黎明の獅子 -akatsuki no yona-

□黎明の獅子 第三二幕
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「え、自分が…ですか?」

夕餉の時間を迎えた頃、唐突に父上から告げられた言葉を理解し飲み込むのに、幾分かかった。

幾分かかった上でやはり理解ができずに戸惑い、そんな間抜けな声を上げてしまう。

冬も近いその日、新年へ向けて様々な官吏の移動が計画されている。

そこで、空都の兵見習い達の一部を父上が面倒見ろとのお達しらしく、父上はその任を自分へと回すことを考えているらしい。

「出来ないことはないだろう」

「いや、ですが父上、自分が教える立場になったとして、それを快くは思われないのでは……」

父上だからこそこの話が来たのだろうに、それを自分が横から引き受けるなど、国としては言語道断と言うものだ。

困惑に、茶碗に白米をよそう手が止まる。

「お前の実力を前にそう考える阿呆が居たなら、そんな奴は放っておけ。グンテ将軍もお前に一目を置いている。お前を批判するものは居ない」

「……兵見習いとはいえ、自分より年上の方ですよね?」

「多少は年上かもしれんな」

「自分の話を聞いてくれるのでしょうか」

「……自信がないか」

「…………」

せっかく向けてくれた父上からの信頼。

けれど、自分はそれに応えられる気がしていない。

なにせ剣を鍛えるために人との関係を絶ってまで技術を磨いて来た。

誰とどうやって、どれだけ関わればいいのかもわからない。

ハクやスウォンは別だ。

立場はあちらが明らかに上で、自分は安心して敬うことが出来る。

けれども、自分より立場を下に持って行くとなると、どう扱えば正解なのか、わからないのだ。

年上相手に生意気に言葉を放ったとして、全てを放棄されてしまったら任されたその立場が崩れる。

素直に頷くことが出来ない自分に、父上は何も言わずに小さく息を吐いた。

「期間をやろう。考えるといい。どうしても無理だと言うのであれば私がそのまま引き受ける。だが、私はお前なら出来るとわかっているからこそ、こうして任せようと考えている。そのことも、重々理解しなさい」

「父上……。……少し、考えてみます」

「………」

ほんの少し、父上の目が何かを言いたげに細められた。

けれども、そこから何かを言うことはなく、そのまま食事を始めて、夜はさっさと眠りに着いた。

父上からの言葉なら、全て頷いてやりたい。

だが自分は父上の思っているような立派な人間じゃない。

信頼に応えられる自信など、ないのだ。

考える、とは言ったものの、どう考えたらいいのかすらもわからないまま。

自分はため息と共に思考を停止させて眠りに着いたのだった。


























翌朝。

父上は食事は良いと告げてすぐに家を出た。

昨日のことを怒っているのかと不安になったが、今日は月に一度の軍議の日であることを思い出して、かぶりを振る。

「(とはいえ、自分には人にものを教える力があるとは思えないんだよなぁ……)」

いつもの特等席の東屋の柵に横たわり、ため息を落とす。

そこで、この頃はやけに耳に慣れた声が背後から降ってきた。

「ため息なんて、珍しいですね」

「スウォン様」

「あれ、今日は様を付けるんですか?」

「…昨日うっかり呼び捨てにしたのはもう忘れてくださいって。どうしたんですか?ヨナ姫様ならここには居ないですよ」

「……スイに会いにきたんですよ。友に会いに来るのはダメなことでしたか?」

「友……」

「いやですか?」

子犬のように純粋な眼差しを向けられて、友と括られた言葉にため息を吐く。

こちらから壁を一つ置いてみても、こうして側に来られるとひどく嬉しい。

相手はこの国の王の血を引く由緒ある血筋の者で、容易に関わってはいけないはずの人種であるというのに。

ヨナ姫しかり、スウォン様しかり。

どちらも分け隔てなど考えもせず関わろうとしてくるから、壁の作りようもない。

ため息がてらに苦笑をこぼして、不安そうに眉を寄せるスウォンに小さく肩をすくめる。

「正直……自分は誰かと仲良くなれるって思ってなかったからさ、今が不思議でたまらない。しかもその相手がスウォン様ときた。周りにどうどやされることかってさ」

敬語なんか捨て去って、ありのままの自分で対峙する。

するとスウォンは破顔して嬉々として頷いた。

「私はスイと友達になれて、すごく嬉しいです」

「……君はいつも直球だね」

嬉しいとか。

悲しいとか。

思ったことはすぐに口に出す。

まるで濁りがなくて、透明な水のようでほんの少し、近寄りがたかった。

ヨナ姫同様に、汚してはいけない人種。

陽だまりのように暖かくて、綺麗な無色透明で。

何色にも染めてはいけない気がして、本当は少し、側にいるのが心苦しい。

そんな自分の気持ちを見抜いているのか、スウォンはぐいぐいと距離を詰めた。

「様はもうよしませんか?私のこともハクのように、呼び捨てがいいです」

「ぇえ……」

「だってずるいじゃないですか」

なにがずるいんだ。

そう突っ込みたいが、スウォンは期待に満ちた表情で自分の腕をしっかりと掴んだ。

「呼び捨てがいいです」

位など無視してくれと。

スウォンが真摯に自分を見つめる。

この国のお偉い血が流れているはずなのに、彼はどうして他を区別しないのか。

まるで同等だと思っているかのように、こうして自分に対して分け隔てがない。

「……自分が怒られるんですよ。そこんとこ、わかっててよね…………スウォン」

呼ぼうか呼ぶまいか悩んだが、呼べばスウォンは一気にその表情を破顔させた。

「はい!ふふふ、これでヨナに自慢出来ます」

「は?なんでお姫さんに」

「だってスイはヨナのことをすごく可愛がっているけど、呼び捨てにはしていないでしょう? 私の方が後ですけど、こうして呼んで貰えましたから」

ふふふん。

と、スウォンが訳もわからず嬉しそうに笑った。

ここで引き合いにヨナ姫を出してくることに理解が出来なかったが、スウォンが嬉しいのなら、それはそれで良いかと肩をすくめる。

「まあ、なんでもいいけど……」

「……やっぱり、少し元気がないです」

「へ」

じっと、スウォンが自分の顔を覗き込むように見てきた。

ほんの少し自分より背が低いスウォン。

見上げるように見つめられ、タジタジになる。

「べ、別に、元気だよ」

「嘘です。私では、相談相手にはなりませんか?」

「えぇ……いや、相談っていうか……」

こんなのを相談事と言えるのだろうか。

悩みではあるが、人に相談してなんとかなるようなものではない気がする。

抱えた問題は、自分自身でなんとか答えを見つけなくてはいけないもので。

スウォンに聞いたところで……。

なんて考えながら、それでも、真っ直ぐ自分を見上げてくるスウォンに眉をへにゃりと下げてしまう。

「……父上から、一部隊の指導官を任せられそうなんだ」

自分はまだそんな歳ではない。

そんな抵抗が強くて、受けることを心が臆してしまった。

「すごいじゃないですか!」

情けなく吐露した自分に、スウォンは目を瞬かせ、表情を輝かせた。

「さすがスイです!その歳で指導官を任せられるとなれば、天才と言われたグンテ将軍より早い出世ですよ!」

「え、いや、グンテ将軍にはまだ足元にも及ばない……」

「スイは強いです!私が保証します!」

「えぇ、君に保証されても……」

剣の腕はそこそこあるだろうが、スウォンの腕は自分には劣る。

ハクと比べたら弱いくらいで、そんな彼に言われても、説得力というものが見当たらないのだ。

何を根拠にこうも押してくれるのか。

眉をひそめながら、自分は自信のなさに情けなく笑った。

「自分には、無理だよ」

「無理ではないと思いますけど……」

「どうしてそう思う?」

根拠を教えてくれと、自分は真っ直ぐこちらを見るスウォンの目を、射抜くように見た。

自分の実力なんてものはわかってる。

わかりきっていて、先も見えている。

だからこそ、無理だと理解しているというのに。

スウォンはいまだ自信に満ちた表情で自分を見た。

「ラン将軍はとても厳しい方です。たとえ自分の子だろうが、甘やかすことはしないでしょう。だから、スイはこんなに強くなれたんだと思います。そして、ラン将軍は見る目のある方です。スイなら出来ると知っているからこそ、スイを選んだのだと思います」

まるで何でも知っていると言うかのように、スウォンが人差し指を立てながら理由を並べた。

父上が厳しい人。

そんなことは生まれた頃から知っている。

けれども、こうして他者から言われると、やはり父上は厳しい人なのかと再認識してしまう。

ラン将軍に付いていける武官は猛者ばかりと名高く。

そんな父上の子である自分は周りから一目も二目も置かれている。

父上の、買いかぶりなのではないかと不安だった。

自分に出来ることは、たかが知れているのだと。

けれどもスウォンはさらに続けた。

「スイも見る目があります。ハクとの稽古の時、スイの目はいつも相手の動きを確実に見ていて、見逃すことがない。人を見れるってすごいことなんですよ?」

なぜかスウォンの方が自慢げに笑って、自分の腕をぎゅっと握った。

「そんな風に悩んでいるのはスイらしくないです。やめたくなったらやめてしまえばいいんですから、悩むくらいなら、やってみたらいいんですよ!」

「……簡単に言ってくれるよね、本当…」

「だって、私はもうスイを知っていますから」

ふふふ。と、スウォンがまた楽しそうに笑う。

無邪気なその笑みを見つけて、わけもなく脱力した。

悩み、考え込んでいたのが馬鹿みたいだ。

やめたくなったらやめたらいい。

そんな無責任な言葉でも、無性に背中を押された気がして笑ってしまった。

「あー、もう、悩んでたの馬鹿みたいだよ、本当」

くつくつと喉を鳴らして笑えば、スウォンもまた嬉しそうに大きく頷いた。

「スイなら出来ます。私だってスイに教えてもらいたいって思ってるんですよ?」

「スウォンはそのままでも強くなれるよ。ユホン様のご子息で、見た目に反して筋肉はついてるし」

「……それは、嬉しい言葉です」

ほんのりと頬を染めて、スウォンが初めて照れたように目を細めた。

ユホン様が大好きで、いつでもその背を追いかけ続けているスウォン。

自分と似たような境遇にさえ思えて、どうしてだかスウォンとは親近感を感じてしまう。

父の背を追いかけるふたり。

共に強くなろうと背伸びをして、必死になって、今を懸命に過ごしている。

だからこそスウォンの言葉は嘘偽りがなく、すんなりと自分の中へ入ってくるのだ。

「……やってみるよ。初めて父上から任される仕事だし、やらずに終わるってのも気分は良くないし」

「その意気ですよ!スイならきっといい指南者になれます!」

「はは。期待はせず生ぬるく見守ってよ」

「時々は私とも手合わせしてくださいね?」

「それは、言われなくてもする」

「ふふふ。約束です」

「うん、約束」

互いに小指を立てて絡めて、目が合えば笑った。

同い年の優しい少年。

品位は高いのに、こうして分け隔てなく接してくれる友。

背中を押してくれる、大切な人。

父上に応と告げよう。

任された仕事は大きくて怖くとも、初めて父上がくださったもの。

出来なくても、出来るところまでやってみよう。

昼下がり。

スウォンの後押しをもらって、自分はそう決意した。

今夜、父上はどう頷いてくれるだろうか。

笑ってくれるといい。

そんな思いを抱きながら、午後の任に就くべくスウォンと離れ、自分はその日をそわそわしながら過ごすのであった。

途中ヨナ姫に「今日のスイはやけに落ち着きがないわね」と指摘され、ほんの少し恥ずかしい気持ちにもなりつつ。

父上が家へと帰ってくる夜を、待ち遠しく思うのだった。






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