないがお近づきにはなりたくない。
後々ムンドクが面倒くさいことを言い出すことは目に見えている。
そしてスウォン様。
ヨナ姫の従兄弟にして、ユホン様の子息。
それだけで十分関わるべき相手ではないことが知れるというのに、何故ヨナ姫は自分とそんな彼らを会わせたがるのだろうか。
目立つのは御免被りたい。
自分は注目を浴びるわけにはいかないのだから。
こうしてひっそりと、ヨナ姫の護衛が出来たらいい。
なんなら、自分はイル陛下直属武官であって、こうしてヨナ姫の側に居られることもありがたいことだというのに。
「スイはきっとふたりを気にいるわ!」
「……考えとくよ」
乗り気じゃない。
その一言に尽きる。
けれども、面と向かってヨナ姫に言うには、その向けられたきらきらとした笑顔が眩しすぎた。
悲しませたくないというのが先に立って、自分は上手く断ることができずに項垂れることになったのだった。
ヨナ姫からの猛烈な勧誘をのらりくらりとかわして来たその間。
ムンドクが自分を見て楽しそうに笑った。
「わしの孫が嫌いか?スイ」
「へ?いや、そんなことないよ。話したことはないけれど、彼は武人として尊敬出来る人間だし、嫌いじゃないよ」
「ならば何故会ってやらん」
「……お姫様は簡単に言ってくれるけど、自分はあまり人と関わるつもりがないんだよ」
知ってるでしょ?
そんな思いを乗せてムンドクを見れば、ムンドクは「ふぅむ…」と腕を組んで眉を寄せた。
「アレは賢いようで阿呆だからなぁ。大丈夫だとは思うぞ」
「自分の孫に向かって阿呆は酷いんじゃないの?ムンドクじぃの孫なら、きっといいやつなんだろうしさ」
「……っ───!スイの方が可愛いわい!!!」
「うわぁ!?ちょ、ムンドクじぃ!?可愛いってなに!?てか頭ボサボサになるって!!」
わしゃわしゃと勢いよく頭を撫でられ、ひとつにまとめていた髪が一気にあちこちへと跳ねてしまった。
肩までしかない髪は、結っていても撫でくり回されるとあっという間に解けてしまう。
髪を下ろすと、途端に女くさくなるから自分はそれを嫌がっているというのに……。
「わしはこっちの方が好きだがのぅ」
「自分はいやなの!もう……。ほら、もうすぐ父上も帰ってくるから、準備するよ」
可愛いのにと、ムンドクがそう言って自分を目を細めて見るから居心地が悪くなる。
父上が望んでいるのは、強い男児なのだ。
可愛い娘など、意味がない。
それを知ってか知らずか、ムンドクはやれやれと首を振るとどこからか酒瓶を取り出して注文を投げてくる。
「今日は辛口だ。肴は味付けを濃くしてくれると嬉しい」
「はいはい。それじゃ、父上が来るまでは昨日の残りの焼酎でも飲んでてよ。確か梅と胡瓜がまだ残ってるから、和わせてくる」
酒の味なんぞまだわかりもしないが、父上やムンドクがふたりで飲むたびにこの酒にはあれがいい、あの酒にはこれがいいなどと言ってくるから、覚えてしまった。
戸棚から焼酎の瓶を取り出して徳利に移し、ムンドクの元へと持っていく。
今は夏で暑いから、冷やしたやつの方がいいだろうと思い貴重な氷も添えてやった。
ムンドクは歓喜してそれを受け取ると、まるで子供のように楽しげに徳利から盃に焼酎を注ぎ入れ、まだ冷えてもいないというのに美味しそうに喉に流し込んだ。
やがて父上が帰ってくると、案の定、ふたりは酒と肴でどんちゃん騒ぎになった。
普段の威厳溢れる父上などなんのこっちゃ。
ムンドクとふたりの時の父上は、やけに穏やかに楽しげに見える。
それはきっと、互いに気を許しているということもあるだろうが、ムンドクだけが自分の本質を知っているということもあるのだろう。
父上ひとりで背負うには、自分の存在はいかにも重すぎるのだ。
ムンドクが居てくれて、ほんとうに良かった。
父上がひとりで潰れることがないよう、素知らぬ顔で手を貸してくれる人が居て、それがムンドクで、ほんとうに良かった。
家の中でくらいは、父上には気の優しい少し笑い上戸なだけの、ただの父になってほしい。
一歩外へ出れば父上はムンドクに並ぶ脅威の武将。
自分への武学も厳しく、物心ついた頃から手は血豆が絶えないほどに剣を握らされ、弓を持たされ、柔軟さや俊敏さを鍛えさせ、他の子と遊ぶ暇など何処にもない。
ゆえに、人との正しい関わり方を知らず、自分の中にある世界はヨナ姫と陛下、ムンドクのみだ。
ムンドクの孫ならば、きっと気の良い奴だと思う。
けれども今一歩、踏み込もうとは思えないのだ。
偽ることは嫌い。
この存在自体、嘘偽りの塊だ。
人に近づけば近づくほど、その嘘を重ねて行かなくてはいけないのだと思えば、せり上がってくる嫌悪が止まらない。
背中にいやな感覚が生じて、吐き気さえ覚える。
だから、ヨナ姫からのあの話は断らなくてはいけない。
特定以上と仲良くするつもりは毛頭にないのだから。