SHORT U

□劇薬に酔う
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 僕の中に渦巻くこの感情はなんだ?
 自分の心と折合いがつかない。
 分からなくてもいいから、目を背けて前だけを向き続けてきた。後ろを振り返って歩みを止める、そんな選択肢は持ってなかった。

「アレン、いま何考えてる?」
「何も。……何も、考えてないです」

 ギシ、とベッドが軋む。なだれ込むように押し倒された僕の視界は、暗がりでも鮮やかなオレンジと深い緑の瞳で一杯だった。

 ラビのことを視界に捉えては離さない自分に気が付いたときにはもう遅くて、騙し騙し自分に嘘を吐いても誤魔化せないくらい、好きになってしまっていた。
 よく人を見てるラビがその変化に気付かないわけがなくて、僕の心境はあっさりと見抜かれた。

 僕はラビのことが好きだけど、正直また他人を信じて好きになるのは……失うのが怖い。その想いも汲み取ってラビは付き合ってくれている。身体の関係は持つけれど、ラビは心を預けない。
 そのほうが都合が良いのかもしれないとは思う。
 でも、だからこそ感じる。ラビはきっと僕のことが好きなわけじゃない。

「アレンは嘘吐きさ」
「嘘?」
「この状況でいま俺のこと考えてないなら、むしろびっくりなんだけど」

 突然襲われて、何を考えればいいっていうんですか。
 僕は君のことが好きだ、もうどうしようもないくらい、感情がコントロールできないくらい、好きで好きで仕方ない。
 でもラビ、君はそうじゃないんでしょう? 君は他人を好きになったりしない。綺麗な女の人を見かけては声をかけたりもしているけれど、本当に心動かされているわけじゃないくせに。
 君にとって、僕らはただの記録対象。紙の上のインク。
 淡々と綴られていくその記録に想いを込めることなんてない。

 ……ああ、ごめんなさい。何も考えてないなんて嘘だ。僕はまた、君で頭がいっぱいです。

「アレン、好きさ。俺のことだけを考えてよ」
「嘘吐き」
「え?」
「嘘吐き。ラビも嘘吐きです、僕はラビのことしか考えてないのに……」

 溢れそうになる涙を見られたくなくて、逃げるように身体を捩りうつ伏せになる。枕に縋ろうとシーツを辿って手を伸ばせば、手の甲に重なる大きな手。指の間に指を滑り込ませてぎゅっと握られ、この手は枕に届かない。

「逃げるんさ?」
「ち……ちがっ……」

 逃げたいわけじゃない。……いや、逃げられるなら逃げたかったのかもしれない。だけどそんな気力もなくて、すでに力の抜けた身体は抵抗もせずされるがままだった。
 掴まれた左手を右に引っ張られ無理矢理仰向けに戻される。

「なんで俺のこと嘘吐きって言ったんさ? 俺だって、アレンのことしか考えてない」

 ふわりと触れる唇。温かなそれがほんの一時で離れようとするのを、空いた右手を背中に絡ませてもう一度繋いだ。深く、深く。まだ足りない。行かないで。離さないで。
 鼻から抜けるような声を出す僕を強く抱きしめて、舌を絡めて感度の良いところを探る。

「んっ、……ふぁ」
「アレン……今日はすごく、積極的さ……」

 ラビはいつも余裕で、僕ばかりが必死に君を求めている。

 僕のことを忘れないで。と言うのは、少し間違っていると思うんです。
 君は僕のことを忘れることなんてできない。その瞳に捉えた存在は、忘れようとしたって忘れられないんですよね。
 でも僕は君の記憶に留まるだけじゃ物足りない。君の心にいたい。

 するり、と胸のリボンタイを解かれる。
 そのまま慣れた動作でシャツのボタンにかけ始めたラビの手を握った。

「いまは嫌?」
「嫌じゃない、です。でも、ちょっと待って」

 さっきは届かなかった枕に手を伸ばす。
 枕の下を探って、見つけた。冷たいガラスの感触。
 パキンッ
 高く無機質なガラスの割れる音が耳についた。

「アレン? ……何、そのアンプル」
「何だと思います?」
「いや、分からないから聞いてるんだけど」

 そうですよね、と僕が笑ってもラビは訝しげな表情を浮かべたままだ。

 ラビの肩を押して仰向けの状態から起き上がる。
 透明な液体は闇の中にあるわずかな光に当てられてちらちらと輝いていた。

「科学班に貰ったんです。この状況で取り出したんですから……効果は分かりますよね?」
「……いや、分かったんだけどさ」
「そんなに疑わなくても大丈夫ですよ」

 これから起こることが不安でおかしくなりそうだけど、同じくらい楽しみで、僕は笑った。笑いが止まらなかった。
 ラビが心配そうに眉を下げてアンプルを持つほうの手首を掴んだ。掴まれているところがキリキリと痛む。アンプルを落としそうになるけれど、ひとつしかない薬を零すわけにはいかない。

「離してください」
「嫌さ」
「どうして」
「それ、怪しすぎるさ」

ラビはこういうところで勘がいいですよね。どうして止めるんですか。僕はこの薬の正体を言っていないけれど、媚薬だと思うよう誘導したのに。

「今日は積極的だ、って、見抜いたのはラビじゃないですか」
「そうだけど……っ」
「離して、ラビ。たまにはこういうのも取り入れてみたいと思いませんか?」
「……はぁ、分かったさ」

 渋々離された腕。
 僕を信じてくれてありがとう、ラビ。

「いまその選択をしたことを、一生後悔してくれたら嬉しいです」

 アンプルの中身を一気に口に流し込んだ。

 ドクン、と臓器が大きく反応する。
 息がうまく吸えなくて苦しい。次第に、酸素が足りず、視界が歪んできた。
 ラビが両肩を支えてくれている。

「アレン、アレン!」
「ラ、ビ」
「おい、何飲んだんさ!」

 ラビの声が遠く聞こえる。こんな近くにいるはずなのに、届かない。
 いつだってそうだ。僕の想いは君には届かなくて、君の想いも計れない。

「僕はラビの、記録の中じゃ、なくて、記憶に、……心に、残りたい」

 他人の死なんて、たかがインクの一部が無くなったくらいにしか考えないかもしれない。
 でも、僕は君の腕の中で、君の選択によって死ぬんです。
 君がこれからもずっと、ラビの名を捨てても、僕に想いを傾けてくれることを願って。

「――っ、ばか。当たり前さ、アレンが好きっていつも言ってるだろ……!」
「……あ、りが、と」
「ふざけんな! いつも聞く耳持たねえで俺の気持ちから逃げてたのはどっちさ!!」

 どうして怒っているの、……笑ってよ。最期に見るのはラビの笑顔がいい。

 手から滑り落ちたアンプルを、ラビはすぐさま拾い上げる。それは微かな視界から見えた。
 僕にとっては、君の心を手に入れる最大の媚薬。毒か、劇薬か、君は分かっているはずなのに何の躊躇いもなくほんの少し残っていた液体を飲み干した。

「や、めて、ラビ」

 カシャン、とアンプルを床に投げ捨てる音が聞こえてくるのと同時に、強く抱き寄せられた。
 温かい。

「アレンがいない世界に生きる意味なんてない」
「そん、な……」

 ラビは生きて、生きて僕を心に留めてください。
 僕のこと、好きじゃないでしょう? なのに、どうして、そんなこと言うんですか……

「なんでいつも俺の言うこと信じないんさ。俺のこと好きって言っておいて、俺も好きって言うと拒絶する」

 拒絶なんて、してない。

「俺がアレンのこと好きじゃないって、勝手に決めつけて自己解決すんな! 俺は何度もアレンのことが好きだって言ってるはずさ。身体も重ねて、俺はいまさらアレンのことをただの記録対象だなんて思ってない」

 腕に何か、冷たい液体が触れる。ラビ、泣いてるんですか……?
 もう視界は闇に包まれて何も見えない。意識だけがかろうじて残っている。

「ブックマンとしてはこんなん駄目だって分かってたけど、もうどうにも出来なかった。俺はアレンが好きで、自制とか、無理だった」

 なんだ、同じですね。僕もラビのことを考えたらいてもたってもいられなくて、自分を自分でコントロールするのが難しくなってました。

「なあ、俺が後を追えば、アレンを好きだったことの証明になるんさ……?」

 ……そっか。僕は、君が僕のこと好きじゃないって思ってたけど、そんなことなかったんですね。本当に逃げていたのは僕のほう、なんて、言われていまさら気付いても少し遅かったかな。
 君の中に僕はちゃんといて、愛されていた。それを最後に知ることが出来て、僕は幸せです。

 深く、喉の奥まで辿るような口づけをして、ラビは僕の口内に残る薬を飲み込む。
 先に含んだアンプルの残りも量が少ないとはいえ、そろそろ効果が出てくる。

 僕らは抱き合い寄り添ったままベッドに倒れ込んだ。




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