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□裏と表の真ん中で
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鏡の中に迷い込んだみたいだ。
そのような非日常を想像してしまったのは、数日前に椋から勧められた少女漫画の世界観と同じだったから。
天鵞絨駅前にそっくりの景色。ただ、どの看板の文字も鏡に映したような奇妙な形をしていた。
そして、万里の前に立ちはだかる一人の青年。ドッペルゲンガーなんてファンタジー色の強い単語が浮かぶほどに瓜二つだった。顔立ちも背格好も万里そのものである。ファンが見たら万里が二人いると勘違いしかねない。ただひとつ決定的に違うところは眼差しだ。万里はそれに既視感を抱いた。満開カンパニーに入団する前、刺激を求めていたあの時と同じ瞳で目前の男は万里を一瞥する。

「何じろじろ見てんだよ」
「あ?」

声のトーンも全く同じで、ここまで来ると気味が悪い。

「つーか、偽物がなんの用だよ」
「偽物の俺はそっちだろ?」

万里によく似た容姿の男は、生きているか死んでいるのか分からない表情で、それが更に万里の内なる恐怖を加速させた。何をするか読めない。過去の自身がそうだったからだ。次の瞬間には拳が襲いかかってくるかもしれない。ノーモーションで蹴り上げてくるかもしれない。もしかしたら凶器を隠し持っている可能性も考えられる。たとえここが自分の知っている世界じゃなかったとしても、万里は安易にやり返すことができなかった。今の万里には満開カンパニーの秋組という居場所があるのだ。自ら穢すような真似は到底許されない。

「……あ! 見つけた、万チャン!」

その時、聞き慣れた仲間の声が響いた。

「太一……!」
「見つかってよかった……って、ええっ……!?」

心配そうな顔をしながら駆け寄ってきた太一は二人を見るなり動揺した声を上げる。同じ姿の人物がそこに並んでいたら誰だって多少なりとも驚くだろう。太一は彼らを見比べたあと、すっと片方の手を取った。

「……俺っちが知ってる万チャンはこっちッス」
「なんで根拠もねーのにそう思うんだよ」
「間違えるはずがない。"お前はどこの七尾太一だ?"って、居場所を与えるきっかけをくれた人を間違えたりしないッス」

初めから選ばなかった――万里と似て非なる人物を真っ直ぐ捉えながら太一が答える。「だから、ごめんね」と申し訳なさそうに言われて諦めがついたのか、乾いた笑いを漏らした。

「……せいぜい幸せに生きろよ」

そう言い残して彼はどこかに消えていく。
いつの間にか元の街に戻っていた。直前までの出来事は一体なんだったのだろうか。夢にしてはやけに生々しい気もするが、そうであって欲しかった。次に目を覚ました時は見慣れた部屋にいることを願うばかりだ。

「帰ろう、万チャン」
「……おう」



太一のパーカーを掴む万里の手は珍しく震えていた。
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