Season1/Novel 3

□Merry Christmas 2017〜withエドワード〜
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人生初のオペラを、まさか王子様と鑑賞することになろうとは、夢にも思わなかった。

一番舞台がよく見えるロイヤルシートは、その名のとおりシャルル王室専用の席で、もちろん、専用エントランスと繋がっている。


「とても素晴らしいオペラでしたね。
歌手はもちろん、オーケストラも、舞台美術も今回はシャルルが誇る一流のみなさんが揃いましたから、まったく非の打ちどころがありませんでした」


満足そうな笑みを見せるエドワード様の後に続いて階段を下りながら、私は、「そうですね」とあいまいに笑った。

そもそも、初めてのオペラ鑑賞で、付け焼刃の予習ごときでは、一国の王子と対等に語り合えるわけもない。

クリスマスの今日、ひそかに好意を寄せるエドワード様に誘われたからといって、有頂天になって付いてきた自分が、今更ながら悔やまれる。


「どうなさいましたか」


エドワード様は、ほとんど挙動不審に近い私の様子に瞬きをして、長身をかがめ、顔をのぞきこんだ。


「やはり、今夜は他にご予定があったのでは……」


あまりに切なげに揺れるアメジストの瞳に、私は顔の前でぶんぶんと両手を振った。


「違います! 何も、なーんにもありません! エドワード様にお誘いただけなかったら、ほんと、ぼっちだったんです!」

「ふふっ。それならば良かった。楽しんでいただけましたか」

「はいっ。ただ……オペラのことは何もわからなくて。どんな風に感想を言っていいのかと、迷ってしまいました」


私は視線を伏せた。

むしろ、私のような不心得の者を連れては、エドワード様のほうが楽しめなかったかもしれない。

けれどエドワード様は、ふっと相好を崩した。


「堅苦しく考えることはありませんよ。
芸術は、どんなものでも感じるままでいいのです。
シャルルには、世界中から美しいものを求めて芸術家たちが集まります。また、一緒に出掛けましょう」


優しい笑みを向けられて、社交辞令だとわかっているのに、私はつい、うなずく。

こんな庶民にも分け隔てなく接してくれるエドワード様に、魅かれている。

最高位の身分にありながら、おごらず、けれど気高く、シャルルを統べるために、神から生を受けた人。

手なんか届くはずがない。本気で愛されるはずがない。

彼は、どこかの美しい姫と結ばれる。

わかっているのに、少しでもそばにいられたらと願ってしまう私は、とんでもなく身の程知らずだ。


「エドワード様。お車のご用意ができております」


王家専用のエントランスまで来ると、エドワード様の執事、ルイスさんが緩やかに腰を折った。


「ああ、ありがとう。でも、すまない。先に城に戻ってくれ」


きっぱりと言い切ったエドワード様の言葉に、ルイスさんは、怪訝そうに瞬きをした。

もちろん、私もだ。


「せっかくのノエルだからね。彼女と……一緒にいたいんだ」


え……?

私はエドワード様を見上げた。

彼女って、私??

ルイスさんが、私とエドワード様を交互に見て、すべてに納得したとでもいうような面持ちで両の口角を上げた。


「承知いたしました。でも、今日はあちらこちらでパパラッチを見かけます。どうぞお気をつけて。……素敵な夜を」


扉の向こうに去るルイスさんを見届け、エドワード様が眉根を寄せて顔を向けた。

いつもの自信にあふれたまなざしとは違う、戸惑い。


「貴女を強引に引き留めてしまったでしょうか?」

「いえ、そんなことは」


私は首を振った。

大好きな人が、私と一緒にいたいと願ってくれている。

それって……もしかして。


「よかった」とエドワード様は小さく息を吐き、それから、私に手のひらを差し出した。

「では、まいりましょう、プリンセス。今年のシャンゼリゼは、昨年よりもライトアップを華やかにしました。どうぞお手を……」


私はおずおずと手を重ねる。

きゅっと確かな意思をもって握り返される手のひらは、優美な彼の外見からは想像もできない、男性の強さがあった。

はじめて感じるエドワード様の温度に、胸の高鳴りが止まらない。



地上の星空。

イルミネーションに彩られたシャンゼリゼ通りは、そう例えるにふさわしいほど、圧巻のまばゆさを見せる。

光の道筋の終着は、凱旋門だ。

私たちは、白い息を吐きながら寄り添い、人の波に紛れ、通りを歩いた。

繋がれた手はそのまま、エドワード様のコートのポケットの中に収められている。

この距離感は、きっと、友達以上恋人未満。

エドワード様がいくらフェミニストだとしても、何とも思っていない女性と手をつなぐ軽率さを持っているとは考えられない。

期待したい。

期待しない。

相反する想いの答えを求めて彼の横顔を盗み見るけれど、隣には、博愛の、穏やかな息遣いの彼が在るだけだ。


「おや?」


不意にエドワード様が足を止めた。


「マルシェ・ド・ノエルだ。行ってみましょう」


彼の視線の先には広場があって、たくさん三角屋根の小屋が軒を連ねる。

私は、エドワード様に導かれて人の集う場所へと足を向けた。


「わあ……すごい」


ひとつひとつの店に、まるでおもちゃ箱をのぞくような楽しみがあって、私はいちいち感嘆の声を上げた。


パン、チーズ、ソーセージ、フォアグラ……食品を扱う店もあれば、
キャンドルやオーナメントなどのクリスマスの飾りもの、アクセサリー、シャルルの地方の工芸品を売る店もある。


「まずは、ヴァン・ショーで温まりませんか」

「ヴァン・ショー?」


私は首を傾けた。


「ええ。赤ワインにシナモンやオレンジピールといった香辛料を加えた温かいワインです。この時期にはかかせない飲み物なんですよ」


エドワード様が、大きな円筒のなべがある屋台に近づいた。

湯気が立ちのぼるワインを、恰幅のいい女性がゆっくりとかき回している。


「ふたつ、ください」

「はいよ、ちょっと待ってね」


女性が、手を休めずに顔を上げたその瞬間だった。


「…!! エドワード様じゃあないか!」


素っ頓狂な声にマルシェを行き交う人が、振り向いた。


「エドワード様?」「どこに?」


エドワード様が、慌てて巻いていたストールを鼻先まで引き上げる。

ルイスさんが、パパラッチに気を付けるようにと言っていた。

ふたりでいるところを撮られでもしたら、エドワード様にどれだけの迷惑をかけてしまうことか。

私は、とっさにエドワード様を背に隠すようにした。


「違うんです、彼は……」


しかし、何の策もないまま進み出た私をエドワード様が手のひらで制し、続けて彼は声を抑え、女主人に告げた。


「……マダム、私はエドワード=ルヴァンソワです。ですが、どうかお静かに。

今宵、私はこちらのかたと、こころ易(やす)く過ごしたいのです。

普通の……恋人たちのように」


息を詰めたのは、私のほうだった。

普通の、恋人たち――

想う人は、想い合う関係を望んでくれているのだろうか。



マダムは、うなずき、微笑んで、多めに注いだワインのカップを差し出した。

一瞬ざわめきを見せた人々も、もう、思い思いの街歩きを楽しんでいる。

大事にならなくてよかった。

私は、ホッと胸をなでおろした。

ふたりで、ワインを少しずつ口に含みつつ、再びマルシェを歩きはじめた。

温かく、香り高いワインが喉から胸におち、身体を温める。

けれども、内側から湧き上がるエドワード様への想いのほうがはるかに熱く、私に寒さを忘れさせた。

エドワード様は、押し黙ったまま何も言わない。




軽快な音楽に振り向くと、アコーディオンの奏者の音色に合わせて、円になった人たちが踊っていた。

素朴な音にのった、普段着の気負わないダンスは、踊る人々の顔も自然体だ。


「僕たちも踊ろう」

「え、あの……でも、私、ダンスなんて」


くだけた口調と突然の誘いにとまどって、私はエドワード様を見上げた。


「大丈夫。僕にまかせて」


エドワード様は私の手をとって、ふわり、舞った。


「わ、わわわ……」


まるで、身体に羽が生えたようだった。

王子様というのは、シャンデリアの下で、着飾り、オーケストラの演奏にのって踊るものだとばかり思っていた。

けれどエドワード様は、こんなにカジュアルな場所でも軽やかにステップを踏む。


「……恋人のふりをしてもらえないだろうか。今だけでいい」


私は、エドワード様を見上げた。

彼は、切なげに、プラチナのまつ毛を揺らし、握る手に力をこめてくる。


「とても……幸せなんだ」

「エドワード様……」

「エドと、呼んでくれ」


心臓を直接つかまれたみたいに、呼吸が苦しくなる。

生まれが違う。

立場が違う。

あきらめなくてはならない恋なのに、確かに、お互いを求める想いが手のひらにあった。



数曲のダンスを踊り、人々が散り、アコーディオンの奏者が帰り支度をはじめても、私たちは向かい合い、両手をつないでいた。

ひとひら、またひとひらと、白いバラの花びらを思わせる雪が舞い始める。

雪のついた彼のプラチナの髪は、夜の闇の中でもキラキラと輝いた。

言葉はなかった。

発すれば、好きな気持ちがあふれて泣き出しそうだ。

エドワード様が、私を引き寄せ、胸におさめた。


「もう少しだけ、このままで。僕に……夢を見させて欲しい。貴女の恋人でいられる、夢を」


抱きしめる彼の腕が強くなる。

夢だなんて。

気持ちが通じ合っているのに、覚めてしまえばすべてがなくなる?

私は首を振った。


「嫌……です。夢で終わらせたくない。私も、エドワード様を……エドをこんなに好きなのに。

でも、どうしたらいいか、わからないんです」


腕の中で見上げた彼の瞳が驚きに見開かれた。


「貴女も、僕と同じ気持ちでいてくれるんだね。なんてすばらしい聖夜の贈り物なんだろう」


0時を告げる鐘が鳴る。

おとぎ話なら、夢のときは終わりだ。

頬を流れる私の涙を、エドの親指がそっとぬぐう。


「心配はいらないよ。今夜の魔法は、絶対にとけない。僕が、とけさせない」

「エド……」

「僕を信じて欲しい」


抱き合う私たちの髪に、肩に、祝福の白い花びらが輝く。

大丈夫――

聖なる夜から始まる恋は、きっと神様にも守られる。

私はエドの広い背中に手をまわし、力を込めた指先に、幸せへの願いを込めた。


--fin
2017/12/24

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