鞘は足早に大奥の渡り廊下を進み、目的の部屋の前に辿り着くと嬉々とした様子で足を踏み入れた。
「テツヤ!」
「上様。お勤めご苦労様です」
黒子は鞘が来るのを足音で察していたようで、鞘が部屋に入ると同時に深々と頭を下げる。
「ただいま!テツヤ!」
黒子が待っていてくれたことが嬉しくて、鞘は黒子の胸に飛び込むように抱きついた。
黒子もそんな鞘を愛おしげに抱きしめる。
「今日は赤司君に苛められたりしませんでしたか?」
「ん〜…大丈夫だよ。珍しく今日はイヤミもなかったし」
「……そうですか」
鞘の言葉にほっと安堵の息を溢す黒子の様子に、鞘はくすぐったいような心地よさを感じて、更に強く抱きついた。
鞘と黒子が春日局である赤司によって引き合わされてから、既に四ヶ月の時が経っていた。
しかし、鞘に懐妊の兆候が中々現れないことから、赤司は鞘と黒子を引き離して、新しく入ってきた青峰を押しつけようとしてくる。
(……私はもう、テツヤ以外の男に触れられたくないのに)
懐妊の兆候がない状態から1ヶ月が経ち、赤司は毎日のようにあの手この手で、鞘に青峰を差し向けてくるのだが、青峰は鞘の気持ちを尊重して手を出してこようとはしなかった。
鞘が嫌がれば、決して行為を強要しようとはしない。
(…まぁ、手を出さない要因はもう一つあるけれど)
……どうも青峰は胸の大きい女人が好きらしく、普通に男装したくらいで隠せるような鞘の胸…いや、鞘には性的興味が湧かないらしい。
最初にその事情を青峰の口から吐露された鞘はぶちキレ……上様権限をフル活用して、青峰をボコボコに殴り倒していた。
(だって、もう少し言い方というものがあると思う!)
最初に青峰と面通しをした時、彼は鞘を素早く押し倒すと、鞘が暴れるのもお構い無しに“身体検査”と言う名の“お触(さわ)り”をしたかと思うと、途端に呆れたような顔で鞘の上から退いて、こうのたまった。
“オレはペチャパイには興味ねぇから、安心しろまな板上様”
“…………ハ?”
(〜〜〜っ!今思い出しても許せない暴言だ!)
黒子の腕の中でその時の事を思い出してしまった鞘は、ギリギリと歯軋りしそうになるが、黒子の心配そうな呼びかけになんとか怒りを治める。
(あ〜!駄目駄目!…やっとテツヤの腕の中に戻ってこれたんだから、今は彼の温もりを満喫しないと……明日も赤司とやり合うのにメンタルが持たない)
まぁ……今日は少し体がだるくて、昼間に吐いてしまったので、赤司も気に止んで弄るのを止めてくれたみたいだけど……。
……赤司の驚いた顔を見た時は、ちょっとスカッとしたかも……
鞘がそんな事を思っているとは露知らず、黒子は先程からの鞘の異変に小首を傾げた。
「?……鞘?もしかして体調がよくないのですか?」
「え?」
「少し体がいつもより熱い気がします…匙を呼びましょう」
「い、嫌だ!…呼ばないで」
「…何故ですか?」
「……匙が来たら、赤司君がまた私をテツヤから引き離そうとするし…こうしたら体調もよくなるもの…だから」
「駄目です」
「…え?」
「そんな事じゃ体調はよくなりません」
「で、でも」
「それに、鞘に何かあったら、僕が僕を赦せません。…死ぬときは一緒にと約束しましたよね?」
「…うん」
「だから、一人で勝手に病気になんかさせてあげません」
そう言うと、黒子は鞘を更に強く抱きしめた。
(あ……私、凄くテツヤに愛されてるんだなぁ…)
黒子の呼吸を首筋に感じながら、鞘は更にその身を寄せる。
……鞘は、少しでも長くその愛情に浸りたかった。
しかし、そんな鞘の願いも空しく、黒子は逆にあっさりと鞘から離れてしまう。
「それじゃあ僕は匙を連れてきますから、ここで待っていてください」
「ま、待ってテツヤ!もう少し…って、もういない!?」
(ひ、酷い!!テツヤはいつも私の大事な余韻もミスディレクションしてしまう!!これが大事な人にする仕打ちなの!?)
思わず泣きたくなった鞘だったが、逆にその速さが自分の体調を気遣った愛故なのだと思うと嬉しくもある。
……嗚呼!私は絶対テツヤから離れないんだからね!!赤司君!!貴方の意地悪にだってもうメゲないんだから!!
私はこの愛を貫き続ける!!
鞘は明日からも繰り広げられるであろう赤司との攻防戦を思い浮かべながら、きっと勝ってみせる!と、固く決意を新たにするのだった。
しかし、この後黒子が連れてきた匙によって懐妊のお祝いを言われることになるとは、この時の鞘には知るよしもなかった。
〜幸せの告知〜
「…でも、赤司君は鞘が懐妊していることを知っていたみたいですよ?」
「!?」
(〜〜っ!あんにゃろ!!わざと黙ってたわね!? )
鞘と赤司の1ヶ月間にわたる攻防戦の勝敗は、鞘の粘り勝ちかと思われたが、やはり最後には一枚以上上手で赤司に軍配が上がったのだった。