黎明の獅子 -akatsuki no yona-

□黎明の獅子 第三九幕
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それからというもの。

あちらこちらの村々で、お姫さんは本格的に賊の真似事に取り組んだ。

ふと思い出したのは、阿波の港で自分がやったこと。

酔った馬鹿な役人から店の人間を守るために、随分と酷いことをしたものだが……そこまでとは行かずとも、同じ道をお姫さんが辿るとは思ってもみなかった。

しかも『暗黒龍とゆかいな腹へり達』が正式名になるとも思わなかった……。

村から食料や重い税を運び出す役人達を次々に襲って、義賊のように返していく。

物資が足りない村へ物を届け、役人に出くわせば「ここは私らの縄張りになった」と宣言し、追い返す。

そんなことをもう三日ほど続けて、どんどんと縄張りを広げていった。

お姫さんの提案はこうだ。

『手に負えない賊になって、縄張りを広げていく。そうすれば不当な重い税を課せられた住民達を守れるわ』

ユン君はその提案に目を丸め、『そんなことをすればもっと厳しい取り立てになるし、彩火城(さいかじょう)の兵士が動くよ』と意を唱えたが、お姫さんは挑むようにさらにこう返した。

『危険を避ける為に痩せた子供や病人を見捨てるのなら、本末転倒……それに、負ける気がしないの』

最後はふと笑って、和気藹々と腹を鳴らし続ける馬鹿どもを見た。

そして、こちらへ向けられた視線。

そこには深く信頼の色が灯っていて、折れざるをえなかった。

悪として村々に名を馳せさせて、信憑性を得ること。

役人達を縄張りに入れないこと。

そうすることで村を守れると踏んだわけだが、どうにもお姫さんは優しすぎて、直接住民達に食料を返し、子供に飴を与え、優しさをばら撒いてしまう。

これでは恐れられるというのは難しい話だ。

くつくつと笑って、自分もまたお姫さんの側でその手伝いをする。

そんな自分を見て、ジェハが惚れ惚れするようにひとり頷いた。

「う〜ん、毎日思ってるけど、やっぱりスイちゃんはそういう格好だとより一層グッとクるね」

「目潰しされるのと、抉り取られるのどっちがいい?」

「口づけで」

「よぉし地面と濃厚なヤツをさせてやるよ」

「ありがとうございます……ッ!」

「スイとジェハは相変わらずね」

「…………笑うとこじゃないんだけどなぁ、お姫さん」

「でも、本当にすごく似合ってるわよ? その格好」

「そりゃあ、どうも……」

言われて自身が見に纏う着物を見下ろす。

三日前にとある女の子のお母さんからお借りし、頂いた女性ものの着物。

動きにくいからとサラシは巻いたままにしてあるが、お姫さんと似たような服装に足元がスースーして落ち着かない。

下ろしていた髪は顔面に掛かるのがいやになり、今は三つ編みにして横から垂らしてある。

おそらく、どこからどう見ても女にしか見えないのだろう。

(いささ)か背が高いかもしれないが、ハク達に混ざれば十分に……いや、そもそも自分の性別は元から女だった。

自分が一番自覚しているはずなのに、自分が一番忘れてしまう。

彩火城の兵士達は特に王都へ来ることが多かったはずだ。

あのバカ息子のせいで、見知った顔は多く居る。

賊活動を辞めるまでこの格好もやめられないと考えて、ほんの少しだけお姫さんを恨む気持ちになる。

ハクのように網傘で顔を隠してもいいかと思ったが、自分の戦力は機動力にあり、視界が悪いのはよろしくなかった。

それで、ジェハがニヤニヤとしているわけだ。

コイツと出会ってからというもの、女装をすることが増えたなぁと半ば呪いを受けた気分になって、目下お姫さんを守ることに集中して恨み辛みを忘れることに努める。

「それで、ユン。次はどこの村に行く?」

「そうだね、今の時期だと秋村(シュウむら)にも役人が行くはず……」

賊活動をするにあたっての参謀長はユン君が勤めていて、お姫さんがどうするかと問えば、この地に詳しいユン君は少し考えるように頭を傾げさせた。

「でも、少し遠いんだよね……どうしよう。加淡(カタン)村にもまた役人が来るかもだし……」

うーん、と唸るユン君に、先ほどまで地面と濃厚な口付けをしていたジェハが手をあげる。

「それなら僕がひとっ飛び加淡村に行って見張っとくよ」

「助かる。お願いね。んでヨナはここで待ってて」

「えっ」

「次のとこは遠いんだ。役人が来るかもわからないし、戦力も……雷獣とキジャがいれば大丈夫だから」

「ゼノも連れてゆく。こやつ戦闘中も逃げ回るばかりで四龍としての自覚が足りぬ!」

「ええー! ゼノは娘さん達と留守番がいー!」

「着いて来るのだ!」

「いーやー!」

ジタバタと逃げようとするゼノの肩を掴み、キジャがふんふんと鼻を鳴らして無理やり引きずっていく。

助けを求めるように自分へと手を伸ばすゼノに笑顔で手を振り返せば、「この人でなしー!」と叫ばれた。

「お姫さんの事は自分とシンアで守るよ。安心して行っておいで」

「鬼ー!」

「あはは」

顔面を蒼白にさせて泣き出しそうなゼノに笑って、自分はふとお姫さんを見た。

これは、拗ねてるな……。

ぶすっと唇を尖らせて、頬が少し膨らんでいる。

そんな顔も愛くるしいなんて思う反面、彼女が置いていかれることに不満を抱いていることに苦笑する。

渦中へ飛び込むことが全てではないのに、このお姫様はどうにも自分の目で、その手で何かを見届け、成し遂げたいと思っているらしいのだ。

危険を未然に防ぐのも策であるということを、まだ知らない。

「……ねえ、スイ。黙って待つなんて私には無理。稽古をつけて」

「ここは地面も硬いし、合気道を教えるのは不向きな場所なんだけど……基礎は出来てきた?」

「……少しだけ」

「……本当は?」

「……まだよ」

「じゃあその基礎をじっくりやんなさい」

「もう! 意地悪!」

「急いだって良いことないでしょ。はい、深呼吸」

「うう……」

パンパンと両手を叩いて促せば、お姫さんは仕方ないといった様子で大きく呼吸を吸ってはゆっくり吐いてを懸命にこなした。

呼吸の乱れは精神の乱れ。

まあ、合気道の基礎さえ覚えればあとは重力を理解すればどうとでもなる。

ス───、ハ───……と、教えられた通りに腹式呼吸に努めるお姫さんを眺め、ふと隣で大人しく座っているシンアに目を向ける。

「そういえばシンアは綺麗な構えを取るね。誰かに教えて貰ったの?」

「……うん」

「そっか。龍の力があって、剣も扱えて、最強って感じだねぇ」

例えば空が飛べて、暗器を使いこなすジェハもしかり。

力に奢らず自身の武を磨くというのは、素直に尊敬する。

そう思って褒め称えたつもりだったのに、シンアが息を飲むように喉をヒュッと鳴らすと、唇を小刻みに震わせた。

漂い始めた負の気配にハッとして、その肩に手を伸ばす。

けれども、シンアは気付いていないようになんの反応も示さない。

「シンア? ……おい、シンアッ!」

「スイ? 急にどうし……」

お姫さんがこちらの異変に気付いて深呼吸をやめ、駆け寄って来る。

同じようにシンアの名を呼ぶが、それでも彼はピクリとも反応しなかった。

まさか……お姫さんの声でも無反応とは……いったい何を思い出した?

自分の言葉で、確実にシンアが動揺を見せた。

地面の一点を見つめるように、仮面に覆われた顔はじっとして動かない。

また肩に触れて揺すろうとしたところで、酷い頭痛に襲われる。

「……ッ⁉」

何かに共鳴するように耳鳴りが脳内でけたたましく響き、激しい吐き気を覚えた。

「……ッシンア、君は、」

目を見開いてシンアを見れば、頭を抱えて蹲っていた。

怖いものに怯える子供のように、ガタガタと震えるその肩を、お姫さんがそっと抱きしめる。

「シンア……大丈夫、大丈夫よ」

小さな身体で大きなシンアを包むように抱くその姿に、泣き出してしまいそうだ。

彼に必要なのは、仲間と、時間……。

一気に押し寄せた”記憶”に大きく息を吸い、吐いた。

銀龍とは本当に、なんなのだろう。

毒の血を持つ龍だったのではなかったのか。

”予知”と名付けられているこの力は、けれどもそれだけではないように思えた。

そんなものじゃない。

もっと違う何かに感じる。

”予知”という言葉すら当てはまらない、何か。

宴の夜の夢。

血を流す子供。

船の上のヨナ姫。

シンアの……過去。

見てきた全てを照らし合わせれば、この力を”予知”とひとまとめにするのは難しい気がした。

なにせ予知として結果に追いついたのはスウォンの弑逆(しいぎゃく)だけ。

撲殺され横たわった子供の姿が頭に浮かんでも、それは成らなかった。

船の上、逃亡しようとするクムジを討ったヨナ姫なんてどこにも居ない。

店の子供は無事だった。

クムジは自分が討った。

なら、シンアの”これ”は……?

確かめるべきか、そっとしておくべきかと悩まされる。

いましがた脳裏に焼き付いた”過去”は明らかに他人のもので、それはシンアに触れた時に見えたものだ。

もしもその”記憶”がシンアのもので正しいのなら、軽はずみに触れて欲しくはないだろう。

なにより、勝手に視てしまったという罪悪感が口を噤ませる。

視えたそれは、ただただ哀しいばかりで幸せなんてどこにも見つけられなかった。

だからこそ、こうしてお姫さんが彼を優しく抱きしめてくれることに感謝する。

自分では、足らない。

他の四龍でだって足らない。

彼の心を溶かせるのはきっと、この娘以外に居ないのだと……。



”母親は自害した。呪われた子が己の腹から生まれたと絶望して”

”これが呪いでなくてなんだ……!”

”やっと死ねる!”

”寄るな、バケモノ……ッ!”



聞こえてきた声は全部、刃を纏っていた。

責め立てられ、蔑まれ、憎まれ、恐れられ。

痛みばかりが胸を突く。

無意識に助けてと叫びたくなるような鋭い言葉が、何度も何度も胸を貫きグチャグチャと抉る。

確証はなくとも確信はしていた。

”コレ”がシンアの記憶なのだと。

「いつか、目を見て話がしたい……。いつかシンアの笑顔を私に見せてね。口の端を上げて”にこっ”て、きっとすごく可愛いわ」

「…………」

手本を見せるように、自ら笑って見せる小姫さんにドクドクと嫌に脈打っていた胸が落ち着いていく。

けれどその鼓動は、本当に自分のものだったのだろうか。

またいつかの、自分が誰なのか不安になる前兆。

大丈夫。

大丈夫だと言い聞かせて、最後に大きく息を吐く。

「シンア、剣が使えるなら力を使う必要はない。ゼノなんて剣も体術も全然なのに使ってないしね。何も気負わなくていい、みんなが居る」

ぽん……と、小さくこちらを見上げるシンアの肩を優しく叩く。

自分に出来ることなんてそんなもんだ。

どこかホッとしたように、食いしばっていた口元を緩めたシンアはコクリと頷いた。

それでいい。

あの力は……あまりにも負担が大きい。

願わくば彼を二度と苦しめることがないように……。

どうして急に剣の話?

と不思議そうにこちらを見上げる小姫さんに苦笑を返して、肩を竦める。

「シンアが笑うのを、自分も見てみたいなって話」

誤魔化すようににっこりと笑って、不安な思いをかき消すように大きく伸びをした。



 
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