黎明の獅子 -akatsuki no yona-

□黎明の獅子 第四二幕
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・・・スイ視点・・・


今朝からハクが妙に不機嫌で、自分の背後でボソリとこぼされたぼやきに思わず吹き出した。

「またアイツの夢を見ちまった……やっぱり殺るか……」

「ハクくんてば、その夢視るのもう3回目だねぇ。お祓いでもしとく?」

「頼んでいいか」

「はいよ。じゃあこっち来て座って、はい、目ぇ閉じて〜」

バッシンッッ!

「ぐはぁっ!?」

冬の寒空の下、ハクの背中を思い切り叩いてやれば、思っていたよりも死にそうな声が漏らされた。

「ほい、これで君はもう変な夢を見ることはないからねー」

「結構本気で叩いたな……」

「病は気から、って言うでしょう?気にしなければいいんだよ。というわけで、今日もキリキリ働こ〜」

ぽんぽんとハクの背中を軽く叩いて、思いつく限りの仕事をしろと促す。

閑散としたこの村には、本格的な冬が来る前にやっておかなくてはならない事が山積みにあるのだ。

阿保な坊ちゃん騒動があってから数日。

火傷した足はユン君の薬のおかげもあって順調に回復に向かい、歩いても多少の痛みで済むようになった。

丸三日立つことを禁じられ、ひたすらに寝まくったがゆえに回復はかなり早かったように思える。

その間、代わる代わる誰かしらが天幕の中に顔を見せに来ては、頼んでも居ないのに世話を焼こうとしてくるのが相当にうざかったものの、蓄積されていた疲れがごっそりと取れて良い休みにはなった。

野草を摘みに行けなかったのはかなりの痛手だが……。

ふと村を見渡せば、ため息が漏れる。

どこを見たってお年寄りと物心ついたばかりであろう小さな子供たちと、子育てに奮闘する母親ばかり。

男手と呼べるものは皆無で、隙間風が我が物顔で闊歩する家の中で凍えながら暮らしている。

まともな食事も取れず、病に伏せる者も少なくない。

育ち盛りの子供らが満足に食べることも出来ずに痩せ細り、ただの生姜湯すらも必死に飲み干そうとしている姿は痛ましく、居ても立っても居られない……。

けれど、この国にはこんな村が数えきれないほどあるのだ。

「お姉ちゃん、お腹空いた……」

着物の裾を引かれて振り返れば、物心が付いたばかりであろう女の子が自分の方を見上げていた。

痩せこけた頬、栄養不足ゆえに歳の割に身長もなく、片手で軽々と抱き上げられてしまいそうな身体。

「もうすぐ出来るよ。そこで座って待ってな」

よしよしとその小さな頭を撫でてやれば、女の子はほんの少しだけ口元を緩ませ素直に自分の側に座り込んだ。

今かき混ぜている鍋の中にはほんの少しの野菜が入っているだけで、到底栄養が足りない。

かなり時間は掛かるが、ジェハに頼んで少し遠くまで食材を採りに行くべきかと悩むも、今この場にジェハが居ない。

ユン君のお遣いで出かけているジェハは明日の朝まで帰ってこないらしい。

何度目かのため息が溢れそうになるのを必死に堪え、なんとなしに視線を上げればここで二度と会うはずのない誰かさんを見つけてしまい唖然となった。

ハクも同じくそれを見つけてしまったようで、胡乱な眼差しをそちらへと向けている。

「う──ん、見間違いかな?どうも先日騒動起こして去ってった次男坊が見えるんだが……」

「まるで今生の別れのように去って行ったどこぞの坊ちゃんにすごくよく似てるね。だけどまさか、どんなに救いようのないお馬鹿さんでも、こんなところにひょいひょい遊びになんか来ないでしょうよ?」

「だよな?」

なんていう自分とハクの会話に、その人物は壊れたように何度も大きく頷き、「そ、そうだ、人違いだ……」とこぼした。

それに対しハクが更に胡乱な目で睨め付け、「そうか、人違いか、じゃあ曲者だな。死刑」と大刀を向けたことで、次男坊は慌てて後ずさった。

「わ──っテジュンです!カン・テジュンです──っ!」

「そうか、なら超曲者だな。死刑」

「どっちにしろ死刑!?」

「こんなとこにのこのこ来るからだよ。君この前の騒動を忘れたの?」

「騒動……?」

自分からの問いかけに、阿保な次男坊は考えるように首を捻らせる。

「……そうだ!お前……!」

何を思い出したのか、テジュンは突然に自分の腕をグッと掴み、顔を寄せた。

「えっ、なに」

「足……!もう歩いて大丈夫なのか!」

「え……」

「スイに触るな、近寄るな、散れ」

「ぎゃふん!」

まじまじと自分を見ていた次男坊をハクが半ば蹴り飛ばすように引き剥がして、鍛えてもいないテジュンはあっさりと転がっていく。

唖然としている自分の腕を今度はハクが掴み、その背中へと隠した。

「油断も隙もねぇな」

「な、なぜ私からスイを隠す!?」

「お前の見ていいスイは居ない」

「なに!?」

「ちょっと、いったい何の話をしてるのさ……」

ハクの子供じみた嫌がらせに呆れ、やれやれとその背中から顔を覗かせテジュンを見る。

「足はもうそんなに痛くないよ。お馬鹿さんなりに心配はしてくれてたようだね。ありがとう」

「え……いや、私は……その……心配というか……べつに、あの」

「……何急にもじもじしてんの、だいぶ気持ち悪いけど大丈夫?」

「きも……え?気持ち悪い!?」

「もういい、スイ、これ以上は甘やかすな」

「甘やかしてるつもりはないんだけど……」

テジュンがこちらの姿を見れないようにと、ハクが再び背中に自分を隠す。

「というか、正夢になったねぇ……」

まさか本当にもう一度会うことになるとは。

「正夢……?」

「俺はあの後、てめぇがうっかり約束を破る夢を三回見た。殺ろうと思った」

「め、目を覚まして……雷獣……」

テジュンは殺意のこもったハクの視線を受けながらも、ふと「今日は渡したいものがあって来たのだ!」と手に持っていた風呂敷を広げて見せた。

その中身に目を開き、ハクを見る。

「なあ、スイ。身体が頑丈そうなのって誰だと思う?」

「うーん、ひ弱そうに見えるけど意外とタフなキジャ君とか」

「じゃあ蛇野郎で」

「大丈夫だとは思うけど、一応、念のためね」

「行くぞ次男坊」

「え、なに!?何の話!?ぎゃあっ!」

ハクに首根っこを引っ張られ、テジュンが慌てて風呂敷をまとめた。

わたわたと引きつられて行く姿を不憫に思いながら、それでも敵陣にひょっこり現れるお馬鹿さんには良い治療になるだろうと、肩をすくめて見送る。

ハク達がヨナ姫達の所へ向かうのを尻目に眺めて、自分は鍋の中の野菜がいい感じに柔らかくなったのを見計らい、塩を塩味がわずかにかんじられる程度に混ぜた。

人は最悪、水と塩分さえあればしばらくは生きていられる。

塩分の摂り過ぎは返って脱水症状を起こすから、ほんのり、味付け程度に抑えて……。

本当は栄養満点のお肉や野菜が沢山入ったものをあげたい。

側で待っていた子供たちに「おいで」と手招きをし、近づいて来た子供らに野菜鍋の汁が入ったお椀を渡していく。

「出来立てで熱いから、少しずつね」

受け取った子達の頭を撫でてやりながら、沢山をあげられない事に虚しさを覚える。

育ち盛りなのに、食べたいだけ食べさせてあげられないのが悔しい。

自分が子供の頃は不自由なく、必要なだけの食事は摂れていた。

時折に菓子を貰うことだってあったし、ひもじいと感じることは一度もなかった。

その事を考えると、こんなにも違う自分と彼らの幼少時が悔しくて、申し訳なくて堪らない。

せめてものと配給をしてみたって、断然足りない。

だからこそ、テジュンの行いにはほんの少し嫉妬を覚えてしまった。

「この汁を飲み終わったら、お姉ちゃんのところに行っておいで。きっと美味しいものを分けて貰えるはずだから」

「ほんと?」

「ほんと」

「これもすごく美味しいよ?」

「ふふ、ありがとう。だけども〜っと美味しいものだから、遠慮せず行っておいで」

「わかった」

わずかだった汁を一気に飲み干した子供たちは、急いでヨナ姫のところへと走って行く。

直後、「わー!」と喜ぶ声が聞こえて口元が綻ぶ。

声にならない音で「ありがとう」と呟いて、テジュンが持って来たものだけでは足りないだろう大人達へ野菜汁を配りに回った。



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─────────・・・・・・



しばらくして、ヨナ姫のところから戻って来たハクから聞かされた話に、自分は嬉しくなって笑った。

「お姫さん、そんなこと言ってたの」

「自分は一生分の贅沢をした、だってよ」

「贅沢をするのが”お姫様”のお役目なんだけどね……そう言わせてしまったのが今のこの国なんだって、やっぱり痛感しちゃうね」

「知らずに幸せに生きてくれてりゃ、それでも良かったのにな」

「あの子が自分というものを掴んでいく姿を見てると嬉しいでもあるんだけどね、でもやっぱり、こんな苦労はさせたくなかったって心底思うよ」

ふと、遠くで子供たちと遊んでいるヨナ姫の姿を捉えて、眉を下げる。

ハクは思うことが他にもあったようで、目を細めて何か思案するように黙り込んだ。

そしてそろりと、自分の左の手の甲にハクの大きな手が重なる。

「ハク?」

左側に座る彼を見上げれば、ぎゅっと小さな力を込めて自分の手を握りしめる。

「お前だって、こんなにボロボロになる必要はなかったんだぞ」

「……」

ああ、また過保護か……?

なんて胡乱にハクを見上げれば、その口元には笑みが浮かんでいてきょとんと間抜けな顔をしてしまう。

「もう傷作んなよ。嫁の貰い手がなくなるぞ」

「……切り傷は半年から二年で完全に消えるもんだから、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」

「矢傷は?」

「それも多少皮膚のテカリが残るものの、ぱっと見じゃあわからないくらいには回復するし、そもそも背中を見せる機会なんてほとんどないでしょうよ」

「火傷は?」

「浅ければ消える」

「この前のは?」

「ニ週間以内には痛みも引いたし水膨れもないし大丈夫だよ」

「そうか」

「……君はすっかり心配性になったねぇ」

ふぅ〜。とあからさまにため息を吐いてやれば、ハクはぺしりと握っていた手の甲を叩いて離れた。

こいつ、変な責任感じて『お前の貰い手が居なかったら俺が……』などと馬鹿な事を考えて居ないといいが。

「お前のおかげでひとつ良い案を思い付いたんだ」

「急だね」

「お前が傷を負ったらその分俺も同じだけ傷を負うことにした」

「はあ?」

「この前ので考えることがあってだな」

「いやいや全然意味わかんない」

「安易に怪我を作るお前を姫さんも四龍共も心配してんだ。……俺も、お前が傷を増やすのは見たくねぇしな。そこで、だ」

「何がそこで、だ」

「お前が安易に怪我をしない方法を考えてたんだがな、お前が怪我を増やしたら俺も増やすし、お前が俺の目の前で怪我しそうになって居たら代わりに受けてやるってことにした」

「馬鹿なの?」

「そしたらお前、変に怪我しに行くことも無くなるだろ」

「…………………………馬鹿なの」

「語彙が死んだな」

「いやもうほんと、馬鹿」

呆れて同じことしか言えなくなってしまった。

おそらくハクは、自分の足が火傷で爛れてしまったのが心底嫌だったのだろう。

目の前で起こった事だ。

自分だってハクが同じことをしていれば「このお馬鹿さん!」と殴って居たかも知れない。

「……すんごい嫌だし意味わかんないんだけど、一応、なるべく、多分に気をつけます」

「絶対」

「いや、絶対は無理じゃない!?自分、守れない約束はしない主義なんだけど!?」

「絶対」

「お前こそ語彙力死んでんじゃん!」

「絶対」

「わ、わかったよ!無茶なことは金輪際しない!だからその段々と顔を近づけてくるのまじでやめてくんない!?」

「……」

「近い!顔近い!」

「はぁ、おじさんはお前の将来が心配だよ」

「いやいや同い年だったよね!?」

「まあいい、とにかくそういうことにしたから、あんま無茶すんなよ、俺のために」

「一方的過ぎていっそ清々しいな!」

ハクの破茶滅茶は今に始まった事ではないが、ここまで言わせてしまったのは恐らく自分の思慮の浅さのせいだろう。

傷はいつか癒える。

傷跡だっていつか消える。

今その瞬間痛いだけで、しばらくすれば痛みも感じなくなるからと、身体を大切にしていなかったことは否めない。

置き換えればこうだ。

ハクや四龍やユン君が自分の事をどれほど思ってくれているのかはわからないものの、確かに自分も、世の女性達が目の前で大きな怪我を負う様を平然と見守る事はできないわけで。

それがヨナ姫ならかすり傷ひとつだって許せないわけで……。

なるほど。

小さく頷いて、あっさりと『自分が女だから』という答えに辿り着いて笑った。

だからハクは嫌がるし、四龍もユン君も怒るんだ。

ほんの少しずつ自覚してきた自分の女という性。

少なくとも、自分としてもみんなが不用心に怪我をこさえてくる事は嫌だ。

急に女扱いされるなんて嫌だ、なんて思っていたからこそ、いつの間にやら自分はそんな当たり前の事がわからなくなっていたらしい。

「わかったよ、約束する。どうしてもやむを得ないと判断しない限りは無茶はしません」

「俺のために」

「……ハクのためにも無茶はしません」

「よし」

「ったく」

ため息を落として、今度はこちらからハクの手の甲に手の平を添えて、ぎゅっと力を込めて握りしめる。

「ハクも、やむを得ない以外の無茶は絶対禁止な。避けられるなら全力で避けろよ。自分もそうするから」

「……わかった」

「ふふふ、素直でよろしい」

空いている手でゴワゴワの頭を撫でてやる。

まるで大きな犬みたいに思えて、ほんの少し可愛く思えた。



 
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