番外編

□君と私と千の物語
1ページ/7ページ




黄昏色の夕陽が、静まり返った館内を鮮やかに染め上げていく。

風がそよそよと吹き抜けていく音だけが聞こえて、あとは無音の如しの静寂。

ほとんど人の居ないこの時間。

夕陽が紫色の空に溶けていく様を眺めるのがこの上なく好きで。

この高等学校に入学してからずっと、私は図書館でひとりその時間を楽しんでいた。

甘いラブストーリーや、悲劇のミステリー。

魅惑的な幻想小説なんか。

好きなだけ読んで、夕暮れを眺めて、家路に着いて。

そんな、些細な幸せを噛み締めることが私の今の全てだった。

あの日、君に出会うまでは……。












short story.
〜君と私と千の物語〜














コツコツと足音が響く。

戸締り間近の図書館には、いつも私ひとりが残されている。

図書委員の手を煩わせるわけにはいかないから、私は閉館時間ギリギリには必ず本を閉じるよう心がけていて。

片腕に抱える程度の本達を、元あった場所へと戻していく。

放課後の2時間で読める冊数はそれほどはなくて、今日読んだ3冊の物語を、一冊ずつ名残惜しく思いながら所定の位置に返した。

『果てしない物語』

引き込まれるその世界感で、あっという間に読み終えてしまった長編の幻想小説。

『花言葉全集』

ファンタジーな気分を壊したくなくて、次に読んだのは、花が示す言葉達の羅列だった。

『ウォルト・ホイットマンの名言集』

花言葉が示す言葉という呪文に魅せられて、私は最後にその小さな本を読み込んでいた。

知らない世界を知れるのは嬉しい。

目の前に、まるでそれらが広がって見えるようで、そんな時間がとても愛おしい。

毎日毎日、何冊も本が生まれていく。

私が生きている間に、いったいどれだけの本を読み終えられるのかわからないほど、世界には物語が溢れている。

家にいても、学校に居ても、ずっと本を読んでいる気がして笑ってしまう。

そして不意に聞こえたチャイムの音に、私はカバンを手に取り図書館を後にした。

通っているうちに私の顔を覚えてくれた図書委員の人が、「また明日ね」と言って手を振ってくれる。

それに笑みを持って手を振り返し、窓の外から部活生達が慌ただしく帰宅の準備に取り掛かる姿を眺め、校門へと向かった。

春を超えたばかりの季節。

夕陽は海に溶けて、空は藍色に星を散らし始めていた。









帰り道の途中にある本屋で、私は家で読む為の本を買った。

それは随分と昔に出版された有名な作家さんのもので、これまた名言集だ。

オルダス・ハクスリー著。

『多くの夏を経て』

W経験とは、あなたに起こった出来事ではない。
あなたに起こった出来事を、あなたがどう受け止めたかである。W

感慨深いその言葉に、酷く胸が震えた。

私の感じる全てが、私の経験値になる。

今の私が出来上がったのは、これまでに感じたもののおかげで。

私が思うように、W私Wが作られていくのだと。

悩むのも、考え込むのも、決断するのも。

全部が私の意思で、経験。

この本に、あとどれだけの素晴らしい言葉があるのだろう?

先が楽しみで、私はワクワクしながらその本を読み進めていった。

気付けば夜更け前で、おかげで次の日は寝坊しそうになって焦ったけれども、何故だか胸の奥はやけに充実した気分になっていた。




────────────
─────────




欠伸を噛み殺し続けたホームルームを終えて。

私は習慣づいた法則にならい、図書館へと向かった。

放課後に入ったばかりのこの時間は、図書館を利用する人が割と多い。

私はお気に入りの席をひとつ確保すると、すぐさま今日読むべく本を探しに館内をさまよった。

恋愛ものがいい。

胸が切なくて、苦しくなるような。

そこで私が選んだ本は、一冊の短編集。

乙一著。

『calling you』W君にしか聞こえないW。

そんなタイトルの本を手に取り、1ページ捲って読んだその一行目で、私はその本の虜になってしまった。

いまどきにして携帯電話を持っていない少女の、摩訶不思議な物語。

お気に入りの席で、静かに本の表紙を眺めて意識を送り込む。

ふぅ、と小さな息を吐いて、ゆっくりと本のページをめくった。








友達が作れず、携帯電話も持っていない女の子がひとり。

授業が終われば家に帰るだけの日々の中で、小さな憧れを抱いている。

話す相手は居ないというのに、みんなが持つ携帯電話が欲しくなったのだ。

頭の中で、毎日想像する。

真っ白な携帯電話を頭の中で創り出して、自分だけが見える、たったひとつの携帯電話のお話。

ひとりで過ごしながら、頭の中の携帯電話に色んな機能を付けて行って、楽しんでいた。

けれどある日、帰宅中のバスの中で、聞き覚えのある着信音が聞こえたことで、物語は一転する。







頭の中で繋がった携帯電話。





繋がった相手はひとりの男の子。




互いに互いを自身が作り出した空想の存在だと信じていたのに、二人は現実に存在していて。




何度も話すうちに、会いたくなった二人。




直接話をしてみたいと願うようになって、約束を交わした。




それは寒い冬のこと。




そして、約束の日はやってきた。




空港へと彼を迎えに行く女の子。




バスの中でも、頭の中で会話をしながら、二人はWその時Wを待つ。




灰色の空が雪を降らそうと曇っていく中でも、胸中はドキドキで膨らんで、とても楽しげだ。




空港へたどり着いた女の子はバスから降りて、歩き出す。




けれども、真横から聞こえた、耳をつんざくようなクラクションの音で、思考が真っ白に染まっていく。



誰かの「危ない」という声。



女の子の身体に走った、柔らかな衝撃。




痛みを感じたが、それは死ぬほどのものではなくて。



ふと周りを見れば、スリップしたトラックと、静かに横たわるひとりの男の子。




顔なんか知らない。



声しか知らない。



そのはずなのに、彼が、あの頭の中で言葉を交わし続けた男の子だと直感する。




そして駆け寄って、女の子は絶望に泣くのだ。



どうして庇ったのかと。



頭の中で、聞こえた言葉。



W君に会えて、良かった……───W




最後のその瞬間に、そんなことを言われたら。



もう、女の子には男の子を責めることが出来なくなってしまった。












最後の一行。

読み終わって、鼻の奥がツンと痛んだ。

胸がツキリ、ツキリと痛みを覚えて。

だけど、女の子は男の子のおかげでどこまでも強くなって。

それが嬉しくて、切なくて、愛しかった。

これだから、物語を読まずには居られない。

きっとこんな世界。

私では体験出来ないものだから。

はぁ……。

と、また小さな息をこぼした。

窓の外は、本の中の寒さを微塵にも感じられないほど、夏を迎えるための準備をしている。

じんわりと暑い風。

だけどそれが、少し、心地良かった。

さて、続きを読もう。

もう一度、短編集の表紙をめくった。

次は、二人の男の子が主人公の、不思議な話だ。

ただ一話を読んだだけなのに、この作者の描写がとても好きになっていて、私は次の物語もまた楽しみに思えていた。

どんな話なんだろう。

ワクワクに胸をときめかせながら、ページをめくろうとしてハッとする。

向かいの席に、男子生徒がひとり座ってきたからだ。

人気が少なくなって来た館内。

こんなに席が空いているというのに、どうしてわざわざ目の前に?

そう思って、ついつい向かい側に座った男の子をそろりと見てしまった。

そして、交わった視線。

また、息を飲んでしまう。

「その本、面白い?」

唐突に尋ねられて、私は思わず戸惑って、声を出すことが出来ずにただ頷いた。

「何の本か、ちょっとだけ表紙見せて」

彼はおもむろに私の手からその本を摘み上げると、表紙を覗いた。

「ああ、Wcalling youWか。乙一の短編集の一つだっけ? 俺もそれ好き」

もともと柔らかな印象を持つその瞳を、彼はゆるりと細めて笑った。

だけど私は困ったことに、どう返したら正解なのかがわからない。

だって、彼は……───

「あの、ロクサス君……」

「うん?」

空色の瞳を細めたまま、ロクサス君は私をまっすぐに見つめ返した。

それが、ほんの少し居心地を悪くさせる。

ロクサス君は、女の子達に密かに騒がれている人気者の男の子だったから。

「えと……この本、借りたいの?」

尋ねながらその本を閉じて、テーブルの上、ロクサス君の前にそっと置く。

ロクサス君は瞬きをしてそれを見て、小さく首を振る。

「いや、すごく真剣に読んでたからさ、何を読んでるのか気になったんだ。俺、その本はもう何回か読んでるし、夢主が先に読んでるんだから、気にしなくていい」

夢主。

そう、ナチュラルに名前を呼んでくれた彼に驚く。

クラスも違うのに、彼に名前を覚えられていたということに。

「そ、そっか。ありがとう……」

「ぷっ。何でお礼?」

「わかんない、けど。なんとなく」

「変なヤツ」

クスクスと笑いながら、ロクサス君は私を楽しげに見ていた。

私はまた居心地の悪さを感じて、どうしたらいいのかわからずにうつむいてしまう。

「そうだ。良かったらさ、俺に何かオススメしてよ」

「へ?」

また、唐突にこぼされた言葉に驚く。

オススメ?

「こんなに本があるとさ、何から読めば良いのかわかんなくて。夢主なら、良い本たくさん知ってそうだし」

「ろ、ロクサス君て、本読むイメージ無かった」

「ひっでえ! 俺だって読むよ。その本も好きだって言ったろ?」

「あ、うん。でも、私の読む本がロクサス君に合うかどうか……」

「それは、俺が読んでから決めることだろ」

やんわりと細められた瞳に、どうしてだかドキリとした。

いや、違う。

本当はさっきからずっとドキドキしている。

こんなに綺麗な顔をしていて、女の子達に人気があるのが理解出来てしまうのだから。

柔らかい声と、その身にまとった落ち着いた雰囲気。

どうして同い年なのに、こんな空気を纏えるのかと不思議に思えた。

未だまっすぐにこちらを見つめてくる彼に戸惑いながらも、私は一つ、小さく頷いた。







 
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ