ソ


□鬼ヲ鬼ガ喰ウ
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「ヒイイイイ!!??」

芭蕉は思わず叫んで、後退ってしまった
はっとして背後の曽良を見る。寝ている

(よかった…)

ホッとして、改めて鏡を見る芭蕉。鏡に映るのが自分なんて信じられなかった

その肌は頬も手足も土色に黒々とよどみ、
口は鋭い八重歯が突きだし、
爪は鋭く伸び、
頭には─────

「どどどどうしよう…今日は大切な俳席をもうけてんのに!!こんな…とんがりコーンみたいな角…ありえないよ!!まるで鬼じゃないか!!!!」



鬼だった。



朝起きるといつの間にかこの姿になっており、芭蕉は途方に暮れていたのだ

「この鬼弟子ならともかく…鬼になるほど誰か怨んだっけ私」

確かに、昨日またもや曽良くんにお菓子を全て食べられて復讐の念は抱いたけど…

……それかー!!
エエエエそれだけで!?

「もしかして…常日頃から、心のどこかで曽良くんを怨んでたのかもしれない……そんな…」

寝息を立てる曽良の側に膝を下ろす変わり果てた芭蕉
曽良の首筋が見える

つう、と
芭蕉の口から無意識に涎が流れた…

(イヤアアアアアアアア!!)

芭蕉は曽良から転がるように離れた

(なっななな一瞬何考えたんだ私は!!)

ブンブン頭を振り、自分自身に怯える芭蕉
曽良ももうすぐ起きるだろう時間のなか、部屋の隅でガタガタ震える

(ととにかく、誤魔化すしかない!!)











「芭蕉さん」
「……」
「芭蕉さん」
「…な、なに?」
「食べないんですか?」

宿の美味しそうな朝食が芭蕉の前にずらりと並んでいる
横で曽良は黙々と食べていたが、芭蕉の様子がどうもおかしいのに気づいた様だった

「ちょ、ちょっと食欲が無くて…」
「とりあえずそのマスク取ったらどうなんです」
「だだだ駄目だよこれだけは!!かっ、風邪引いてるんだから!!」
「顔中白粉塗ったり、麦わら帽子被ってるのも風邪だからですか?」
「うんそうとも!!」

必死で誤魔化す芭蕉
まさか鬼になってるからなんて言えそうにない
正直、曽良からもできるだけ離れたかった

グウー…

芭蕉の腹が鳴った

「芭蕉さん…」
「ちち違うよ!!いびきだよ!!ハハハまだ眠いなーもう!!熱も上がってきたしちょっと寝てくるよ曽良くん!!」

堪らずその場を飛び出した
寝室に飛び込むと、頭から布団を被りグズグズ泣き出す芭蕉

「もう嫌だ…曽良くんには当分近づかないようにしよう…」

前まで全く意識してなかった曽良の匂い
今横に並んではっきりと芭蕉の鼻につくようになった
口から涎が流れる
芭蕉は慌ててそれを拭うと、頭を抱えて縮こまった
本当はかなり腹が減ってる

(でももし、もし、今何か食べるとしたら、私はきっと…!!)

「入りますよ!!」

ガラリと戸を開き、曽良はずかずかと部屋に侵入すると、芭蕉のくるまってる布団を剥がそうとする

「ギャアアアアやめろ!!!」
「この後句会があるじゃないですか。ふざけないでください」
「じゃじゃじゃじゃあせめてこの格好のままでいい!?」
「勝手にしてください。行きますよ!」
「ヒイいたたたたた!!鬼ー!!」

曽良は問答無用で芭蕉の足をひっつかむと、そのまま引きずっていった









「今日の芭蕉さん…どうしたんですか?」
「風邪だそうです」

句会は日が落ちた頃に終わった
芭蕉は相変わらずの妙な格好で、曽良からはなるべく離れ部屋の隅に座ることで、何とかやり過ごした

「そろそろ夕食の時間ですね…その前に温泉でも行きましょうか」

曽良が芭蕉に一歩近づくと、芭蕉は一歩飛び退き、首を振る

「近寄らんといて!!」
「今日は一体どうしたんですか。朝からずっとその調子じゃないですか」
「風邪だよ!!」

カナカナカナと日暮の声が窓の外から聴こえてくる
薄暗い部屋の隅で、芭蕉はしょんぼり項垂れている
また、芭蕉の腹が鳴った

「……」
「屁だよ!!」
「…風邪で食欲がないとはいえ、何か食べないと治りませんよ」

芭蕉に歩みよる曽良

「ち、近づかんといて…」
「そううつったりしませんよ。ほら、この饅頭でも…」
「お願い!来んといて!!曽良くん!!!!」
「食べろ!!!!」

曽良が無理やり芭蕉のマスクをむしりとり、口に饅頭を詰め込む

「ウガアアアアアアア!!!!」

芭蕉とは思えない叫び声が部屋全体に反響した
がぶりと曽良の手に鋭い牙を突き立てる

「ッ!!この…「ウワアアア!!!」

次の瞬間芭蕉の爪が伸び、曽良に向かって振り下ろさせる
曽良は間一髪飛び退くと、芭蕉の手を爪ごし床に踏みつけバキリと割った

「痛あああああああ!!」

腕を押さえてもがく芭蕉
曽良は思考停止する

「爪が…」

伸びた。刃物のように

固まってる曽良の手の、噛みつかれた傷から血が滴り落ちる
芭蕉は吸い寄せられるように、そんな曽良の手を見ていた
ごくりと唾を飲む音

「……」
「今のは…」
「はっ!!いや、違うんだよ!!これは…その…虫歯が悪化して……」

涙目になりながら慌てて口を隠す芭蕉
だが、曽良は無言で芭蕉をひっつかむと、麦わら帽子をむしり取った
汚い髪の隙間から、二本の角が生えていた

鬼の芭蕉はめそめそ泣き出した。曽良はため息をつく

「全く…なんて弱々しい鬼なんでしょうね。変だとは思ってましたが。朝からこうだったんですか?」
「うん…」

芭蕉が顔を拭うと、白粉が取れ、土色の肌が現れた

「どうしよう…」
「とりあえず、明日の朝一番に近くのお寺に行ってみましょう。もう日も落ちましたし、今夜一晩は我慢してください」











「別に同じ部屋でもかまわないですよ」

夜、布団の敷かれた寝室から出ようとする芭蕉を曽良は引き留めた

「でも…もし私何かしたら…」
「仮に芭蕉さんが先程のように襲ってきたとしても、僕は一発でなぎ倒す自信があります」
「うん…なぎ倒されたくないから部屋を出ようとしてるんだけど…」

一応用心して、目の届かない所に今の芭蕉さんを置くのはやめときましょう、と曽良は言う

「芭蕉さんとはいえ、鬼ですからね」

そう言って曽良は部屋の灯りを消した
布団に潜る芭蕉

みみずくの鳴き声が、外から聴こえてくる



しんとした部屋



芭蕉は無理矢理閉じていた目を薄く開く
グーとまた腹が鳴った
隣からは静かな寝息が聴こえてくる

(眠れないよ…)

気がつくと、涎が口端からながれている
そのたびに泣きそうになる

匂うのだ、どうしても
人の匂いが
曽良の匂いが

布団から這い出る
月明かりに照らされた曽良の寝顔は、綺麗だった

三角座りでそれを見つめる
また、涎が滴る
涙と鼻水も流れる

「曽良くん…」

ぼそりと呟く。寝息が返事代わりだった
顔を拭うと、そっと曽良に近づいた。今朝も見た、白い首筋が目に入る
そのまま見つめていた

(…少しだけだ)

芭蕉はそう心に言い聞かせると、息を殺して、首筋に顔を寄せる

そっと…
気づかれないよう
そーっと…

(…ほんの少しだけだよ)

ゴクリ

唾を飲んだ
震える手で着物の襟を少しはだき、舌を、す…と首筋に這わせた
僅かに曽良の身体が揺れる
鳥肌がたった

(あと少し、少しだけ)

もう一度、息を殺し、
首筋に…






曽良が目を開いた





芭蕉はその場から飛び退いた

「何を…してたんですか?」
「…え、いや、何言ってんの曽良くん!!何もしてないよ!!」
「朝もそうして、僕を見てましたよね」
「……」

芭蕉をよくみると、曽良の首筋にひたすら視線を奪われている
曽良は上半身を起こし、はだけた胸元をちらりと見る
互いの視線がぶつかる

「……鬼は、人を喰うと聞きます」

曽良は着物を片手でめくり、芭蕉を見た



「……僕を?」



途端に芭蕉は曽良に股がり、床にガシリと抑えつけた
半泣きになりながら必死に口を食い縛っているが、絶え間なく溢れる涎が顎から滴り落ちる
…曽良は、全く抵抗しない

「身体は嫌ですけど、血ぐらいならいいですよ…」
「……」
「朝から何も食べてないでしょう」

小さな声でそう呟く曽良

「今は鬼なんですから、鬼らしく事しても問題ないでしょう…飢え死にするよりはマシじゃないですか」

芭蕉は鼻をすすりながら、やっとのことで口を開いた


「…食べて、いい?」
「勝手にしてください」



曽良は顎をくいと上に向け向け、目を伏せる。
芭蕉はゆっくりと体を覆い被せ、首筋に手をあてがい歯を突き立てる

ドクリと曽良の心臓が音を立てる
キュウと歯が深く刺さっていく

「うっ…」

ビクリと全身が固まった
血を吸われていく感覚に、ダラリと全身の力が抜ける

「……はッ、…ぁ…」

身をよじる
目を閉じているのに目眩がして、何処かへ落ちて逝きそうな感覚

「……ッ、」

次第に息苦しくなり
クラクラする頭に熱が昇り、身体全身が熱くなる

「…ハァッ…、…」

果ててしまいそうな衝動を抑え、歯を噛み締める
肩が震える
目の前の弱々しい鬼にすがりついた

(だっ、大丈夫なのか!?)

芭蕉が心配そうに視線をオロオロさせるが、構わず曽良は芭蕉の頭を自分の首筋に押し当てた
食い縛った歯から、なんとも言えない唸り声が漏れる

(そっ、曽良く…)

「…ッく…、ッん……ああ!!」

曽良の様子に芭蕉が見てられなくなり、急遽血を吸うのを止めてしまった

「ヒイイなんか!!無理!!やっぱ無理!!なんかこれ変な気分になるだろ!!」

芭蕉の下でぐったりしている曽良は息を乱し、熱くなっていた

「ッ…もう、い…いん…ですか……?」
「ていうか曽良くんが大丈夫なの!?」
「全然平気…ですけ…ど…」

(どこがだよ!!!!)

明らかに弱っている弟子に芭蕉は心の中でつっこんだ

しかし、それなりに血を貰ったせいか、さっきまでの空腹と、異常な涎は収まっていた

「ありがとう…曽良くん……」

暗い部屋に、曽良の息使いが暫く響いていた













「戻った…!!」

翌日鏡に映ったのは、角も、牙も無い、人間の肌の色をした松尾芭蕉だった

「イヤッホー!!やっぱ私はこうじゃないと!!ウンコ色の俳聖なんてゴメンだよ!!イヤッホブハホッ!!」

回し蹴りが飛んできて芭蕉をぶっ飛ばす

「朝から五月蝿いんですよ。蹴り飛ばしますよ」
「もう蹴られたよ!!」

昨日のことが嘘のように、何事もなかったように曽良が起きてくる
曽良も芭蕉の風体に気づいた

「これで寺に行くこともなくなりましたね」
「ウッホホイ、さて朝ごはん朝ごはん!!」

と言い、芭蕉が曽良の首筋にかぶりついた。刹那断罪チョップをまともに喰らう

「ごめん…ゲフォッ…そういやもう普通のご飯食べれるんだっけ…」
「馬鹿やってないで、行きますよ」

スタスタ先に歩いていく曽良の首筋は、昨日の晩とさっきかぶったせいで血が滲んでいた

芭蕉はふっと見つめていた…

(え!?あれ!?)

芭蕉は鏡を見る。いつもの芭蕉だった
もう鬼の形跡はどこにも無い

(まさかね!!きっと昨日丸一日まともなもの食べてないからだよね!!うんそうだ!!)

何故か流れてくる涎を拭いながら、芭蕉は曽良の後を追いかけていった








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