黎明の獅子 -akatsuki no yona-

□黎明の獅子 第四一幕
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【 切に焦がれるは…… 】



・・・ハク視点・・・



ざわざわと胸のあたりが気持ち悪い。

触れられた額、触れた背中。

そのどれもが胸をざわつかせる。

恋仲なのか?

そう問われた時、すぐに否定することは出来た。

けれども苛立ちも覚えた。

そんな安っぽい仲ではないと声を荒げそうになった。

親友だの恋仲だの、そんな安い言葉じゃ収まらない。

だが、当てはまる言葉も思いつかない。

きっと俺は……ヨナ姫同様にスイのためにもこの命を賭けることが出来る。

負い目や罪悪感とかじゃなくて、何か別の……もっと、特別な何か。

この腕にすっぽりと抱きしめた時、妙にしっくりと来たのは何故なのだろう。

やけにほっとして、同時に恐ろしかった。

依存のような感覚が気持ち悪い。

スイが俺らを陥れたヤツに笑いかけているのも腹が立つ。

なのにスイが許すと言えば俺まで許さなきゃいけない気持ちになって、訳が分からなくてまた腹が立つ。

そして、俺の方を真っ直ぐに見て笑ってくれていても落ち着かない。

矛盾だらけで気分が悪い。

スイはそれを過保護だのと言っていたが、そんな言葉は当てはまらないように思えた。

正直に言えば、あの馬鹿息子がスイの上に乗っているのを見た瞬間は、殺そうかと思った。

頭の冷静な部分がそれだけは避けたが、苛立ちから本気で蹴り転がしてしまったわけで、そんな俺を見たスイに大人気ないと言いたげな目線を向けられた。

そして現在、スイが夕飯の支度をしながらユンやヨナ姫と話し込んでるのを横目に見やり、そんな中でどうしても頭の中で渦巻くのは馬鹿息子への怒り。

どうしてくれようか。

考えるものの、スイが俺が動くことを嫌がるのが目に見えている。

そう思うと、腰が重くて立ち上がる気も失せる。

どこまでもお人好しで腹が立つ。

けれどスイはやると決めたその時は、その手であの馬鹿息子を躊躇なく切り捨てる冷酷さも持っている。

悶々と考えているのが面倒になり、ひとまず頭の中から昼間の出来事を投げ捨てることにした。

出来上がった食事を村人たちに分け与えるユンを横目に、俺たちは昼間スイが作り置いていた薬湯を身体を温める程度に啜る。

これだけでも多少の栄養は取れるらしい。

飲まないよりマシだからと渡され飲むものの、味は正直酷いものだった。

「しっかし、まさか坊ちゃんがキジャに連行された挙句ゼノに説教をされてたとはねぇ」

よっこいしょ。と、いつのまに近くまで来ていたのか、隣に腰を下ろしたスイが湯呑みを手に俺に向かってそんなことをこぼす。

「キジャを見て逃げ出したみたいだけど、今頃どうしているのかねぇ?」

クスクスと面白がるように話すスイに、また腹の中がもやもやと苛立つ。

「さぁな」

「なんだよ、昼間から機嫌悪いなぁ」

「お前が……いや、なんでもねぇ」

「言いかけて止めるのやめてよね、気分悪いじゃん」

「ふん」

ついそっけない態度を取ってしまう。

それでもスイは別に気にするでもなく、俺の側から離れようともせず、のんびりと湯呑みを煽った。

「心配しなくてもあの馬鹿がお姫さんに危害を加えるようなら、その気配が見えただけでも止めに入るよ。馬鹿の侵入を許した自分が責任を取るから」

「…………そんなんじゃねぇよ」

「あり?本当に機嫌が悪い感じ?どうしたのさ」

下から顔を覗き込むようにして、スイが俺を見上げる。

自然と上目遣いになっているスイの顔……無意識に手が動く。

するりと撫でれば、スイがきょとんとした表情を浮かべて、それでもされるがままに俺に頬を撫でさせる。

よく見れば小さな吹き出物が唇の端に出来ていて、スイに栄養が足りてないことがわかってしまった。

「これ、痛くねぇの」

「あり?吹き出物できちゃってる?」

俺が親指で触れたところにスイが「んー」と小さく息を吐きながら手のひらを当てる。

ほんの少し重なった手のひらがやけに冷たくて、心臓がわけもなくヒヤリとした。

「ハクが変に見てくるなぁと思ってたけど、まじかー」

落ち込んだようにげんなりと頭を下げて「あーあ」とこぼすスイ。

その表情は、声とは裏腹になんとも思っていなさそうな音を滲ませていた。

「ユンに薬もらってくるか?」

「そこまではいいよ。野菜摂ってちゃんと寝てれば治るし」

「そうか」

「うん」

顔に添えていた手を湯呑に戻して、スイが薬湯をずずっと啜る。

スッと細められた視線はもう俺ではなく遠くを映していて、辿っていけばヨナ姫がユンと共に働いている姿があった。

「頑張ってるよねぇ」

懸命に働くヨナ姫。

少し前までは村の現状なんざ知らず、城で何不自由なく暮らしていた。

何も知らず、何も咎められず、何もせず。

そんな典型的なお姫様だったヨナ姫がここまで成長したことは、俺としてもどこか嬉しいと感じていた。

「本音を言うとさ、城の外にもどこにも行かせないで、籠の中に入れて一生何も知らない幸せなお姫様でいて欲しかったって思ってた……」

「……俺もだよ」

「外の怖いことなんか知らないで、ただ毎日健やかに笑って生きていてくれたら、自分はそれだけでよかったんだよ。でも現状は籠の外へ飛び出して、自由を知った。いろんなものを見て、触れて、価値観も変わって……」

そこまで言って、スイはくしゃりと眉を下げて心底嬉しそうに笑う。

「今の生きることに一生懸命なお姫さんが、ますます愛しくなっちゃってさ。本当、自分が男だったらお嫁さんにして一生大事にしてあげたいって思うよね」

ふふふ、と小さくこぼれたスイの笑う声が心地よい音を奏でていて、それがスイの本音なのだと知れる。

「だからさ、ハクには是非とも頑張って貰いたいところなんだけど……まだ決心付いてないの?」

スッと、視線が再び俺の方へと戻される。

含むような眼差しを真っ直ぐに俺に向けて、スイが問うように首を傾げさせた。

「もうここは城の中じゃないし、あの子は王位の継承権も今はない。普通の女の子と同じ地位になった。無意識なのかも知れないけど、この頃の君は自分にべったりであの子の側にはなかなか居てくれない。ねえ……」

じっと蒼い目をこちらに向けて、スイが探るように俺を見つめる。

「何を引け目に思ってるの?」

「……」

言葉が見つからない。

引け目?

この俺が?

……いや、見透かされている。

どうしても考えてしまうスイの未来。

もしも俺が、万が一、億が一の確率だがヨナ姫と結ばれたとする。

そんなわけ微塵もある気はしないが、例えば他の女でもいい。

じーさんに勝手に作られた許嫁と結婚するなんて日が来たと考えるのもいいが、その時スイはどうするのだろうか、とさえも考えてしまう。

スイの背中に付けられた無数の弓の傷痕は、この先二度と消えないだろうとユンは言っていた。

俺だってたくさんあるものだが、スイは女だった。

傷だらけの女が、まともな男とまともな結婚が出来る気がしないのだ。

スイより強い男がそうそう居るとも思えない。

なら、スイを守れる人間がこの先どれだけ居るのだろうか、とか。

そんなことをごちゃごちゃと考えてしまっている。

今はいい。

俺も、四龍もいる。

けれど一生側にいる訳じゃない。

『龍は短命なんです……』

ここでイクスの言葉が思い出されて、どうしようもなく焦りを感じてしまう。

あとどれだけ生きてくれるかもわからない四龍と、同じ龍だと言われるスイとを思うと冷静ではいられないのだ。

「ハク……?」

「……悪ぃ」

とたん、心配そうに俺を見つめるスイに、俺が途中から酷い顔になっていたのだろうと苦笑する。

「馬鹿みてぇにグダグダと色んなことを考えちまってる。あの馬鹿息子のことも、お前のことも、姫さんのことも、あいつら龍のことも。まだ頭の中ではちゃんと整理が付いてねぇ」

「……そっか」

ふっと息を吐いて、スイが「ごめんね」と小さくこぼした。

「悩ませちゃってるなってのは気付いていたんだけどさ、自分としては、ハクにも早く楽になってもらいたかったんだよ」

苦笑とともにこぼされた声。

スイはまたくしゃりと笑って、俺を見ながら肩をすくめさせた。

「あのね、自分はお姫さんとハクの言葉で沢山救われたから、今度はお返しがしたかったんだ。鈍ちんのハクは気付いてないだろうけど、お姫さんはハクに対してだいぶ心を許しているからさ、そろそろハクも動いてくんないかな、二人の子供とか抱っこしたいなーとか、すんごい平和ボケなこと考えてたりもしてさ」

「子供っておま……さすがにないだろ」

「今はね。でもあと何年もして落ち着いたら、ありえる話でしょう?」

「いや……ないだろ」

「ありえるって。きっとすごく可愛いよ。あー、見たいな〜、お姫さんと君の子供。……別に、ハクがどうしても無理って言うなら、あの子を心底大事に出来る相手を自分が探してやってもいいけどさ」

「んー」と唸りながら、スイが俺に苦笑を漏らす。

「ハク以上にお姫さんを大事に出来るヤツ、見つけられる自信がないんだよね」

くつくつと喉を鳴らして笑って、スイが当たり前のように俺のヨナ姫への想いを信用する。

「いつかハクが、いろんなしがらみを全部取っ払ってあの子の方に行けることを願うよ。ねえ、ハク」

俺の名前を呼んで、スイが湯呑を両手のひらで転がすように持ちながら、困ったように眉を下げた。

「自分のことで何か足を引かれているなら、何も考えなくていいよ。充分力になってくれてるし、これ以上は……」

それは、無意識だった。

スイの口を、咄嗟に自分の手で塞いでしまったのは。

「むぐっ!?んんむむむっ!」

「……」

突き放されるような感覚。

もう側に居なくても良いと言われる気がして、その先を聞きたくなかった。

そこで気付く。

「もう!急になんだよ!」

「ああ……いや、甘酸っぱい話を他のヤツに聞かれたくなくてだな」

「はぁ?……いや、たしかに坊ちゃんが近くに来てはいるけどまだそんな距離じゃなかったよ?」

「……アイツ近くに来てるのか」

「うん。あの気色悪い感じは多分坊ちゃんで合ってると思う」

「そうか。なら尚更この話は終わりだ」

「もー!照れ屋さんなんだから!甘酸っぱいのは君だよまったく!」

ぷんぷんと不貞腐れたように頬を膨らませるスイ。

その顔を横目に見て、頭を抱えたくなった。

「(いつからだ……?)」

その疑問は自分に対して問うたものだ。

いつから、俺はこんなにもスイに依存してしまったのだ、と。

離れて行って欲しくない。

側に居て欲しい。

見える場所に居させて、どこにも行かせたくない。

気持ちはヨナ姫にあると言うのに、馬鹿みたいな依存に囚われてスイから離れられない。

理由はわかっている……。

俺が、俺だけがスイのことを分かっていたいと思っていたからだ。


 
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