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□キスしたい
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レイヴンは心臓を押えて唸った。
後もう少し、もう少しだけ待って欲しい。

ミョルゾの町で、不安げな瞳を見た。揺れる桃色の髪は、その心情まで隠して美しい。それを見守る仲間は、かつての仲間。
全て裏切って、虚無に返す。レイヴンは死ぬのだ。

もともと生きていることが不思議な存在であったことは自覚している。それがいなくなったところで、もう不自由する人もいない。いや、仮にドンが生きていたとして、俺を失うことになっても、ドンは眉一つ動かさなかっただろう。そう考えると少しだけ寂しくなった。

「レイヴン!」

不意に腕を取られた。
漆黒を纏う青年は、俺に優しかった。全てを受け入れる器量があるのかもしれない。まぁ、それを頼れるとは思わないけど。

「なによう、青年?」

「あ、いや…なんか、今捕まえないとおっさんが居なくなっちまう気がした、」

相変わらず鋭い。それなら、俺じゃなくてエステリーゼ嬢をつかまえるべきだ。
のらりくらりかわす。もう十分、優しくしてもらったし、これ以上を望むのはおっさんのわがままが過ぎる。

「何よそれ〜まぁた人がその辺で蒸発するとか………」

考えてるんじゃないの、と尋ねようと思って、やめた。この目はよく知っている。哀れみや、侮蔑を孕んだ視線。
その目は苦手だ。嘘をつくに、罪悪感が拭えなくなる。

「俺はおっさん、あんたが心配だ。」

厳しい声、でも優しい。
やめて欲しい。助けを求める言葉が口から出てしまいそうになるから。
彼を好きになってはいけないと、頭の中で警報が鳴り響く。
愛すべきは、亡くなってしまったドン ホワイトホース。
慕うべきは、アレクセイ閣下。

この青年を、巻き込んではいけない。面倒な俺にこれ以上近づけてはならない。

「ありがと、飲みすぎないよーに注意するわ……」

静かに言い放った言葉に、後悔の念が混じっていなかったか不安になった。


桃色の髪が揺れる。
俺はまた仲間を裏切り、そして独りになる。
居心地がよかった。
受け入れてくれた、そう感ぜられた。
間違ってはいないはずだ。
心の中で、レイヴンでいれる最期の時までエステルに、仲間に謝り続けた。

「遅かったな。」

聞きなれた言葉だったが慣れた痛みは飛んでこなかった。満月の子を手中に収め、さも満足そうだ。

「怪しまれずに一向から彼女を離すのに、少しだけ手間取りました。すみません。」

アレクセイはまぁいいと鼻を鳴らした。
こんな上機嫌なのはいつぶりだろうか、何も考えない人形であったはずの頭が考える。
だめだ、
人間でいていいと、許してくれたのはドンだけ。
ドンの側にいる時のみ、レイヴンは人間でいていいと許された気がしていた。
ドンがそれを望んでいた。
だから。

ドンはもういない。
自分は人間であれるところを失ったのだ。
それよりももっと大きな、ドンという存在をも。

「何を考えている?」

咄嗟に構えようとしたが間に合わず、握られた鉄の拳が右の頬にぶつかった。
途端に広がる血の味が、生臭くて顔をしかめる。しかめた顔がぎりぎりと痛んだ。

「すみ、ませ…………」

上機嫌であったはずのアレクセイは目を鋭く釣り上げシュヴァーンを見下ろしていた。
一発どころでは、当然怒りはおさまらない。

続けざまに飛んでくる拳に立っていられなくなる。よろけると胸倉を掴まれ引き上げられた。何度も何度も往来する鉄拳に頬の肉が嫌な音をあげて裂ける。
いたい、痛いわ。
ドン、たすけて………。

少し目を開ければ今度は頭突きを食らわされた。目眩がして今度こそ立っているのが辛くなり、そのタイミングで胸倉の手が離れた。重力に逆らう事なくシュヴァーンは床に頭を垂れた。

「けほ……っっ…」

降りやまない暴力の雨で、顔が腫れあがり出血する。それでも何も言わない。自分は道具、この人の玩具。意識が遠のいていく。
霞みがかった視界の中にドンの姿を見たような気がした。白銀の髪がたなびく大きな背中を。

「まだほかの事を考える余裕があったか。」

床に落ちた頭に強烈な蹴りが入れられる。今度こそ意識を飛ばした。

しかし意識を取り戻したのはそのすぐ後で。アレクセイが心臓魔導器の術式を弄ったからだった。息もできないような発作にシュヴァーンは胸を押さえて転げまわる。

「っ…ふ、…んく、…は、…!」

アレクセイの顔を見上げた。その表情は最上に愉快なものを見ていると言った顔で。しかし目があった瞬間に、「汚い顔を向けるな、」と罵られまた踏みつけられた。

このまま死んでしまいたい。
ここで殺されれば、ユーリたちへの裏切りも償わないまま、しかし彼らと顔を合わせる前に永久に別れを告げることが出来る。それに、ドンの元へ…行くことが出来る。

「治癒術をつかえ。」

アレクセイが言葉をよこした。びくりと震えてから辛うじて吸い込めるようになった息で細く呼吸する。

「はやくしろ。」

恐怖で体が強張る。臓物が冷えた感覚がして、途端に泣きたくなった。ドンの温かな手を思い出す。ドンは、治癒術を使おうとした俺を全力で止めてくれた。

「聖なる活力、……」

心臓魔導器に手を当て気を込めると光りだす。禍々しい炎のような光が俺は嫌いだった。
癒えていく傷、下がる体温。横たわっているのに、倒れそうな感覚に陥った。
大方治ったところでアレクセイに引っ張り起こされた。

「さあ行くぞ。ぼさっとするな。」

踵を返すアレクセイをぼんやりと眺めながら、シュヴァーンは歩みだした。


〈宙の戒典〉を葬るべく、シュヴァーンはデュークの足止めとして盾となった。しかしそこに訪れたのはかつての仲間…裏切った仲間たち。

戦いは避けられなかった。

心臓を使って大技も繰り出した。でも、本当に殺す気が合ったかと言われれば、そうではないかもしれない。

「レイヴン!!」

少年の悲痛な叫び声に耳を塞ぎたくなる衝動に駆られる。でももうレイヴンはいない。彼はドン=ホワイトホースとともにこの世を去ったのだ。
羨ましい。シュヴァーンは微笑した。もうすぐ俺も、そちらに向かうと。

心臓が痛み、ぐらりと上体が傾く。
それを見逃すほど青年は甘くはない。よく見慣れた剣がシュヴァーンの身体に向かって飛んでくる。

あぁ、ようやくだ。

シュヴァーンはゆっくり体を弛緩させた。それを見たユーリは一瞬太刀を迷う。しかし勢いよく振り切られた剣はシュヴァーンの心臓に切りかかった。

キン、と、何か金属にあたるような感触と音。ユーリは目を見開いた。
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