黎明の獅子 -akatsuki no yona-
□黎明の獅子 第三六幕
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「ラン武官……嘘だろ……!?」
誰かの声が驚愕に響く。
目前まで迫って来た剣を前に、スイはその場で飛び上がり、水平に飛んできた剣の腹へ手を置いてそれを軸にグンテ将軍の懐へと潜り込んだ。
意表を突かれたグンテ将軍は目を大きく見開き、ついで楽しくてたまらないといった様子で笑い出した。
スイが連続で繰り出した回し蹴りをあっさりと避けて、グンテ将軍は次の攻撃に入るべく姿勢を低くする。
スイもそれにならって距離を取り、グンテ将軍からの攻撃を軽くいなした。
「なるほど…右手の剣を反対に構えているのは、防御で使うためだったんですね」
スウォンがつぶやく。
言われて、たしかになるほど、と納得した。
スイの二つの剣を上下逆に構えている理由は、防御をするためなのだとようやく理解出来た。
攻撃を確実にかわせないとなると、やはり防御が必要になる。
スイはいつも試合相手を瞬殺させてしまうから、これまで防御を必要とはしてこなかったが。
自分より上の相手となると、話は別らしい。
「怖くは……ないんでしょうか」
「………」
むき出しの刃を前に、スイは恐れようともせずまともな防具も付いていない腕や足を惜しげもなく出していく。
腕で剣の腹を払いのけたり。
足の裏で向かってくる剣を蹴り返したり。
そんなこと、恐ろしくて誰もが真似できるようなことじゃない。
けれどもスイは相手の剣先を確実に目で追い、一本の綱渡りのようにぎりぎりのところをかわしていく。
踏み間違えれば、命もないような危険な駆け引き。
スウォンが目を奪われたように、スイから視線を外すことなくうわごとのように言葉を吐く。
「あんな戦い方、怖いはずなのに…スイがああして闘っているのを見ていると…すごく綺麗だと思ってしまうのは…どうしてなんでしょう?」
無駄のない。
隙のない闘い方。
綺麗で、壮絶で。
恐ろしい。
だからこそ目を奪われ、言葉を失う。
このまま見ていたいと思ってしまう。
けれど反面……。
「……ハク?」
ハッと、スウォンがまた息を飲んだ。
けれどもそれは、俺を見てのことだった。
「……武者震いがすげぇんだ。さっきから、俺もあいつとやりたくて仕方ねぇ……」
ふつふつと湧き上がる欲。
全身全霊本気のスイとやり合いたい。
この剣を交えて、ただ心ゆくままに、語らいたい。
どれほど楽しいだろう。
どれほどの緊張感を味わえるだろう?
高揚感を感じて、仕方ない。
スウォンが呆れたように隣で笑って、頷いた。
「たしかに、あれほど楽しそうな試合なら、私も混ぜて欲しいですね」
延々と続くように、次から次へと仕掛けては互いで防ぎあって。
それを楽しむように剣を交わせるふたりが羨ましい。
やがて、スイが猛攻撃を仕掛けた。
目で追うのがやっとなほどの、高速な連続攻撃。
上から、下から、はたまた左右からいっぺんに来たり、上からくるかと思えば下からだったり。
まるで予知できない連続するその攻撃に、グンテ将軍の剣がついに宙を舞った。
相手に痛みを与えてはいないものの、剣を落とした時点でグンテ将軍の負けだ。
スイはだいぶ息を切らした様子で、それでも左手を大きく振り上げた。
その瞬間、スイの勝利が決定した。
振り返ったスイがまっすぐにこちらを見上げて、大きく手を振った。
眩しいくらいの笑顔で、ほんの少し泣き出しそうなそんな顔で。
俺とスウォンに向かって大きく、その腕を振った。
──────
─────────・・・・・・
・・・スイ時点・・・
「スイ!」
会場の入り口から駆け込んでくるように、ムンドクが自分の元へと走ってきた。
高揚感が止まらない。
いつまでも震える手足が治らない。
緊張なんてものじゃなかった。
あれだけの人数を前に、ジュド隊長やグンテ将軍を前に、震撼しないわけがなかったのだ。
全身を駆け巡るような緊張を必死で制して、無我夢中で剣を振るった。
相手がどう動くのかをずっと考えながら、思考戦を延々と続けて。
張り詰めていた糸が、プツリと解けていく。
駆けつけたムンドクのくしゃくしゃな笑みを見た途端、足元から力が抜けていく思いだった。
「ムンドク……!」
抱きとめられるようにその胸の中へ飛び込んで、思い切りその身体にしがみついた。
優しい香りがふわりと鼻腔を刺激して、安堵から泣きたくなった。
「よくやった……!スイ、よくやった!!」
「……ムンドク、父上は、見ていてくれただろうか…っ?」
頑張った。
震える手足を無理やり誤魔化して、平常心なんてものをとりつくろって。
ここでダメだったらなんて考えた時は逃げ出したくて仕方ない気持ちにさえなって。
それでも、この手に握られた二本の剣を見下ろした時、そんな愚かな真似は絶対に出来ないと心が叫んだ。
父上に認めて貰いたい。
そのためだけに、生まれてからこの時までずっと剣を握ってきたのだ。
父上と同じ名を語れるなら、こんなところで怖がってる暇なんぞない。
「あいつも、笑っておるよ。スイがこうなる日を誰より楽しみしておった……」
「……うん、…………うんっ」
嗚咽が溢れる。
溜め込んでいた思いがまた溢れ出した。
父上、私は、あなたの意思を継ぎます。
これから先も、あなたの思い描いていた私で歩いていきます。
だからどうか、せめて見守っていて。
そばに居られなくたって。
そこから、私をずっと見ていて。
しゃくりあげる自分の背中を、ムンドクが優しく撫でた。
しきりに「よくやった」と褒めて、労ってくれた。
ムンドクの肩越しに見えたグンテ将軍が穏やかな笑みを浮かべてこちらを見ていた。
彼もまた、自分の胸中を理解してくれているひとりだ。
だからこそ、今日というこの試合に出てくれたのだ。
手加減なんてことはしてくれなかった。
一瞬でも隙を見せていたらあっという間に地面に転がされていた。
試合終了の鐘が鳴ったと同時に、グンテ将軍もまた「よくやった」と声をかけてくれた。
どれほど暖かくて、どれほど嬉しかったか。
私は、ひとりじゃない。
見上げた先にはハクもスウォンも居た。
誰よりも強く手を叩いてくれていた。
もう、悲観に暮れるのはいやだ。
「ムンドク……自分は、沢山のものをもらって、沢山の大事なものが出来たよ」
囁くように告げれば、ムンドクから息を飲む気配が伝わってきた。
しがみついていた腕を緩めて、真っ白な柔らかい髭を生やす優しい顔をしたムンドクを見上げる。
「友達なんて要らないって思ってた。自分はひとりで生きていくって決めつけてた。だけど、ムンドクが背中を押してくれて、ハクやスウォンに出会って、自分はこんなにも大事な人が増えたんだよ」
ありがとう。
そんな言葉で伝わるだろうか。
「ムンドクが、最後まで父上の側に居てくれて、本当に良かった……ねえ、ムンドク」
本当は自分が側に居たかったなんて子供じみたことを言ったら、きっとムンドクは申し訳ないとか思うんだろう。
でも、それ以上に思っているのは。
「ありがとう。本当に、ありがとう…」
涙でぐしゃぐしゃで情けなくなったかもしれない。
それでも、笑って告げたかった。
「ムンドク、ありがとう」
父上の親友でいてくれて。
私の側で、私を私として見てくれて。
二人目の父上みたいで、本当は心配してもらえることが心底嬉しかった。
今もそう。
父上の代わりになんて出来ないけれど、こうして一番に思ってくれるところが嬉しい。
吐き出した本音に、ムンドクは目を見開いて、泣いた。
大きな大人がこんな風に嗚咽をこぼして泣く姿など始めて見たし、憧れて背中を追ったこともある人で、なんだか新鮮で、笑ってしまった。
もう一度ぎゅっと強く抱きしめてくれて、それに応えるように抱きしめ返せばムンドクはまた泣いた。
ムンドクが存外泣き虫だったことを知って、また笑う。
大人だって泣くのだ。
自分が父上を思って泣くことは悪くない。
父上。
私は、あなたの自慢の娘でいられましたか?
これからも、あなたの自慢の娘だと思ってもらえますか?
やけに澄んだ青空を見上げて、深く深呼吸する。
どこか遠く、父上のあの喉を鳴らす笑い声が聞こえた気がして、自分はまた笑った。
表彰式。
陛下の前で昇格の儀が執り行われる。
しっかりとした正装をして、しきたりだなんだと退屈な司祭の言葉を聞き流して、王より髪飾りを承った。
乙女が付けるような装飾豪華なものではなく、紫色の宝玉が付いただけの、けれども細かな細工が施された純金のみごとな簪。
「ありがたく、いただきます」
手渡しで差し出された簪をそっと手に取り、自ら髪に差す。
シャラリと、細工が揺れる。
「これより、ラン・スイ武官を将軍へ昇格とする。任を全うしなさい」
「陛下の御心のままに、この身全てでその任を全う致しましょう」
深く礼を取り、目を閉じる。
さあ、これで私が得るべき力は得た。
ヨナ姫の側に居る権利も。
スウォンの隣に並ぶ権利も。
父上との約束の一歩も。
全てが揃った。
これから先どうなるかなんてわからない。
ハクもいつかムンドクの後を継ぐだろう。
それだけの実力をすでに彼は持っている。
顔を上げるようにと告げられ、ふと見上げたイル陛下の表情は、ほんの少し大人になることを急いだ自分を案ずるような色が滲んでいた。
けれども、笑って返した。
大丈夫だと。
もうひとりではないからと。
笑えば、イル陛下もまた小さく笑ってくれた。
この王を、どこまでも守り抜こうと思える。
ヨナ姫を、この国を、この腕で守れるだけ守りたいと。
最年少で将軍へと昇格したその日、自分に密かな二つ名が付いていた。
それは皮肉も混じっていた。
小鬼のようにすばしっこく、厄介だという皮肉。
『高華の白鬼』なんて呼ばれるようになったのは、その頃からだった。
これが、自分が将軍になるまでのお話。
そして、ここから5年間が、自分がスウォンやハク、ヨナ姫と時間を共にした愛おしい日々である。
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