黎明の獅子 -akatsuki no yona-

□黎明の獅子 第三八幕
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・・・ジェハ視点・・・




食事を作るというスイちゃんの後について行こうとしたら、邪魔だから他所へ行けと邪険にされた。

やることないなら屋根でも修理して来いよ。なんてぶっきらぼうに言い放って、それでも僕に温められた生姜湯を飲ませてくれて。

これが俗に言う飴と鞭かゾクゾクした。と言ったら蔑んだ目で見られた。

とりあえずこれ以上スイちゃんの邪魔をしても仕方ないと考えて、ハクとふたり藁が薄くなっている所を修理しようと屋根に登った訳だが。

高いところからだとスイちゃんが居るところがよく見えて、時折汗を拭う振りをしては盗み見てしまっていた。

それは多分、ハクも同様のことだろう。

いつもはゆったりと後ろに結っている髪を、スイちゃんは今日は寒いせいか結わずに下に降ろしている。

それが物珍しくて、僕もハクも、ユン君やヨナちゃんまでもがちらちらとスイちゃんを見ているようだった。

「……こうして見ると、スイちゃんっていいお嫁さんになると思わない?」

「……は?」

思わずぽつりと呟いた僕の言葉に、ハクが眉間にシワを寄せて無愛想に反応する。

「急になんの話だ」

「いやだって、見てよあれ。子供達が群がっててご飯作ってて、女神みたいじゃない?」

「お前……目ぇ大丈夫か?」

「失礼だな。僕の目は狂いなき審美眼を持っているよ」

「……スイが嫁さんにねぇ」

呟いて、ハクはどこが遠くを見るようにスイちゃんを見やった。

正直、ハクの気持ちが今のところわからない。

スイちゃんが城で男として過ごしていたことを前に何となくで聞いていたものの、どんな風に過ごしていたのかまでは教えてくれなかったのだ。

彼自身、スイちゃんが女と知ったのは数ヶ月前の事で、未だ整理がついていない部分もあるのかもしれない。

頭では分かっていても、どこかでは戸惑いもあるのだろう。

僕が当然のように女性としてスイちゃんを褒めれば、ハクはいつだって違和感を感じるような表情を浮かべてぎこちなく考えようとする。

今のだって、世間一般から見れば、黙って笑っているスイちゃんはどこからどう見ても女性だし、整った容姿のおかげで心臓を射抜かれる男は世の中にごまんと居るだろうに。

ハクは何か薄い硝子を通してそれを見ているように思えた。

そのくせ、スイちゃんに僕が急接近しようとすると阻止してくる。

頭が万年恋愛脳で出来ている僕からすれば、ハクがヨナちゃんとスイちゃんのどちらに心を寄せているのか気になるものだ。

今のところヨナちゃんにちょっかいを掛けた方が一番強く反応するが、それだとスイちゃんにも殴られて二方向から制裁を受けることになる。

それはそれでイイなんて思っている自分にほんの少し悲しくなるが……とにかく、どうにか恋愛的な観点で見たい僕としては、ハクの気持ちがどうにも気になるわけで。

こうして無駄に煽るようにハクの前でスイちゃんを褒めてみたりして、反応を探ってみたりする。

が、今回もこれだ。

何言ってんだ? の顔をして、ハクは真剣には考えようとしないのだ。

「まあ、いつかはあいつも嫁に行く日が来るんじゃねぇの。全部終わってゆっくり出来る時が来れば、いつまでも姫さん姫さんしてるわけにはいかないだろ」

肩を竦めてそう返してきたハク。

けれど、その顔に浮かんでいる表情は微妙なものだった。

想像が出来ない、と。一重にそう言っている気がした。

「スイちゃんなら、僕はお嫁さんに大歓迎だなぁ。料理上手だし、美人だし、殴ってくれるし、罵ってくれるし」

「後半どうした」

「強い女性に惹かれるんだよ僕は」

「そういやギガン船長にもよく殴られて蹴られていたな」

「あれは本当、痺れたよねぇ……」

「気持ち悪い奴だなお前……」

「ははは。それで、ハクはどっちなの? ヨナちゃんとスイちゃんのどっちに本気?」

「は?」

ばさっと、ハクが僕の質問を聞いて藁を落とした。その反応はすごく面白い。

「いや〜。ヨナちゃんへの過保護さも相当だけどさ、スイちゃんに群がる虫は許さないって顔もするじゃない? どっちなのかなーと思って」

「バカかお前。どっちもねぇよ」

「え〜? 本当に〜?」

「しつけぇ。俺はただの護衛で、この先それ以上になるなるつもりもねぇ」

「ふぅん」

藁を拾い上げて、ハクは後は何も答えないといった様子で器用に縄で縫い付けていく。

その横顔には、これ以上踏み込んでくるなと言うような険しい表情も浮かんでいた。

思っていたよりも、あの三人の関係は少し複雑らしい。

からかうのはここまでにするべきと見切りをつけて、僕もまた屋根の修理に集中することにした。

だが、やはり時々見てしまうのはスイちゃんだ。

食事が出来たのか、今は子供達に配っては頭を撫でて笑っている。

動けない年寄り達が居れば自らが椀を持って手渡しに行き、調子はどうかと聞いていたりして、本当によく出来た人間だと惚れ惚れする思いだ。

その様子を見ていると、ふいにハクの方からぽつりと僕に呟く声が聞こえた。

「……あいつは多分、闘っているよりああしてのんびり過ごしている方が合ってるんだ。城に居た頃も昼寝ばっかして、稽古は気が向いた時しか参加してこなかった。姫さんと戯れて遊んでる時が一番楽しそうだった……」

遠くを見つめるようにして、ハクがそう僕に教える。

それが自分を責めるような口振りにも聞こえて、僕はハクの顔を横目に覗き見た。

痛ましい思い出でもあるのか、ハクの眉間には小さなしわが悩ましげに刻まれている。

お嫁さんという単語に変に反応したのは、もしかすると別の理由があるのかもしれない。

想像出来ない、ではなく。

想像した背景で、ハクにとってスイちゃんを心配してしまう何かがあるという事なのだろうか。

だとすれば、それはスイちゃんが男として生きてきた時間の中で、何かがあったかもしれないという事だ。

あれだけの器量で、女性としての道を簡単に選べない理由……。

そこまで考えて、それ以上踏み込むべきではないと決めて僕はハクに笑って返す。

「スイちゃんもヨナちゃんものんびり出来るように、僕らが頑張ればいいってことかな? それなら大丈夫だと思うよ。僕はもちろん、シンアもキジャもスイちゃんのこと大好きだと思うし、ゼノ君もなんだかんだスイちゃんに懐いてるし、いざというときはちゃんと守れるよ」

安心させるようにそう言ったものの、お前ら如きがスイを守れるかよ、と文句を言われそうなのを想像してしまう。

けれども、ハクは相変わらず眉間にシワを寄せたまま、ほんの少し拳を握りしめると小さく「頼む……」とこぼした。

思っても見なかった素直な反応に、僕は思わず息を飲んでその様子を伺ってしまった。

「(ハクのこの反応……やっぱり、何かあったってことかな)」

聞いても恐らく答えてはくれないだろうが、いつも僕に対して態度の悪いハクが見せた頼る言葉。

距離が縮まったかとも思えるが、そうではない方を僕は考えてしまう。

スイちゃんに聞けば教えてくれるだろうか、と思いながらも、僕が聞きに行こうと考えたのはユン君だった。

ヨナちゃんに聞いて地雷を踏むのは嫌だし、スイちゃんが素直に教えてくれるとも限らない。

ユン君なら、僕たち四龍に比べれば一緒に過ごしている時間が長く、何か聞いているかもしれない。

だけど、それは思わぬ相手に邪魔されてしまった。

「ジェハ! 降りてきてこっちをちょっと手伝ってくれない?」

下からスイちゃんが大きく手を振って僕を呼ぶ。

見れば水瓶が空っぽになっているようで、水が足りなくなったのだと知る。

「いいよ、今行く!」

「ありがとー!」

大きな水瓶をだるそうに持ってくるスイちゃん目掛けて屋根から飛び降り、僕はすぐにその水瓶を受け取った。

女の子が持つには少し重すぎるかもしれない。

スイちゃんだから持てていたのだろう。

さらにこれに水を入れるとなると……あれ、僕もやばいかもしれない?

「ジェハなら飛んで行けるでしょ。蓋もついてるし、こぼれる事は無いと思うからお願いしてもいい? お駄賃に草餅あげるから」

「んー、お駄賃はスイちゃんの口付けでいいんだけどなぁ」

「そこに落ちてる石を口いっぱいに詰め込んでやろうか」

「ちゃちゃっと行ってきます。草餅もいいよ、その子達にあげてよ」

「そう? じゃあお願いね。気を付けて」

とん、と。軽く背中を叩かれてじんわりとした熱がそこから生まれたような錯覚を覚える。

スイちゃんは本当に不思議だ。

好意というのは確かにあるけど、それよりももっと別の何かを感じる。

ずっと会えなかった友に会えたような、行き別れた家族と出会えたような。

懐かしくて、切なくなる。

何より不思議なのは、笑い掛けられると馬鹿みたいに泣きたくなる事だ。

生きていてくれていることに安堵して、けれども目を離せば失ってしまいそうな焦燥感までもが感情を揺さぶってくる。

こんなにも飄々とした態度で、強くて、手を伸ばせば届く距離にいるのに遠く感じてしまう。

それが何故なのか、四龍としての感情なのかもわからない。

「行ってくるよ」

珍しく笑ってくれているスイちゃんに僕も笑い返して、水瓶を肩に担ぐと一気に飛び上がる。

ここから水辺があるところまではかなりの距離があるが、他でも無いスイちゃんからの珍しいお願いだ。

聞かないわけがない。

瓶を落として割らないように注意を払いながら、僕の頭の中はスイちゃんのことでいっぱいになっていく。

飛び上がった空中で、上から村を見渡しても寂れきっているのがよくわかる。

そんな場所で、どうしてだかスイちゃんはやけにはっきりと見えていて、その少し離れたところでヨナちゃんが懸命に水仕事に励んでいるのが見えた。

ヨナちゃんもまた、僕をおかしな気持ちにさせる人間だ。

言葉のどこにも強制力はないのに、全ての言葉に従いたくなる。

守って、どこまでも着いていきたいと思ってしまう。

「本当、どうしちゃったんだろ。僕……」

自由だけを追い求めていたはずなのに、今じゃ女の子ふたりに付き従うことが心地よくて仕方ないのだから、困りものだ。

村をだいぶ離れたところで川を見つけ、待っているスイちゃんのために急いで水を補給した。

入れ過ぎないくらいに調整して、待たせないようにすぐに踵を返す。

これを届けたら、スイちゃんはまた笑ってくれるだろうか。

思い出すのは、時折スイちゃんが僕に見せる穏やかな笑みだ。

俄然、早く帰りたくなってすぐに水瓶を背負うと、重さと闘いながら空を飛んだ。

「この重みがスイちゃんやヨナちゃんなら、最高なんだけどねぇ」

来た時より断然重たくなっている水瓶は、それでもスイちゃんを背負った時と変わらないように感じる。

つまりは成人女性一人分といったところだろうか。

ただし、丸みがあってこの身体にしがみついてくれないから、かなり運びにくい。

ひとまずはこれを持ち帰ることに集中しようと決めて、僕はスイちゃん達が待つ村へ急いだのだった。




 
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