刹那の夢語り

□雷獣【2】
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晋作といると、ロクなことがない。
というより、何もなかったためしがない。


今は人目を憚る身なればこそ
日中に呼び出されれば女子の形(なり)で
出向くのも仕方がないと諦めもするが、
呼び出した当の本人があのように目立つ姿では
意味がないというのだ。

いい加減その着流しをやめろと説きつけても、
酔狂な遊び人が逢引しているように見えれば、
邪魔する野暮などおるまいと涼しい顔。
逆に、もっと懇ろな風を装えと腰に手を回して
こちらの尻を揉みしだく始末…


所詮、この男には敵わないのだ。
剣術の腕も、知恵の回りも、機を見る敏さも、
…そして、人を翻弄し魅了してやまぬその身のすべてが。


体の中心に熱が集まり、劣情が頭をもたげ始める。

尻を這う掌とつつ…っと首筋を伝い落ちる指の動きに
吐息とともにあまつさえおかしな声まで
漏れそうになる自分に狼狽して
変な気を起こすなと突き放せば
晋作はフンと鼻を鳴らし、
お前こそ何を期待したかとニヤリと嗤う。



…この前の夜がいけなかったのだ。

長州浪士を名乗る輩にからまれて、
不逞の者たちといえど心ならずも人を斬った。
その罪悪感と狂気に裂かれた奇妙な気の昂ぶりのなかで
突き動かされるままにひたすら互いを貪った。

果てに残ったものは、
束の間の充足感と、それを上回る渇望感。

たった今自ら突き放したはずの熱なのに、
それ以上の強さでこの身に絡めて離したくないと
引き寄せたくなる情動。



思わず袖に指が伸びる

と、絡めようとした刹那、
俺はぐいと腕を引かれ、振り向かされた。
身構える間もなくぱぁんっと乾いた音が響いて
左の耳から頬にかけて焼かれるような痛みと
衝撃が走った。


「み、三谷はん、何してはりますのっ?!」
「この…泥棒猫ッ!!」


一瞬くらりと揺れた視界のなかで
こちらを睨み据えた瞳が、次の瞬間には
驚きのあまりか大きく見開かれた。
引き結んだ薄く紅をひいた唇の奥でぎりりと
歯を食いしばったであろう女が
くっと顔をひきつらせて吐き捨てた。

「か、陰間に…陰間なんかに…うちは…ッ」


(か、陰間…ッ?!)

余りに理不尽な仕打ちとことばに呆然と立ちすくむ俺を
再度睨み据えた女は、
隣で顔を背けてクックッと喉の奥を鳴らす晋作に向き直り


「三谷はんッ! 何がおかしいんどす?!」
「もう二度と逢状出さんといておくれやすッ」
と叫ぶとくるりと踵を返して消えた。


ひりひりと痛む頬を押さえて顔を顰める俺の隣で
とうとう堪えきれずに吹き出して
まさに腹を抱えて笑い始める晋作に、
この始末をどうしてくれるのだと声を荒げたものの
「…さあな。やはりオマエが美しすぎるから
いけないんだろうよ?」と
とことんふざけた答えを返されて


……殴りたい。

抱くより、この場で今すぐ張り倒したい。
握りしめる拳が全く逆の感情に打ち震える。


それでも。

晋作がこの拳にポンッと手を重ねてちらりとくれた
流し目ひとつにすら
俺は魅せられてしまうのだ。

やっと笑いを収めた晋作が、つっ…と指を伸ばして
頬に触れた。
熱いな…と呟きながら滑り落ちた
ひやりと冷たい感触が唇を掠め、
かすかに力のこもった指先でそれを拭い取っていく。


「血がにじんでいる。悪かったな、小五郎」
「手当をするから、一緒に来い」

わずかに朱に染まった指先を
ちろりと紅い舌が這って舐めとる様に見とれた刹那
そのままその指が伸びてきてぐっと腕を引き寄せるから、
思わず足元を縺れさせて晋作の腕の中に倒れ込む。


まずは手当だ
そのあとでもちろん、オマエが望むなら
この埋め合わせは存分にするぞ と
耳元に堕ちた囁きの熱を帯びた響きと
頬寄せる形になった晋作の仄かに汗ばんだ首筋に
俄かに鼓動が高鳴る。

擦り寄るようにこくりとひとつ頷いて
このままでは歩けぬから…と
懐から取り出した手拭いで
腫れているであろう頬とそれ以上に赤く染まって
いそうな顔をふわりと覆い隠し
再び、誘(いざな)う指先にこの身を委ねた……

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