黎明の獅子 -akatsuki no yona-
□黎明の獅子 第三五幕
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沢山の思考が交差していた。
何度も何度も自身に問い詰めて、父上を理解するまで、沢山の時間が必要に思えた。
否、理解したくなかったのかもしれない。
父上が自分に対して全てを打ち明けなかったのは、きっと自分が歩いているその土台が崩れてしまうと危惧したからだろうが、それでも自分は、せめて息をひきとる最後の瞬間を見届けてやりたかった。
言葉を交わしたかった。
愚痴や怒りをぶつけて、それでもありがとうと、言葉を投げかけてやりたかった。
そうすることさえ許してくれなかった父上の厳しさから、なにも教えてくれなかったのは自分が弱すぎたせいだと気付き不甲斐なさを覚えた。
遠ざけられた一年。
自分はたしかに、自分のことだけで精一杯だった。
父上の異変など気付こうともせず、目の前のことで手一杯で、未熟だった。
胸のあたりに、ぽっかりと穴が空いたかのような喪失感。
自分がこれまで培ってきた努力は、全て父上に認めてもらいたくて懸命にやってきたもの。
その芯を失ったいま、自分はどう頑張ればいいのか。
もちろん、あの子のために生きると決めたことは今も変わってはいない。
だけど。
どうしても……。
あの厳しくも優しい父上に、側にいて欲しかった。
成長していく自分を見守っていて欲しかった。
よくやったと、よく頑張ったと、いつまでも声をかけ続けていて欲しかった。
そうすることで、自分は……。
自分が何者であるのかを見失わずにいられたのだから。
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・・・スウォン視点・・・
ラン・シュウンの葬儀を終えて、数日が過ぎた。
空都第二部軍武将のシュウンが亡くなったことで、スイに次期空都第ニ部軍武将への昇格の話が持ち上がっていた。
けれども、議論が割れている。
あまりにも幼すぎるという反論意見と、スイであれば実力に問題はないというムンドクとグンテ将軍の意見。
五部族会議が幾度と行われ、その中でスイは異例の武将昇格試験を受けることとなった。
これでスイが試験に落ちたとしても、空都はもとより武将が一人だけだったということから、空都に二つあった部隊が一つに戻るだけ。
これはいわば、ラン・シュウンという男が築いてきたものへの特別措置とも言えるもの。
亡くなった彼の功績を称えて行われる、スイを介したシュウン元将軍への手向けだ。
スイはそのことについて、何も言わなかった。
ただ一言、「お受けいたします」と頭を垂れただけ。
その表情には、何の色も浮かんではいなかった。
太陽が東の半ばまで登った朝。
涼しい風が吹き抜ける春先。
桜の花が花弁を開き始めるその頃、例年なら花見だなんだと行事に勤しむ時期のはずであったが、今日日の城内はやけに重苦しい雰囲気に包まれていた。
それもそのはず。
三日後にはスイの空都第ニ部軍武将への昇格試験が行われ、この空都に幼い武将が誕生するか、二つあった部隊が一つにまとめられてしまうかが決まるのだ。
誰もが固唾を飲み、その日が来るのを待っている。
ぼんやりと廊下を歩きながら、ふと立ち止まる。
スイの実力がどれほどのものなのか、実際のところ私にはわからない。
本当に武将に並ぶほどの実力があるのか。
自分と同い年なのだ。
到底、まだその域に達しているようには思えなかった。
考えれば考えるほど、全てが重苦しく、気分は沈んでいく。
ここ数日会えていないスイはどう過ごしているのだろうか。
会いに行って良いものなのか、散々悩んだ末に結局会いに行けないまま。
あの日脳裏に焼き付いた号哭が消えず、私の中のスイは笑ってくれないのだ。
葬儀の後も何度か遠目に見かけたことはあったが、表情の作り方を忘れたかのように、スイは無表情に宙を見つめていた。
言葉も発さず、女官の噂話によれば、その頃は食事も摂れていなかったと聞く。
今は落ち着いたみたいだが、それでもそんなスイに会って、どう言葉をかけてやればいいのか分からず、数日が過ぎてしまった。
今日こそは、今日こそはと、何度もスイの元へ向かおうとした足を止めて、自己嫌悪に陥ってはまた明日にしようなどと逃げて。
そんな弱い自分にため息が止まらない。
また、一つ大きなため息を吐く。
途端、背後から飄々とした声が投げかけられ、びくりと身を震わせる。
「おはよう、スウォン」
聞き慣れたはずの、朗らかな声。
けれども私には、その声の主が誰なのか、瞬時には理解することができなかった。
あまりにも記憶にあるその人と、印象が変わっていたから。
「ちょっと、スウォン」
返事ができない私に、今度は訝しむように、声の主が横からこちらの顔を覗きこみ、手のひらを左右にひらひらと揺らした。
「寝ぼけてんの?大丈夫?」
「え…ぁ…スイ?」
「ほかに誰がいるってのさ」
ひどく心外だと言いたげにこぼされた返事に、私は思わず呆気にとられる。
「(いつもの…スイ……?)」
安堵するべきなのか。
スイはこれまでと変わらない飄々とした様子でそこに立っていた。
穏やかな笑みにはなんの憂いも影もない。
まるで、何もなかったみたいに……。
「これからお姫さんのとこに行くんだろ?一緒に行こう」
本当に、何一つ変わらない様子でスイが先を歩く。
向けられた背に、どうしてだか焦りを覚えた。
「スウォン?」
突然振り返ったスイ。
その目は驚きに満ちていて、何事かと視線で問いかけている。
ハッと自身の手元を見れば、私は咄嗟にスイの腕を掴んでいたようで、自分のその行動に自分で驚いた。
無意識に、引き止めてしまった。
「……何かあった?」
大丈夫かと、そう聞きたいのはこちらの方なのに。
スイは私の顔をまた覗き込んで、そう言ってやわりと微笑んだ。
違う。
そんな顔をさせたいわけじゃない。
けど、じゃあ、私は、スイにどんな顔をさせたいのだろう?
考えたとき、わけの分からなさに言葉が詰まった。
「私は…何も……」
私自身は何もない。
ないはずなのに、目の前で静かに笑うスイを見て、泣きたくなった。
たしかにこの目に焼き付いて離れないのに。
この耳に残っているのに。
胸が切り裂かれそうなほどのスイの号哭。
悲痛な泣き顔も。
全部、覚えているのに。
まるで夢でも見ていたみたいに、スイは何事もなかったかのように笑っている。
「変なスウォン。ほら、行こう」
すっと、スイが私の手を取った。
裾を握りしめていたままの私の手をそっと掴んで、先を歩きだす。
「考えてることがあるなら溜め込んじゃダメだよ。いつでもなんでも聞いてやるから、言いたくなったら言ってね」
ほんの少しだけ冷たいスイの手。
冷え性なのか、指先へ向かうほど体温は低い。
それでも、自分のものとは違うその温度がひどく心地よく。
ぼんやりとスイの手を握り返す。
「…スイも、」
「ん?」
「スイも言ってください。私に言えることはなんでも。スイが思っていること、全部です」
「はは。うん。ありがとう」
口の端を緩めて、スイは朗らかに笑う。
けれどもその笑みを見た途端。
ありがとうと告げられたその瞬間。
一線を引かれた気がした。
Wなにも話すことはないWと、暗にそう告げられた気がした。