黎明の獅子 -akatsuki no yona-
□黎明の獅子 第三七幕
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「いや、相変わらずお前は面白ぇな、と」
「はぁ?」
訳がわからんと顔をしかめて、スイがふいにため息をひとつこぼす。
「まずは基礎からだ。ハク、自分はあの子を鍛えてみるよ。強くなるために、必ずしも武器を持つ必要なんてないしね」
ちらりと、スイが背後へ目をやる。
つられるようにそこへ視線を向ければ、思わぬ人物の姿を見つけて目を見開いた。
「おま、スイ…いつからだ」
「割と最初から」
あっけらかんと答えるこいつに、久しぶりにわずかな殺意が込み上がる。
「お姫さん、おいで」
スイが背後を振り返り、苦笑混じりに手招きをした。
草木の茂みから現れたのは、ヨナ姫の小さな身体。
「……やっぱり、気付いてたのね」
これまた不貞腐れたような声。
おずおずと近付いてくるヨナ姫の頭にスイが手をのせる。
「きっと自分が面と向かってどう伝えたって、お姫さんは強くなりたい一心で武器を手に取ろうとするだろう?自分も、お姫さん相手に何をどう伝えたらわかってくれるかがわからないし」
ちら、と。
スイが俺を見上げて情けなく笑った。
「ハクを見てるといつも答えが見つけられる気がしてさ。自分に出来ないこと、人に出来ないこと、自分に出来ること、人に伝えられること。そういうのがさ、ハクに向かって話していたらまとまる気がするんだよね」
ほんの少し照れ臭そうな、スイのそのあどけない笑み。
胸の奥がくすぐったく感じて、思わず目を逸らしてしまう。
「お姫さん、今日のお昼から稽古をつけるよ。いい?武器は使わない。使うのはお姫さんの身体ひとつだ」
「身体ひとつ?」
「合気道ってやつをね、修得してもらう」
「合気道…」
「その身体全てが盾や武器になるんだ。まあ、詳しいことはご飯の後にだね」
たどり着いた答えにスイが満足している中、ヨナ姫はひとり首を捻らせて合気道とやらを考えるように眉をひそめた。
俺も、スイの口からその言葉を聞いたのはあまり多くない。
やけにゆっくり歩いていた歩幅をいつも通りの早さに戻したスイ。
それで、こいつがヨナ姫を気遣ってゆっくり歩いていたのだと気付く。
「お前はいつまでも食えねぇやつだな」
「食うとか気持ち悪いからやめてくれる?」
「……ドアホ」
「さて、今日から忙しくなるぞ〜。ついでに自分も身体動かせるし、お姫さんは護身が出来る様になるし、一石二鳥ですねぇ」
ふにゃりと下がった眉。
逃げ隠れした方が確実に難を逃れる事が容易のはずなのに、護身なんてものを教えてしまえば危険は増えるというのに。
スイは何もしないという選択が出来なかった。
いつだってヨナ姫最優先で、ヨナ姫の願いを叶えんともがく。
「……ちょうどいい。俺も混ざる」
「やだよ、お前に教えるもんなんかないよ」
「暇なんだよ」
「働け脳筋」
いつもの軽口を言い合う。
ヨナ姫はそんな俺らを見てどこかホッとしているようだった。
スイが未来を不規則に予知するなんて事が知れてから、どこか存在が遠く感じるように思えていたが…。
「本当、変わんねぇな」
ポツリと呟いたその言葉には、スイは笑うだけで何も返さなかった。
ただその表情は、これまで見てきた中でも一番柔らかく感じた。
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「合気道?」
食事を終え、外で食器を洗うスイを横目にユンがヨナ姫に尋ねた。
「そう、スイが教えてくれるのですって」
「なにそれ」
「護身術だそうよ」
「へぇ?」
興味深げに食い付くユンに、スイが苦笑を漏らす。
「まあ、そんな大そうなものじゃないよ」
「でも、武器にも盾にもなると言ったわ」
「それはあくまでも上手く使いこなせたらの話。会得するまでにものすごい時間が要するから、実践で使えるようになるのはうんと先の話だよ」
「え」
ぱちくりと目を丸め、ヨナ姫が唖然とスイを見る。
「すぐは使えないの?」
「少なくとも、自分が合気道をものに出来たのは、習い始めて三年くらい経ってからだよ。型や流れを分かっても見極められなければ意味がないものだからね」
「え…」
さっと曇っていくヨナ姫の表情。
スイはそれにさらに苦笑を返して、肩をすくめさせた。
「ヨナ姫に教えるのは合気道の中でもその一部だよ。最低ふたつでも覚えれば、子供にだって大の大人を投げ飛ばすことができる」
「は!?」
スイの言葉に過剰に反応したのはユンだった。
「待ってよ、それって俺でもハクを投げ飛ばすことが出来るってこと!?」
「修練を積めばね」
洗い終わった皿の水気を丁寧に布巾で拭いながら、スイがちらりと俺を見る。
「まあ、ハクがそれを許さないから自分はいまだに投げ飛ばした事はないんだけどね」
苦笑するスイに、俺はふんと鼻を鳴らす。
「女子供に投げ飛ばされるほど弱くねぇんでね」
「はいはい」
よいしょと、スイは拭き終わった皿を籠に入れていくと両手に抱えてにやりと笑って見せた。
「それじゃ、ハクはせいぜいお姫さんに投げ飛ばされないようにするんだね」
「私、頑張るわ」
「みっちりやるから、本当に頑張ってね」
にっこりと、仄暗い笑みを浮かべてスイがヨナ姫を見る。
その笑みはどこかで見たような…。
「(思い出した。カン・テジュンのアホがスイに変な言いがかり付けて馬鹿にしていた時に浮かべていた笑みだ)」
女みたいな顔をしてると口にしたテジュンはその後、記憶が吹き飛ばされるほどスイに酷い目に合った。
何をしたのかと聞いても教えてはくれなかったが、あの時と同じ顔をしていることは間違いない。
「(これは…姫さんも苦労するな…)」
スイにだって最低限この線は越えさせたくないというものがあるはずで、それをヨナ姫は安易に越えようとする。
全否定も出来ないこいつは、いつだって必死に考えて対抗策を練り出す。
そして俺は、こいつが優しくないということも知っている。
おそらく、ヨナ姫はぼろぼろになるまで鍛えられるだろう。
少しでもぐうの音をあげれば、揚げ足を取るようにスイはそこを突くに違いない。
幸先不安だが、ヨナ姫はその未来に気付いていない。
「(ま、なるようになる、だな。俺も合気道ってやつは気になるし、見させてもらうとするかね)」
スイとユンが台所へと皿を片付けに向かうのを見送り、ヨナ姫がひとり勇んでいるのを横目に見る。
このお姫様がスイの施しでどれだけ強くなるのか見ものだ。
やがてユンと一緒に戻ってきたスイは、生徒が増えたと目をうろんにさせていた。
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・・・スイ視点・・・
お昼になるまでは、各々が好きなことをして過ごす時間だ。
ゼノやシンア、キジャはいつだってお昼寝に勤しんでいたし、ジェハやハクはそれぞれ獲物を手入れする時間にしている。
ヨナ姫は弓を射る練習に励んでいたし、ユン君は薬を作ったり地図の確認をしていたりと、一家のおかんのように頑張ってくれていた。
かく言う自分も、この時間は薬草を探しにいくか、父上から頂いた剣を手入れしたりと何かしらしてはいたのだが…。
「なにこの野次馬」
イクスの家から少し離れた広場へ生徒を連れて行けば、着いてきたのは顔面にウキウキが浮かび上がった大人数だった。
「お嬢さんが何かするって言うから見にきたー」
と、能天気に告げるゼノの隣でキジャとシンアが同意するように頷いた。
そのさらに横ではジェハが面白がるように笑みを浮かべている。
「スイちゃんの言う合気道ってやつ、僕も興味があってね。見させてもらうよ」
「存在が邪魔」
「酷いね!」
「ったく、なんだってこんなに見られながら教えなきゃいけないんだよ…」
あまりの野次馬の多さに項垂れ、木の影にイクスが座ってこちらを見ているのを見つけ、お前もかと目眩を覚える。
「ねえ、スイ。この馬鹿達は放っておいて、早く始めてよ」
「スイ、今日からよろしくお願いします!」
「…あいよ。まあいいや。ふたりとも、外野は芋か南瓜かとでも思ってて。始めるよ」
「「はい!」」
「おい、南瓜ってなんだスイ」
「黙れデカブツ」
すかさず割って入ってこようとするハクを制して、自分はヨナ姫とユン君と対峙する。
「まずは深呼吸。肺の中を空気で破裂させちゃいそうなくらい目一杯、ゆっくり吸い込んでお腹を膨らませて」
「深呼吸?」
「それ、合気道と関係あるの?」
こてんと首を傾げるヨナ姫と、素直に疑問を投げてくるユン君。
基礎の基の字も知らない二人に軽く笑って、合気道、というより、武術の全てにおける基礎を教えてやる。
「武術とは、呼吸の一から成るもの。全ての動き、全ての型において、呼吸は最も重要な初動である」
過去に父上に教わった言葉を、そのまま二人に投げかける。
けれども、ふたりは理解出来ないだろう。
案の定、言葉が通じないとばかりに首を傾げる。
「呼吸を操作することで律動を合わせるんだよ。何をするにも、お腹に力が入ってなきゃ始まらない。お腹って言うのは身体の軸になっているんだ。大きな声を出すためにも、まず必要なのは呼吸だし、空気の抜けた腹では満足に手足に力を込めることも出来ない」
手本を見せるように静かに大きく息を吐き、ゆっくりと吸い上げて肺を限界まで膨らませる。
「お腹が限界まで膨らむようにして息を吸い込んで止める。少ししたら今度は鳩尾の下が硬くなるまでゆっくり吐き出す。まずはこれを真似してごらん」
にっこりとそう笑えば、ヨナ姫とユン君からは物凄く戸惑った表情が返ってきた。