黎明の獅子 -akatsuki no yona-

□黎明の獅子 第四三幕
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【 異変、そして転変 】



カン・テジュンがユン君の助言を頼りに動き出したのはつい先日のこと。

自分達が離れた村に腹へり討伐対策本部を設立したようで、彼なりに部下達を説得し、村の清浄化にはげんでくれていた。

ちなみに腹へり討伐の腹へりとは、ヨナ姫が盗賊を発足した時にゼノが勝手に「ゆかいな腹へり達〜」と命名したせいでついた賊名であり、あまりの意味のわからなさに今では腹へりと短縮されてしまっているものだ。

上手く転ぶかはテジュン次第な清浄化作戦に、一抹の不安を覚えながらも願わずにはいられない。

どうか、火の部族が飢えに苦しまず、病を恐れず、満足に働ける地になりますように。

そんなことをぼんやりと願いながら、ふと自身の姿を眺めた。

役人が歩き回っていることから、着物は相変わらず女人のものを身に纏っているのだが、この頃はこの動き辛さにも少し慣れてきた。

というか、動いやすい着付け方を見つけてからは気にならなくなった、と言う方が正しい。

剣を持ち歩けないことだけは変わらず不満だったが、ジェハやシンア、キジャやハクの誰かが必ず近くに留まることが取り決められてからは、自分が戦闘の前線に立つこともなくなり、やることと言えば、ひたすら食事を作ったりユン君と共に薬を煎じたり、子供達と遊ぶくらいなもので。

「鈍りそ〜」

ポツリと呟いた言葉は、冬独特の灰色の空に吸い込まれていく。

あと数週間もすれば本格的な冬が来る。

息を吐けばうっすらと白い気霜(きじも)が見えていた。

それが消えていくのをなんとなしに眺めて、眉根を寄せる。

この頃闘いから離れすぎているような気がしてならない。

盗賊を追い払った時は子供達を庇うために身動きできずシンアに助けられ。

役人達と対峙した時には軽く手合わせはしたものの、すぐにハク達と代わってヨナ姫の側に退がった。

そこまで思い出して、ここ数日少しも剣を握れていないことに気付く。

「マジで咄嗟に動けなくなってたらやだなー」

ため息が漏れるのも禁じ得ず、それでもヨナ姫に危険が及ばないことが一番だと安堵し、止めていた作業を再開させた。

ユン君に言われて、足りなくなってきているという咳止めの薬を煎じているところだった。

材料になるのはオオバコのみ。

実はこのオオバコは、どこにでも生えてくれる多年草の一種で、人が踏み歩く道の上や獣が多く棲息する山林、農道や草原、とにかく色んなところで摘むことが出来る身近なものだ。

煎じ方も簡単。

オオバコの種子を濃く煮詰めて温かいまま飲むだけ。

独特の香りや味があるものの、効能としては鎮咳(ちんがい)作用や浮腫(むくみ)膀胱炎(ぼうこうえん)の解消、その他目の疲れや痛みにも効いてくれる優れものである。

若葉を茹でればそのまま和え物にして食べることもできて、油で揚げれば天ぷらもいける。

さらには全草をお茶にして飲むこともできる。

まさしく万能野草だ。

ただ、消化が悪いゆえに食べすぎると腹痛や便秘を引き起こす可能性もあるため、大声でおすすめすることが出来ない残念さも兼ね備えているわけだが。

煎じて飲むだけなら、十分だろう。

そんなわけで、オオバコの若葉と種子を分け、育ちすぎた葉を切り分けて茶葉にするべく淡々と手を動かしていた。

ユン君は心配だと言って、テジュンの治めようとしている村にジェハと出張中だ。

彼が帰ってくるまでには終わらせてしまおうと決めて、黙々と作業をこなす。

もうすぐ本格的な冬が来る。

「坊ちゃんが頑張ってくれると良いんだけど……」

自分達では出来ないことなど山ほどある。

それを、出来るテジュンが担ってくれたなら、ヨナ姫の気苦労も減るというもの。

「お姉ちゃん、それ、何してるの?」

「んー?これはねぇ……」

いつの間にか近くに来ていた女の子が、自分の手元を見て首を傾げさせていた。

下手な薬草を教えるのは気が引けるが、オオバコならば似た毒草もないし、少量ならば食糧にもなる。

知らないよりはいいだろうと考えて、自分がいましている作業の内容を細かく教えてやった。

薬になること、少しなら食糧になること、食べすぎると腹痛を起こしてしまうこと。

お茶にして毎日飲めば浮腫が解消されること。

意外とどこにでも生えていて、秋ごろに付く種子が咳や痰に効くことなど。

教えられることをその子に全て教授した。

興味津々で話を聞き、「わたしでも薬は作れる?」とその子が真剣な顔でこちらを見る。

「今教えたことを忘れなければ、君にも煎じることは出来るよ」

「ほんと!?あのね、お母さんがね、咳ばっかりして苦しそうなの。だから、わたしに作れる薬があるなら、作ってあげたいんだ」

「そう、きっとお母さんも喜ぶよ。おいで、一緒に煎じてみよう」

とんとんと膝を叩いて、その子がそこに腰掛けるように促す。

小さなその体はすっぽりと膝の上に収まり、薬の煎じ方を説明する自分の声に何度も頷いた。

やり方を教えて、指示を出しながらその子にも同じようにさせてみれば、嬉しそうに手を動かして。

思わず、願ってしまった。

この子やこの子のお母さん、そして、火の土地で苦しい暮らしを強いられている民が唯のひとりも居なくなればいい……なんて。

貧困問題は都心にさえもある解決困難な問題で、国が裕福でも蓋を開ければその日食うことさえ難しい家庭もある。

高華もまた、上辺は綺麗に見えても内側から傷んでしまっていた。

実際に目の当たりにして、嫌でも理解させられる。

誰もが満足に生きていくことがどれほど困難なことなのか。

「薬の作り方を教えてくれてありがとう、お姉ちゃん」

「お母さん、お大事にね」

「うん!」

よしよしと頭を撫でて、煎じたばかりの薬湯を女の子に持たせる。

けれど、これも一時凌ぎでしかないことをわかっている。

かつて自分達を苦しめた大馬鹿者だったカン・テジュン。

顔付きが変わり、今なら多少は信用しても良いと思えたからこそ考える。

どうか彼が、この貧しく悲しい火の土地を、どこまでも豊かなものへと導けますように。

煎じたオオバコの半分を乾燥させて粉末にし、持ち歩けるように仕込み、もう半分はすぐに飲めるように湯に浸したまま放置する。

育ち過ぎている葉を細かく千切り、空気にさらして乾燥させれば茶葉も完成だ。

さて、そろそろユン君も帰って来る頃だろう。

村の修繕に出掛けている仲間達が、お腹が空いたと喚き始めるのもそろそろのはずだ。

よっこいしょと立ち上がり、もう一つの窯を起こして薪を焚べる。

傷みの早い食材を並べて、今日もまた、呑気に食事作りに精を出すのだった。



───────────────
─────────・・・・・・



「へぇ?テジュンがそんなことをねぇ」

「あいつなら部下のひとりくらい簡単に見捨てるもんだと思ってたけど、意外だよね」

カン・テジュンの様子を見に行っていたユン君が戻ってきて、馬鹿坊ちゃんが何を成そうとしているのかを自分に話して聞かせてくれた。

作り置いていた鎮咳薬をユン君に託して、テジュンの意外な行動に「ふむ……」と思案する。

まさか、流行病に感染した部下をテジュンが自ら看病し、投げ出さず、逃げ出すこともなかったとは。

「お姫さんの存在ってすごいよなぁ」

「そこだけは認めるよ、ホント」

「これなら、あとはテジュンに任せても大丈夫そうだね」

「……うん。俺も、そう考えてた」

「だよね」

クスクスと笑って、ユン君の頭を撫でてやる。

撫でられたユン君は恥ずかしそうにしながらも、この手をはたき落とすことはせず、されるがままになっている。

……もう長いこと同じ場所に留まってしまっていた。

別に悪いことではないが、このままここに居ても先に進むための収穫は殆ど無いに等しい。

「ヨナも夜にテジュンの様子を見に行くってさ」

「ふぅん?」

「スイも一緒に行く?」

チラリと視線を投げられて、考える。

自分が様子を見に行ってどうするというのか。

彼に対して大した思い入れもなく、なんならかつては百回崖から落としても許せないとまで思えていた相手だ。

けれど、この村をより良い地へと変えようとしてくれてることも事実。

考え抜いて、結論はわかりきっていた。

「自分はいいよ。大勢で行っても仕方ないし、テジュンも別に自分になんか会いたいとは思ってないだろうし」

「そうかな」

「ある意味では天敵だからね、テジュンにとっての自分って」

「んー……まあ、確かに……?いや、でも」

「いいんだよ」

まだ何か言いたげなユン君を制して、ポンポンと頭を軽く叩いてやる。

「お姫さんが彼を赦すなら自分だって許してしまうよ。けれどね、簡単に許されることを覚えてしまえば人は成長出来なくなる。だからひとりやふたり、絶対に許してくれない相手が居てくれた方がテジュンもうんと大人になるってもんだよ」

「……なるほど」

「そんなわけだから、ユン君に託すよ。お姫さんとテジュンをよろしくね」

「わかった」

「よし、じゃあご飯にしよう。何をするにもまずは腹をなんとかしなきゃね」

にんまりと笑ってやって、この話は終いだとばかりに夕食の準備をユン君に任せてその場から離れる。

天幕に戻り乾燥させたオオバコの茶葉を麻の小袋に詰めていると、ゼノがのんびりした様子で中に入ってきた。

少し前にジェハにも似たようなことをされたような……。

なんて思いながら横目で姿を確認すれば、腕を頭の後ろに組んだゼノが人懐っこい笑みを浮かべて近付いて来る。

「てっきりお嬢さんは会いに行くんだと思ってたのに」

「話聞いてたんだ?」

「ゼノ、耳は良いみたい」

「なんで自分がテジュンに会いに行くと思ったの」

「んー、銀龍だから?」

じっと、ふいに細められた眼差し。

ゼノには他の誰よりも自分が銀龍に見えて居るらしい。

居心地の悪さに苦笑いをして、首を振って肩をすくめる。

「銀龍ってのは、そんなに慈悲深い生き物だったんだ?」

「んーにゃ、超絶厳しかったから!」

「ふぅん?ね、ゼノ。ちょっとこっち来てよ」

「?」

本人は今気づいていない。

さっきの自分の問いに答えられることが、いかに異様なことだったかを。

疑いもせずにトコトコとこちらへ歩いてきたゼノの腕を引っ張り、ぎゅっと抱きすくめてみる。

「わ!?ちょっと、お嬢さん!?」

おたおたと腕の中で暴れ出すゼノを「ちょっとだーけ」となだめて、やっぱり、と心の中で息を吐く。

「お嬢さんてば!さすがにサラシ無しだとゼノも焦る!」

「あはは、ごめんごめん。急にお姫さんが恋しくなっちゃって、代わりになれないか試してみたけどダメだったわ」

「…………もう」

ぷんすかとほんの気持ち程度怒ってしまったゼノを笑って眺めて、また肩をすくめて返す。

「ご飯食べに行こ」

「…………行く」

ほんのり赤くなってしまった頬を膨らませて、ゼノが先に天幕を出ていく。

その後ろ姿を眺めて、大きなため息を吐きたくなるのをぐっと堪えた。

泣きたくなるのだ。

もう何度も、ゼノの笑った顔を見ているだけで、馬鹿みたいに。

悲しくて、だけど嬉しくて、堪らない。

ヨナ姫に感じるようなものじゃない。

この、胸を焦がすような痛みはゼノだけが自分にもたらすもの。

理由を紐解こうとして、嫌な憶測が過ぎって慌てて首を振った。

今は、考えるべきじゃない。

ぼんやりと浮かんでいるだけのこの感情が確定してしまった時、きっと自分は、彼に対してどう言葉を紡げば良いのかわからなくなる。

今はまだ、ゼノが楽しそうに笑っている姿を見ていたい。

「……ほんとに、厄介な力だよ」

思っていたよりも酷く草臥れた声が漏れて、もう一度肩をすくめる。

鮮明に見えた景色、聞こえた音、隣に立つ赤い髪の青年。

ふとした時に瞼の裏に映る、愛おしく思える情景の数々。

そこまで思い出して、今考えることではないと首を振り苦笑混じりに天幕の外へ出た。

ユン君が自分の分のご飯を手にこちらを見て、大きく手を振り「冷めちゃうよー!」と声を掛けてくれる。

ゼノとシンアが二人で並んで火を囲んで、キジャが帰ってきたお姫さんにくっついて何やら楽しそうに話している。

ジェハやハクがまだ見当たらないから、おそらく何かしらの作業が終わっていないのだろう。

こんな何気ない風景すら、自分にとっては幸福に感じてしまう。

城に居た頃より、うんと。

───銀龍は人を愛す龍ですから・・・・・・───

イクスのその言葉はまだ腑に落ちていないけれど、目の前の彼らを見ていると、少しだけ頷ける。

……ああ、やっと帰って来れた。

「……………………???」

頭の中で浮かんだ言葉に首を傾げる。

この感情は、誰のものだ……?


 
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