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□キスしたい
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アレクセイからの手紙には珍しく文章が綴ってあった。

ドン・ホワイトホースが自ら命を絶った直後の事だった。泣き腫らした目で文脈をたどる。
まるで彼が死ぬ前からそれを予兆していたような文面だった。ダングレストへいる理由が、なくなったのだ。
レイヴンはドンからもらった羽織の袖でごしごしと目を擦りつつ、珍しく大きな波をたてているこころに若干驚いていた。レイヴンの中でドンがどれほど大きくてまぶしい存在だったか、それを痛感させられた。ギシギシと異常を訴えている気がする魔導器は、実際はレイヴンの少し速い呼吸とともにゆるく点滅しているだけだった。

「ど…して、…」

こんな事になってしまったかなんて、考えるだけ無駄だった。誰も誰かを責めたりできない状況だったからだ。

『これ以上、大切な人間を失いたくないのなら、大人しく道具として戻ってこい。』

部屋に一人。何度も手紙を読んでからそれを握りつぶした。大切な人間を。
それはつまりは、きっと彼らを示すのだろう。
また、まがい物の心臓が痛んだ気がした。


そしてレイヴンはまた、レイヴンとして彼らについていった。彼らの前に向かって進もうとする姿は、痛んだレイヴンの心を癒してくれた。それでも、どうしても心の歪は消えそうになかった。


夜のテントで、布団に潜り込みながらみんなの寝息を聞く。夢には連日、ドンが生きている姿を見た。

生前、ドンはレイヴンが心臓の発作で倒れた時に、自分のベッドに入れてくれていた。誰かに助けを求められる状況でない、その発作の時のみ、ドンの大きくて広いベッドに、迎え入れてくれた。その胸に抱かれて眠った日は、長年見てきた悪夢を、ほんの数秒も見ないでいられて。目覚めて朝だったことに感動して、わけもわからず泣いたことがあった。声を殺して、ドンに気づかれないように。その時のみ、レイヴンはレイヴンでもシュヴァーンでもなかった。気がした。


テントの中、小さな嗚咽の声が響く。
レイヴンは無性に死んでしまいたくなった。ドンの死と、これから裏切る彼らの寝顔。
見ていられなかった。この世界から、消え失せてしまいたくて。無意識に取り出した短刀は喉仏を掠めたところで白い腕に止められた。

「…っ、おっさん…!」



レイヴンの肩をつかんでひっくり返した。気付いてよかった。ユーリはレイヴンの手に握られていた短刀をひったくりテントの出口に投げ捨てた。
涙でぐちゃぐちゃになった顔をこちらに向けて、しかし目はうつろで焦点が合ってない。
髪ひもを解いた彼は、いつもより小さく見えた。

「何やってんだよ…!」

レイヴンは応えなかった。ただぼぅっと、ユーリの顔を眺め、喉仏に血をにじませている。その血を、ユーリは舐めとってやった。レイヴンはピクンと体を震わせたが、意識は戻ってはなかった。
不意に、彼は起き上がりユーリの腕を掴んだ。レイヴンはそのまま起き上がり、ユーリの胸に倒れこんでくる。

「…おい、おっ……さん?」

「…ドン、…ねぇ、どん。おいていかない、で」

それは悲痛の叫びだった。
胸にぐりぐりと押し付けられて表情が見えないが、確かに彼は今、苦しみで顔を歪ませている。

「…死なないで、ど、ん。俺も、…おれ、も…」

服の裾がぐっと掴まれ引き寄せられる。服が湿りを帯びていくのを感じながらユーリはそっとレイヴンに手を差し伸べた。初めて触る髪は意外にもふわふわと心地よくて。その髪に手を差し込んで引き寄せてから梳いてやると、一層強く抱きついてきた。
まだ彼は夢の中にいて、そこに閉じ込められている。いや、これが本来の彼なのかもしれない。閉じ込められた彼の弱い性根が今、露わになっているのかもしれない。

「………」

起こしてやる気になれなかったのは、ユーリがレイヴンに対して特別な感情を抱いていたからだ。苦しんでいる彼を救いたいと思う反面、この状況を終わらせたくないという感情も湧いて出て来ていた。

「ど、…ん、………ちゅう、したい…」

ぐい、と急にレイヴンの顔が近づく。心の中はレイヴンとドン・ホワイトホースの関係の事で一気に占められた。レイヴンはキスを強請ってさらに顔を近づけてくる。早く正気に戻ってくれ、とその時初めて思った。
ユーリは仕方なしにレイヴンの頬を両手で包み、眉間にそっと口付けた。赤子をあやすそれの様に優しく優しく。

レイヴンは顔を上げた。その目はユーリを捉えていない。真っ赤に腫れた目元が、皮肉にも彼の水色の瞳を際立たせる。

「おっさん…俺は、ドンじゃねぇよ、」

彼の喉仏にはまた新たに血の雫が溜まっていて流れ出してしまっている。痛々しいそれを今度は服の裾で拭ってやった。レイヴンはふにゃんと笑って、ドンの名を呼び続ける。

「ドンが…ちゅう、してくれた…ふふ…」

初めて見る笑顔に困惑した。ユーリは顔に熱が上がるのを感じてあわててそれを否定する。今の彼にそんな感情を抱いてどうするのだ。

もっと、とレイヴンは目を閉じて幸せな夢を見ている。ユーリはそっと彼を持ち上げ一緒に布団に入った。浮上しかけた意識が、また沈もうとしているのだ。


「ごめんな、レイヴン…」

もう一度、今度は閉じられようとしていた瞼にそっとキスを贈った。


目が覚めたら朝だった。いつの間にか意識が泥沼へと沈んでいたらしい。彼らの寝息を一体いつまで聞いていたっけ。身体を動かそうとして気づく。他の誰かの体温、匂い。
隣を見ると、ユーリの整った綺麗な顔が間近にあり、それはすぅすぅと寝息をたてていた。
朝まで朝まで眠れたのはこの青年のおかげだったのだ、な。そっと彼の腕から出る。

朝日が昇りたてでまぶしい。羽織を羽織ってたら、ふと、テントの出入り口に自分の短刀が落ちていることに気づき、レイヴンはそれを拾い上げて外に出た。
ちりっと喉仏が痛んで、そこを触ると何やら傷になってしまっていた。短刀とその傷が結びつく。また、やってしまったのか、と。
だとすれば、止めてくれたのかもしれないな、とレイヴンはユーリに心の中で謝罪した。彼が、彼らが起きだしたらレイヴンはまた彼自身に戻る。

幸せな夢を見た。ドンは生きていた。本当に生きているのかと錯覚してしまうくらい、体温も、しぐさも、すべてが鮮明だった。キスを強請って、応えてくれた幸福感に、ないはずの心がまだ満たされている。
ドンに会いたかった。
今ではもう、叶わないことだが。

バッとテントの入り口が開く音がして、レイヴンは振り返る。そこには髪を乱したユーリが、安堵したような表情で佇んでいた。

「…おっさん、死んだかと思った…。」

はは、と乾いた笑い声が漏れてしまった。死んだかと思った、だ、なんて。

「心配してくれたの?ありがとう。青年。後…、添い寝も?」

ちゃらけた、いつもの調子で物を言う。意識がなかった時に、己がどんな言葉を青年に投げかけたかわからない。
案の定少しだけ青年は顔をしかめたが見ないふりをした。

「なんで疑問形なんだよ。おっさんが夜魘されてっから、わざわざ添い寝してやったんだぜ?」

あぁ、よかった。彼は赦してくれる。

「ふふ、ありがとう青年、お礼におっさんが愛の投げチッスをプレゼントしてあ・げ・る」

くね、と体を曲げる。やっと本調子が出てきた。これがレイヴン。

「へいへい。さ、そろそろみんな起こそうぜ。」

テントに消えていく彼の背中を見送って一息つく。
今日が、最後の日だ。レイヴンが、終わる日。








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