黎明の獅子 -akatsuki no yona-

□黎明の獅子 第三六幕
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その姿は壮絶だった。

水を得た魚のごとく。

または、野に解き放たれた獣のごとく。

または、獅子神々と舞い降りた、鬼のごとく……。







その様を目にしていたものは皆、言葉を失っていた。







その目に射抜かれた者は皆、士気を失っていた。







その姿から目を離せぬ者は、目の前のW鬼Wに、心を奪われていた。













黎明の獅子

〜追憶編最終話〜














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─────────・・・・・・
・・・ハク視点・・・






あの夜からひと月。

軍師のひとつの提案で、スイがラン・シュウンの後を継ぐに(あたい)するかどうかを試す試験が行われようとしていた。

スイは一言返事で「お受けいたします」と告げたそうだ。

あんな夜の後で、スイは本当に大丈夫なのだろうかと気を揉んだものだが、スイはただ笑って、俺に向かって「大丈夫」と頷いた。

ならば信じるしかない。

スイの実力は俺もわかっている。

この頃はよく眠れているのか、少し前と違って顔色も悪くない。

問題は試験内容だ。

ひとり対、百騎打ち。

百人の兵を相手に、スイがどれほどの実力を示せるかを試すという。

俺だって骨が折れる試験な上に、地の部族長と空の武将どもが混じっている。

子供相手にそこまでするかと怒りさえ覚えたものの、会場を眺めていたスイは妙に落ち着き払っていた。

「行ってくるよ」とそう言って手を振ったスイは、何故だかどこか大人びて見えた。

そして開始を告げる鐘を合図に、スイの武将昇格試験が開幕となる。




「スイ…負けんじゃねぇぞ」




知れず、ひとりごちる。

そして会場入りしたスイを目にして、息を飲む。

その手に握られているのは、シュウンから貰ったと言っていた剣で、いつもと変わらないものだ。

けれども、数が多い。

「おい、剣を二本持ってるぞ」

「どういうことだ」

「陛下は全力を出すように申したらしいが…」

「ラン武官は右利きであろう、どうするつもりだ」

なんて声があたりから聞こえてきて、ハッとなる。

「(そうか……あいつ……!)」

思いだす。

あの日一日だけ、スイが右手じゃない方の手を使ったことを。

そして悪戯を含んだように笑いながら告げた、あの言葉。

『実は自分、左利きなんだよね』

ニヤリと嫌な笑みを浮かべていた。

苦笑を禁じ得ない。

これまで欺くように、スイはただ一本の剣だけで渡ってきた。

そして陛下に全力を尽くせと言われた途端これだ。

要するに、これまで全力を出したことがなかったということだろう。

ゾクゾクと、背筋が粟立った。

会場の中央で、ひとり静かに立つスイの背中。

穏やかに、ただそこに立っていた。

見えている世界が気になった。

あいつはいま、何を見ているのだろう。

「ハク」

声をかけられて、振り向く。

スウォンが真剣な表情を浮かべて、会場にひとり立つスイを見つめていた。

「きっと、スイは乗り越えますよね」

「……ああ」

この先、スイが上を目指すにはこの日をもって他にない。

これほどの近道、そうそう機会は来ないだろう。

それこそ、シュウンが死ぬことがなければあと何十年先だったかもわからない。

「スイは強いです。私は、スイを信じています」

「奇遇だな。……俺もだ」

じっと、俺もまたスイへ視線を戻す。

ヨナ姫は公式試合の鑑賞を許可されておらず、いまこの場にはいない。

俺とスウォンとふたり、ただ静かにスイを見つめる。

やがてひとりの兵士の一歩を引き金に、百人の兵がスイへと向かって怒号をあげた。

二本の剣を引き抜いて、スイがゆらりと身体を揺らす。

それから後は、まるで夢でも見ているかのような光景だった。

踊るがごとく身体を舞わせ、剣の切っ先は常に正しく、正確に相手を切り払っていく。

腕を、脚を、身体を全て使って。

四方八方から襲いくる刃をいとも簡単に防いで、いなして、捌いていく。

時々見えるスイの表情は焦りのひとつも浮かんでおらず、じっと見抜くように相手を見ていた。

やがて音が減っていく。

百騎いたはずの兵たちはものの見事に数を減らされ、残るは武将と、十数名の武官のみ。

地の部族長グンテ将軍は面白がるような表情を浮かべ、浮き足立つように柔軟体操に入っている。

空都第一部隊将軍ユホン様の部下であるジュド部隊長は、読めない表情でスイを推し量るようにその場から一歩も動かず流れを見ていた。

この二人は高華最強と呼ばれ、ジュドは若いながらもムンドクに追いつかんばかりの猛者だ。

そしてこのふたりが居るだけで、敵国の一部隊を壊滅できるほどの脅威がある。

スイがどれほどあの二人と渡っていけるのか、誰もが固唾を飲んで見守っていた。

剣がまるで体の一部であるかのように、スイは縦横無尽に剣を振り回していく。

相手の隙間に入り込むのが上手い。

咄嗟の判断が的確で、スイ自身には少しの隙がなく、一斉にかかってきた相手に対してもどこまでも冷静に反応し、体勢を崩すこともない。

「スイは…」

横で、スウォンがうわごとのようにつぶやく。

「スイは、まるで踊るように戦うんですね…」

敵を敵とも思わず。

無駄を作らず、一挙一動に重きを置いて。

まるで、遊んでいるように。

「(……化け物かよ…)」

未だ息は上がっていない。

そしてついに、武将を残して九八人の兵を打ち負かした。

「すごいです!スイはやっぱり、すごいです!」

興奮したスウォンが飛び跳ねながら俺の肩を叩いて、俺もまた鮮やかな流れに興奮を禁じ得ない。

ゾクゾクと粟立つ感覚はいまだ残っていて、今すぐあの場に俺自身も飛び込みたいと思ってしまう。

心ゆくまで、スイと剣を交えたい。

獲物を狙うようなあの目に射抜かれたなら、どれほど楽しいだろう?

やがて、空都第一部隊長、ジュドが一歩前へと進みでた。

スイは緊張もしていないのか、その様をじっと見据えている。

どちらともなく互いを探り合い、一歩を踏み出したジュドに合わせて、スイもまた地面を蹴った。

あいつのすばしっこさは随一だ。

身体の軽さを利用して、いつも俺は振り回されていた。

大人であるジュドはスイの素早さにどう対処するのだろうか。

スイは一気にジュドの懐へと入り込むと、円を描くように回転をかけて剣を振り上げた。

ジュドはそれを背後に飛び上がることで避けたが、スイは休む間も与えずすぐさま後を追いかける。

振り切った剣の後に連続して踵を振り上げて正面へ身体を回転させ、再び地面を蹴り上げてジュド将軍の背後へと飛び込む。

不意をつかれたジュドはスイの背後からの一太刀に対応できない。

下から一気に振り上げた二双の剣で、ジュドの剣を鞘ごと弾き飛ばす。

いともあっさりと、ジュドは剣を失った。

途端、会場がざわめく。

「ジュドと渡り合うどころか、不意をつくなんてすごいです!」

「剣を落とされりゃその場で試合は終了だ。…スイの勝ちだな」

公式試合において、剣の所持は重要。

戦場では剣を失ったヤツから死ぬ。

「ジュドのあの悔しそうな顔、初めて見ました」

隣で嬉々として語るスウォンに頷いて、俺もまたジュドがスイに対し礼を取り、会場を出て行く姿を見送った。

そして最後のひとりも。

飄々と一歩を踏み出し、イ・グンテ将軍が楽しむように剣を肩に担いだ。

ここからじゃ、何を話しているのかは聞こえない。

何かを、グンテ将軍がスイに語りかけている様子だった。

スイはそれに対して何ら反応することもなく、ただ深い礼を取った。

やや長く感じられたその礼の後、スイの表情を目にして俺の背筋がぞクリと戦慄する。

口の端をゆるりとゆるめて、狐が獲物を見つけたかのような楽しそうな笑み。

ほんの少し残虐にも見えるその笑みに、胸がどくどくと波打った。

スイの見えている世界はどんなものだろう。

そんなことを一刻ほど前に考えていたが、再び気になった。

地の部族長と言えば、好戦的でかつ武の天才とも言われるこの国では獰猛な部類の武将だ。

風の部族長のムンドクとて最強と言われているものの、グンテ将軍は戦うことを心底好いている。

脳筋なんて言っちゃ響きは悪いが、戦うことに関しての彼は紛うことなき天才である。

スイはグンテ将軍を前に、剣の構え方を変えた。

左手の一本はいつも通りだが、右手の一本を剣の先が背後に向かうように、逆さまに握ったのだ。

そして、互いが一歩を同時に踏み出す。

グンテ将軍は特に目立った動きをせず、ただスイの元へと向かっていく。

スイは先程とはまた違った動きを取り、一気に懐を(ぎょ)しにいくのではなく、間合いを付けて試すように一振り一振りを軽く突きつけていった。

測るような距離感。

グンテ将軍もそんなスイをいなすように剣を振るっている。

じゃれ合うようなやり合いが続いた後、スイが大きく一歩を踏み出した。

お得意の回転を付けて、グンテ将軍めがけて二本の剣を振り上げていく。

グンテ将軍はそれを難なくかわし、すぐに反撃へと移る。

打撃の大きいグンテ将軍の一振りをまともに受けたなら、スイのような細身ではあっという間に潰されてしまう。

スイは真横から飛んでくるグンテ将軍の一撃を、避けもせず真っ向から受けようとしていた。

さすがに、こちらの肝が冷える。

危ないから避けろと声を上げようとして、隣でスウォンが息を飲んだのを耳にしながら、唖然とした。





 
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