番外編
□君と私と千の物語
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ロクサス君はどんな物語が好きなんだろう。
恋愛小説って、読んだりするのかな。
幻想小説は?
ああでも、推理小説なんかは好きそうだな。
でも私のオススメって言っていたから……───。
そう考えて、私が選んだ本は。
香月日輪著。
『妖怪アパートの幽雅な日常』だった。
「妖怪……?」
瞳をパチパチと瞬かせて、ロクサス君は本と私とを見比べてなんとも言えない顔をした。
「意外……。夢主って、こういうの好きなんだ? 妖怪の話……なんだよな? これ」
「うん。でも、とても素敵な物語なの。本を読んで学ぶって、こういうことなんだって、初めてそう思えた本だから。私のオススメって言うなら、この本なの」
小さな頃に両親を失くした少年が、妖怪アパートと呼ばれる場所に出会い、人として、成長していくお話。
人間よりも人間らしいアパートの妖怪達。
人と共存して生きて行こうとする妖怪と、妖怪と共存して生きて行きたいと考える人間。
時に大事な事を教えてくれて、考えさせてくれて、優しさというものがどんなものなのかを教えてくれる。
人間であることのなんたるかを、深く考えさせてくれる本だと思えた。
「読みやすい本だから、ロクサス君もすぐに読めると思うな」
物語の内容を思い出して、私はゆるりと口元を緩める。
黙って受け取ったロクサス君は、そのまま元の席に戻って、「読んでみる」と一言おいて、無言になってしまった。
私の特等席の真向かい。
今から場所を変更するのもロクサス君の気を悪くする気がして、私もまた元の席に戻った。
パラパラと、ページをめくる音だけが二人の間に流れていた。
私は乙一の短編集、calling youの『傷』を読んで。
ロクサス君は『妖怪アパートの幽雅な日常』を静かに読んで。
時折響くチャイムの音に小さく反応して。
そんな時間が、どうしてだかとても心地よくて困ってしまった。
こんな時間がずっと続けば良いのに、なんて考え、欲張りだよね。
存外にも真剣な顔をしてページをめくるロクサス君に、私はまたフワフワと気持ちが浮いていくような感覚を覚えたのだった。
しばらくして、下校時間5分前を知らせるチャイムが鳴った。
そこで初めて、私とロクサス君は互いに顔を上げる。
時を忘れたように、つい夢中になって読んでいたみたいだ。
互いに目があうと、途端に笑い合って。
時間が足りなかったと肩をすくめて、席を立った。
ロクサス君は本を返すがてらに私に話しかけてくれる。
「なんか、不思議と引き込まれたよ。内容も思っていたのと違ったし」
「それに、読んでいるとお腹が空いて来ない? 私、その本を読むと、いつもWるり子さんWの手料理が食べたくなるんだ」
本を読んだおかげで背中が凝ったのか、ロクサス君は肩をコキコキ鳴らしながら、それでも大きく頷いた。
「それ、すげぇ分かるかも! 文字だけなのに、なんだか目の前にそれが広がってるみたいに思えてさ、途中で何度もお腹が鳴りそうになった」
「良かった。気に入って貰えたみたいで。それに、共感出来るの嬉しい」
「意外と、好みが合ってるのかもな。俺たち。夢主のオススメ、ドンピシャで俺の好きな話だった」
「乙一の短編集、私全部好きだなって思ったよ」
互いに目を合わせて、また笑う。
ああ、いいな。
こんな穏やかに話せるの、楽しいな。
友達が居ないわけじゃないけれど、こうして本について話せる子は少なくて。
更には男の子とこうして過ごすことはほとんどなくて、最初はドキドキしたけれど、ロクサス君は話せば話すほど気が楽になっていく。
不思議だな。
でも、心地いいな。
友達になれたら、いいなぁ。
なんて、その時は呑気に考えていた。
所定の位置に本を返した私達は、委員以外、誰も居なくなった図書館から駆け足で出て行って、靴箱へと向かった。
その間も、本についての話をして、他にもオススメはあるのだとか、あの本はシリーズものなのだとか、他愛ない話で盛り上がって。
靴を履き替えた後は、そのままお別れだと思っていた。
なのに、ロクサス君は目を細めて手を振って、こう言ったんだ。
「また明日な!」
「うん」と頷く間もなく、ロクサス君は彼を迎えに来たらしい赤い髪の男の人と一緒に帰って行った。
その後ろ姿を見送って、なんとも言えない思いになる。
これは、友達になれたってことで、良いんだろうか。
明日図書館に行ったら、また、会えるということで、いいのかな?
そんなことを考えると、なんだか明日が楽しみで、気分が弾んだ。
私も家路に着いて、ひとつ、古典歌詞を口ずさんでいた。
W春はあけぼの。
やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
夏は夜。
秋は夕暮れ。
冬はつとめて・・・・・・───W
四季の中で最も綺麗な時間を詠った詩。
何百年と昔から語り継がれる、綺麗な言葉の羅列。
私はそんな古くも清らかな言葉達が大好きで。
共感出来る時があれば、嬉しくて。
だからだろうか。
この藍色に染まっていく初夏の空が、堪らなく綺麗に見えてしまうのは。
校舎を出た時はまだ黄昏色だったのに、今では夜を連れる藍の空。
散りばみ始めた星がうっすらと姿を現して、どこかでホウホウと鳴く鳥の声を聞いた。
明日は彼とどんな本の話をしよう。
知らず知らず上がっていく口角に気付かないままに、私は沢山の本が並ぶ私の家へとたどり着いたのだった。
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私の悪い癖だとは分かってはいるが、分かってはいても、癖というのは直しにくいもので。
また新しい本に夢中になって、夜更け前に眠り着いた私は、授業中に何度も小舟をゆらしてしまった。
昼休みに友人達からからかわれ、いけないと自分を戒めつつも中々やめられないのも事実で。
私は自分でも呆れるほどに、物語を彩る活字というものに弱いのだ。
ほんの少しと決めて開いた本は、いつの間にやら読み終えていで、次へ次へと進もうとしている。
ハッと気づいた時には食事を取るのも忘れていて、夕食の準備が整ったのに、と。母にも叱られたりして。
どうにも私は、本というものにのめり込む性質らしい。
「にしても、夢主はホンマ、よお飽きもせんと毎日図書館ばっかり通うなぁ」
呆れ顔を隠しもせずに、クラスメイトのセルフィーがマジマジと私を見た。
クラスで仲良くしてくれている二人と、私は今お弁当を食べていたわけなのだけど。
「放課後の2時間じゃ、足りないくらいだけど」
肩をすくめて笑って返せば、今度は向かい合わせに座るカイリがまた小さく笑った。
「夢主は恋とか部活とかってヤツより、本だよね。この前家に遊びに行った時、本当おどろいた」
クスクスと笑うカイリは、いつの日かうちへ遊びに来た日を思い出したように遠くを見るようにする。
「ああ、アレはウチもえらいたまげたわ。夢主の部屋の壁という壁ぜぇ〜んぶに本がびっしり! さすがに本の虫や言われても否定出来ひんで?」
独特な関西弁でオーバーなリアクションを取りながら、セルフィーはやっぱり呆れ顔で私を見つめる。
いや、どこか草臥れたような表情も?
「ウチは本なんかそないに読まれへんから、夢主の部屋はもう、拷問か何かやと思ったわ」
「それは、読まな過ぎじゃない? 本、楽しいのに」
タコさんウインナーをグイッと口に詰め込んだセルフィーに肩をすくめて、私は笑う。
カイリはそれにもまたクスクスと笑って、「ほどほどならね」と答えた。
どうやら私は、友人らにとっては本の虫と認定されているようだ。
でも確かに、あの図書館でも、閉館時間ギリギリまで居残って本を読んでいるのは、私くらいのように思えた。
「まあ、なんにせよ、趣味があるんはええ事やけどな」
「うん。でも、夢主の家、そんなに近いわけじゃないんだから、冬とかすぐに空が暗くなる時期は気を付けてよ? 女の子なんだから」
「うーん、大丈夫だとは思うけど……肝に銘じておきます」
なるべくそうするように努める。
が、私はやっぱり本と向き合うと時間を忘れてしまいがちだから、約束はできない。
それでも、心配してくれる友人らがいる事はすごく嬉しいことで、私は「ありがとう」と微笑んだ。
二人はこくりと頷いて、後はまた、他愛ない話を続けた。