◇冷たい少女の物語

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「ねぇ!!」







誰もいない神社の、鐘が吊るしてある高台に向かって声を張った少年の額には汗がにじみ、蝉の声はうるさくその声をかき消すかのようにより一層音量をあげた。
そんな雑音の中でもその高台にいた人影には声が届いたようで、のそりと動いた体はゆっくりと本を片手に少年を見下ろした。

その表情はキョトンとした年相応な反応で、不思議と汗一つ浮かべていない彼女の黒髪は肌に張り付くことなく、風にゆられ涼しげだ。







「たまに、この世に愛されてないって言うの。あれ、どういう意味?」







少女は時折したを向きながら、誰にも聞こえないほどの小さな声で「私はこの世に愛されていないから大丈夫」などとよく口にしていた。
大きな喧噪の中では聞こえない、かぼそい声だが、少年にはたまたま聞こえてしまい、ずっとその一言が頭の中で反響して参っていた。

少女との関係は同級生というだけのたいして深くないもので、挨拶もほんのたまに交わすくらいのものだ。
人数の少ない田舎の学校では、幼稚園や保育園の頃から関係が築かれ、中学まで生活を共にする。その期間内にいざこざがあれば、対象は中学卒業まで煙たがられるなんてこと珍しくもなんともない。
その中で、少年はうまくやっている立場であったし、この少女も少女でおとなしくはあったがうまく立ち回っていた。

存在が薄いことは確かであったが、一緒の班になって喧嘩することもそうなかったし、しているのも見たことない。泣いているのを見たことがなければ、怒っているのも見たことがない。
もう中学二年目。ある意味ここまで相手の表情を知らないというのは珍しい、いや、ありえぬことであったが、それが彼女という存在なのだと皆が認め、気にする者などいなかった。

少年もその内の一人であった。あの一言が、風に流れて耳に入ってくるまでは。







「私はこの世に愛されてないから」







同級生が目の前で遊ぶのをにこにこと眺めながら、桜が散る中、まるでそんな発言していないかのように、それでも少女の唇は、確かにそんな言葉を紡いでいた。
自転車で彼女の横を駆け抜けたときに聞こえたその言葉の意味を、悶々と、ここ数カ月にわたり考え、悩んだ。
もはや長い時を過ごしすぎて恋愛対象からもはぶかれたような少女の一言を。何カ月も、何カ月も。

そして、そんな自分に嫌気がさした。
数日彼女を観察していて分かったのは、彼女がよくこの場所に来ていることで、もうここではっきりさせてしまい忘れようと考えたのだった。

少女が「そんなこと言った?」なんて言ってくれるのを期待して。







「え、聞こえてた!?いつのとき?」







少年は、息が止まりそうになった。

身を乗り出すようにしてこちらを見て、驚いたように目を丸くする少女が今先ほど肯定したのは、彼女のその表情には全くそぐわないもので、むしろ動揺して逃げ出してもいいような内容だったのだから。







「春の始業式の日・・・」

「あ!あの日かぁ!!すごいなぁ、誰にも気づかれないように言ったと思ったのに」







否定するどころか片っ端から肯定していく彼女に茫然とし、少年はその場から動けずにいた。
それを見て少女は首を傾げて高台から身を乗り出すのをやめて、影に隠れてしまった。声だけが、その高台から聞こえてくるという形になり、幾分か少年も楽になる。
あのまま少女と顔を合わしたままであったなら、少女にどんな顔を向ければいいのか分からなくなってしまうところであった。







「そんなに深い意味ないよ?ただ本当に、この世に愛されてないだけ」

「・・・どういう意味?」

「え?もう別に帰っていいよ?きっと言っても分かんないから」

「誰にも言わないから」







少女は黒髪だけを影からのぞかせるが、こちらをけっして見ようとしなかった。
返答が返ってこなくなったら帰ってしまおうと思っていたのだが、やはりたやすく期待は裏切られる。







「こういう考え方をもてる人間として生を受けたこと」

「・・・・?」

「たとえば、家畜が肉になる瞬間の感情を一度でも想像する人が何人いるか。多分ごく少数でしょ?そんなごく少数の人間は、多数の人間に理解されることは無い。そういうこと」

「多数の人間が、この世ってこと?」

「そう!!すごいなぁやっぱり」







彼女の笑うかのような声が聞こえるが、それが嘘であると、今ではハッキリと分かる。
たった今、自分の知識として組み込まれた少女の思考がそうさせるのかは分からないが、多少なりに影響を受けて入るだろうことを感じとり、無意識に片腕をもう片腕で強く握りこんだ。







「どう?たったこれくらいの予備知識で、世界が随分変わって見えちゃうでしょ?早く寝て忘れた方がいいよ。あなたが私みたいになるのは見たくないから」

「それもどういうこと」

「これ以上私の話聞いてたらおかしくなっちゃうよ?」

「いいよ」

「よくないよ」

「もっと聞きたい。知りたい」

「じゃああと少しだけ」







押しに弱いのか、少女は拒むのをやめてまた話し出す。







「経験したことないことを、人は想像できない。だから理解できない。あなたも私を理解できない要素は多々あると思うけど、私はあなたを隅から隅まで理解できる」

「どうして?」

「だって、私は人にたくさん好きになってもらったことがある。でも裏切られたことも、一人になったことも同じくらいある。あなたには後者の経験は無いでしょ?見てる限りだけど」

「うん。自慢じゃないけど無い」

「両面の世界を知るとね、中間の世界を知りたくなる。中間の世界は思ったより楽。私の見解だけど」

「それってどんな風なの?」

「信じてるように見せかけて、信じない世界」







高台に据え付けられた木製の梯子をおりる音が響き、少女がひょっこり顔を出す。
少年はいつもの明るい表情では当然なく、少女を睨みつけるような目に見えなくもなかった。







「だから私を信じなくていいよ?そっちの方が疲れるから。でも残念」







いつも校則によって結われている髪がおり、今さらながら大人っぽく見える少女を眺めながら少年は最後の残念の意味をまた考える。

答えはすぐに、彼女が教えてくれてのだが。







「あなたに信じてもらえなくなるのは、すごく残念」







意地悪い、まるで敵役のような声を出す少女の笑顔な頬をつたったのは、汗ではなく、涙であった。







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