黎明の獅子 -akatsuki no yona-

□黎明の獅子 第三七幕
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懐かしい夢を見た。

かつては肩を並べて歩いた三人。

夕焼けに照らされた三つの影は、どれもちぐはぐだったと思い出す。

それぞれが違う道を選んで、それぞれが一つの未来を見つめた。

手繰り寄せて繋がった糸は強固な紐になり、結ばれ、けれども解かれてしまった。

些細なすれ違い。

思考の違い。

ゆえに、心は離れてしまった。

遠ざかり、見えなくなった糸。

今も、この手に繋がっているのだろうか。

苦しい時に側にいて「大丈夫」だと懸命に伝えてくれたあの声は、嘘偽りなどでは決してなかった。

大きな硝子玉のような綺麗な瞳に滲んでいたあの涙は、優しさは、確かにこの胸を救ってくれたのだ。

「…スウォン」

いま、誰もいない城でなにを考えている?

何を感じて、何をしようとしている?

わからなくなってしまった心に、ただ、寂しさを覚えていた。

月明かりが照らす自身の手は頼りなく、宙をさまよっては何も掴めずに降ろしてしまう。

この手からすり抜けていくものが多いような気がして不安になる。

許されると思わない。

想い続けることが、最愛のあの子を傷付けてしまわないかと怖くなる。

誰一人傷付けないために、何が出来るだろうか。

もっと強くなることだ。

誰にも負けないくらい。

誰よりもあの子を守れるように。

しっかりと自分と向き合えるくらい、自信がつくように。

強くなりたい。

そんな思考で頭はいっぱいで、けれども現実問題そうはうまくいかないことを知っていて苦笑が漏れる。

性別という壁はどうにも分厚過ぎて、厄介極まりない。

いつだってどうすれば強くなれるか考えて、足りないものを補うほかの何かを探している。

終着点などあるのだろうか。

犬っころのように自分の側に居る天才を前に、ほんの少しやさぐれそうな思いだった。





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─────────・・・・・・




「……剣を習いたいだって?」

まだ人も起きやらぬ早朝のこと。

なにやら自分に忍び寄る気配を感じて目を開ければヨナ姫が立っていて、そして目が合うと『剣術を教えて欲しい』などと告げてきた。

じっと向けられたその視線は、自分が持っている二双の剣に向かっている。

「スイと同じように…なんて、そんなことは無理だとわかっているけど、それでも少しは振るえるようになりたいの」

「不要ですよ」

懸命な思いで告げるヨナ姫に、間髪入れずに首を振る。

「貴女には、必要ない」

いささか冷えた声色が出た気もするが、引く気はない。

「弓を持っているでしょう。それで十分です」

これで話は終いだと、剣を手に取り背中に差す。

朝餉の支度をするべくヨナ姫に背を向けて、さっさとみんなが眠る部屋を抜け出した。

誰もいない台所へ来て、途端に微かな目眩を覚える。

「(弓の次は剣か…)」

彼女は強くなろうと懸命だ。

けれども、その懸命さが危うかった。

「(おおかた、自分が剣を扱っているのを間近で見ているからなんだろうなぁ…)」

剣も弓も死ぬほどの鍛錬を積んできたわけで、そんじょそこらの男共になら指一本触れさせずに倒すことが出来るくらいには、この腕に自信がある。

それも父上との厳しい修行の日々があったからこそのものだ。

とうてい、今から始めるとなるとヨナ姫には厳しいどころか無理な話だし、危険も増してしまう。

「(ここで自分が許したら、ハクにも首を絞められそうだよなぁ)」

弓さえ持つことをハクは嫌がった。

おそらく、自分とハクの考え方は酷似しているのだと思う。

危険には近づけさせたくない。

そのことを、彼女自身も理解していて気付かないふりをしているはずで。

さて、どうしたものか…と頭を悩ませる。

簡単に引き下がるヨナ姫でもない。

自分に断られた後は、ハクやシンア、ジェハ辺りを頼るかもしれない。

あとで根回しをしておいた方がいいだろう。

「(…先にご飯だな)」

生き急ぐように先へ進もうとするお姫様を思い、台所で鍋に水を注ぎながら小さなため息を落とす。

「(自分に出来ることは、守ることだけなのになぁ…)」







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・・・ハク視点・・・




人の動く気配がして、意識が浮上する。

訓練を受けている俺やスイは、人の微かな気配だけでも目を覚ます身体になっている。

案の定、スイもまた目を開けてその音がなる方をしっかりと見ていた。

というよりは、スイの目の前に立つ人物を見上げていた。

何事かと黙って成り行きを見守っていれば、ヨナ姫の剣を教えて欲しいという言葉にスイが思い切り顔をしかめさせたのが見えた。

ついで、いつもは砕けているはずの口調がかしこまり、冷たい響きを乗せてヨナ姫のお願いに否と返す。

普段は剽軽なスイが敬語を使うときは、大概、陛下の前か不機嫌な時だけだ。

それを本人が自覚しているかはわからないが、聞こえて来た今の会話は全て、敬語になっていた。

「貴女には、必要ない」

短く吐き捨てるようにこぼして、スイは最後には部屋から出て行ってしまった。

その後ろ姿をヨナ姫が悔しそうに見送り、布団へと潜り込んだ。

てっきり俺の方へと来るかと思っていたが、とりあえずは諦めたらしい。

やがて台所から聞こえて来た包丁の規則正しい音や水を使う音に再び睡魔が忍び寄ってきて、俺はスイの背中を横目に見ながらもう一度目を閉じた。

スイはいま何を考えているのだろう。

眠りに入って行く中で、そんな事をぼんやりと考える。

ヨナ姫を心底大事に思っているコイツのことだ。

俺と同様、危険には極力近付けたくないと考えているに違いない。

そしてヨナ姫に一等弱いスイは、強くなろうとするお姫様に対してなんらかの支援もしてしまうのだろう。

これまで散々言い負けてきたのだから、また今回もスイは考えに考え悩んで答えを改める気がした。

「…水、足りないや」

ぼそりと、呟く声が聞こえてまた目を開ける。

スイが炊事を中断して、玄関の方へと踵を返したのが見えた。

まだ暗がりの夜明け前。

こんな時間に外へ出ることの愚かさに思わず起き上がり、周りを起こさないように素早く後に続く。

けれども、月は思っていたよりも大きく辺りを照らしてくれていた。

「……なに、起きてたの」

無愛想にこぼして、スイが振り返って俺を見る。

銀糸の髪が月明かりを帯びて煌き、風にふわりとなびいた。

「この辺の水場を知らないだろ、お前」

「なんとなく、匂いとか辿れば行けるかなって」

「お前は犬か。どうせ行くなら樽満たんにしといた方がいいだろ」

「このひっつき虫」

むすっとした様子で、スイは肩をすくめると首を小さく振り、俺を困ったように見上げた。

「まあいいや、話したいことがあるし」

「俺も反対だぞ」

「おや、やっぱり聞いてたんだね」

「いやでも聞こえる」

「だよね」

ははは、と。

スイがいつものようにカラカラと笑う。

その横顔は案の定、迷っている色を見せていた。

「もっと強くなるには、どうしたらいいんだろうね」

月を見上げるようにして、スイは目を細めてそう呟く。

鍛錬を積めばいいだろう、なんて言葉はスイには言えない。

スイは女の身で、あり得ないほど力を付けた。

剣さばきも体術も熟練以上のものだ。

それでも追いつかない力の差は、まんま男女の差になってしまっていて、スイはそれを酷くもどかしく思っている。

ヨナ姫にこれ以上背負わせないように、スイもまた強くなりたいと願っているのだろう。

「難しいなぁ。まだまだ自分には出来ることがあるって思うんだけど、それを見つけるためにどんな道を歩けばいいのかわからないんだから」

細めたままの目元、視線を下へ向けて、スイはふと情けなく笑った。

「お姫さんの気持ちは、本当は自分が一番よく知ってるんだよ…」

はっとした。

スイのその言葉に。

「あの子がこれから進もうとしているのは自分が歩んできた道だ。わかるんだよ。あの子が力を付けるためにどれだけのことをしないといけないのか」

スイが揺れている。

「私はあの子を知っている。どんな風に育ってきたのか。だからね、ハク。私には、ヨナのあの小さな身体では剣は到底無理だってことが一番よくわかるんだよ」

なんとかしてやりたい、けれど底がもう見えている。

そんな宙ぶらりんな感情に揺れているのだろう。

スイは悔しげに唇を噛みしめて拳をぎゅっと握りしめた。

「私にはあの子に剣を教えてやれる自信はない。あの子自身にも負担が大き過ぎる。でもそれで何もさせずに終わらせるのは、何もしてやれないのは、すごく嫌だ」

負けず嫌いな性分。

また、スイに対して形容しがたい気持ちが湧いていく。

いつだってスイは無理だと考えながらも、それを補える何かを同時に考えている。

それこそが、スイが女の身で高華の白鬼と呼ばれるほどに強くなった所以に違いないわけで。

悔しいとうつむきながらも、頭の中を全回転させて考えているのだ。

ゾクゾクと背筋が粟立つ感覚を覚える。

そうだ、いつだってスイは前を向く。

行き止まりにぶち当たった時、越えられないなら道を探して一歩でも近づけるように、回り道でも、遠回りでも、スイは前へ進もうと足掻くんだ。

決して諦めようとしないその立ち姿が、どうしようもなくこの胸を鷲掴みにする。

自然と唇の端が上がっていく。

武者震いのような震えを覚えて、俺は堪らず笑い出してしまった。

「く…くく…っ」

「……なに笑ってんのさ」

俺の笑い声を聞いて、スイが途端にじとりとしたうろんな視線をこちらに向けてくる。

ほんの少し不貞腐れたようなその表情が妙に幼く見えて更に笑えた。




 
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